第16話 バフ祭りスミスベルス ⑥

 本来、スミスベルスは旅人の往来が盛んで、宿泊施設も多いのだが、現状、まともに営業出来る宿はまだ少ない。

 それでも、街の用意してくれた宿はなかなか寛げる造りで、『バフ祭り』に招集された治癒術士達は、パーティーごとにあてがわれた部屋に別れ、休んでいた。


 宿には共用の大浴場も付いている。

 男性用浴室はガヤガヤしていたが、今回、女性治癒術士は人数もそう多くなく、上手く入浴時間がずれたらしい。

 部屋に荷物を置き、すぐ浴場にやって来たシェーナの他には、コチがリラックスした表情で、湯船に肩を沈めているのみだった。


 ベックフォードも、書類仕事を終わらせてから入浴すると言っていたが、彼女は少々、過労気味に思える。後でゆっくり出来ると良いのだが、と思いつつ、シェーナは濡れた碧色の髪をまとめる。


(冒険者稼業もそれなりに長いんだけど。この手の大浴場ってのには、どうも未だに慣れないわ……)


 声には出さずに、内心でそうぼやいて、彼女は湯船の中で手足を縮めた。


「この広々としたお風呂場、故郷アシハラの温泉を思い出すネ! アアーいいお湯。シルヴァミストにもこんな文化があるなんて、意外ネ」


 と、コチは上機嫌だ。


「そういえば、アシハラの人はお風呂好きって、コチさん昼間に言ってたよね」


 女二人、あまり恥ずかしがって固まっているのもどうかと思い、シェーナはおずおずと言葉を返し、足を僅かに伸ばす。


「ソウ、どこの街にもこういう感じの銭湯があるヨ。お武家サマも丁稚サンも、スッポンポンになったら身分なんて関係ナシ、みんなで作法マナーを守ってお風呂入るヨ」

「そうなんだ」


 『お武家サマ』の意味がよく分からなかったが、コチのざっくりした説明によると、要は軍事や政治を担当する社会階級の呼称らしい。


 シルヴァミスト人も、はるか古代から入浴を好む民族だった。宿にはこうして浴室がついているし、庶民向けの公共浴場もある。

 ただ、秩序と文明を重んじるユザ教の影響もあり、上流階級の間では、他人の前で服を脱いで身体を洗うのは、はしたない事とされている。

 地主階級ジェントリの生まれであるシェーナも、家を飛び出して冒険者になるまでは、そうしつけられてきた。


「シェーナさん……シェーナ、って呼んでもイイ? ワタシ、気になるヨ!」

「な、なに?」


 ずいっとコチに近づかれ、シェーナはまた手脚を縮めた。

 スレンダーな体型のシェーナに比べて、コチは小柄であるにもかかわらず、随分とあでやかな体つきをしている。多少、気後れする程だ。


「フェリックスとの事ヨ! 正直、あの子は突っ走りがちで思い込みも激しいから、婚約者がいるって話、半分妄想だと思って聞いてたネ! アナタが実在してビックリヨ!」

「……なるほど」


 流石に師匠を名乗るだけあって、フェリックスと一度会ったきりのシェーナよりも、コチの方が彼を理解しているようだ。


 残念ながら、シェーナとフェリックスの過去に起きた事は、妄想でも何でもない。シェーナは簡単に、事の経緯を説明した。


「フゥーン……?」


 話を聞いたコチは、難しい顔で唸る。


「シェーナは、フェリックスとの結婚がイヤだったの?」

「彼が嫌な訳じゃないのよ。悪い人じゃなさそうだったし――ちょっと話してると疲れるけど――ただ単に、両親や親戚の言うがままに結婚ってのが、嫌だっただけ」


 キッシンジャー家は、新興の地主である。シェーナの母は、水属性魔術の優秀な研究者だ。彼女は研究のために、古くからの名士で、篤志家としても知られる、ファルコナー家の支援を必要としていた。

 貴方の結婚が、何千という人々を救う偉大な事業に繋がる。そう母はシェーナに説き、婚約を薦めた。

 キッシンジャー家の研究と、事業のためにと。いずれ、その事業も財産も、シェーナが継ぐのだと。


「……母さんは偉い人だと思う。でも、あたしは……人を救うなら、自分の納得出来る形でやりたかった」


 しかし、家を飛び出しはしたものの、シェーナの生活を支えているのは結局、母に厳しく仕込まれた水属性の治癒術である。時に、複雑な気分にもなる。


 エイダンのようにあっけらかんと、家族のため、故郷のために自分の出来る事を成すのだと、決意出来たら良いのだろうか、と考えたりもする。羨ましい――などと、軽々しく本人に言ったりはしないが。

 そう、シェーナが何となくエイダンを構い倒してしまうのは、人を救う事に対して迷わず、気負わない風に振舞える彼に、どこか羨望を覚えるからだった。

 彼の治癒術士ヒーラーとしての真っ直ぐな姿勢には、もっと見届けたい、共に仕事つとめをやり遂げてみたいと思わせる何かがある。

 単純に、将来有望ながら世間知らずな新人冒険者の、その危なっかしさから目が離せない、という面もあるにはあるが。


「ウゥン。ワタシは、今まで思いきり、好きな事ばかりして生きてきたから……チョット、アナタの話よく分からないし、アドバイスも難しいヨ」


 見れば、コチは両手で頭を抱え、うんうん唸っている。


「そんな、気にしなくていいよ。聞いて貰えただけで、多少スッキリしたし。貴方が自由な人だっていうのも……まあ、見れば分かるわ」

「ワタシのお父様がネ、何て言うの? この国の言葉で……『放任主義』! アレなのヨ。もうチョット厳しく躾けてくれても、良かったのにネ」


 それもまた、シェーナからすれば、多少羨ましい話だ。


「フェリックスは、家のため、土地の人のために結婚を考えるのは地主階級ジェントリの責務、なーんて言ってたけど……デモ、彼はアナタの事がとことん好きなだけネ」

「だからって、旅の治癒術士に弟子入りして、ここまでやって来るっていう行動力は凄いわね」


 とはいえ、フェリックスには一度謝罪するべきだとは、長らく思っていたのだ。

 彼個人に、まるで否はなかったというのに、親戚知人一同の集まる婚約パーティーで、相手に逃げられたのである。人によっては立ち直れないレベルの不名誉と屈辱だろう。実際、彼を大いに傷つけてしまい、六年もの間苦悩させていたらしい。


 ……しかし、突然の再会にまだシェーナが呆気に取られているうちから、六年前と全く変わらない押しの強さ、へこたれない前向きさを披露されて、つい、冷淡な態度を取ってしまった。


「あれは、良くなかったよね……後で謝ろう」


 胸の内でひっそりと、シェーナは決心するのだった。



  ◇



 一方、男湯。


「今、シェーナが僕を思ってくれたような気配が!」


 フェリックスは水飛沫みずしぶきを上げて、湯船から立ち上がった。


「確実に気のせいですので、どうかお静かに」


 飛沫を受けたハオマが、迷惑そうに諌める。


「そうだろうか?何か胸の高鳴る感覚が……」

「のぼせとるんじゃなぁか。ちょい熱めのお湯だけんね」


 エイダンの魔力が最大限発揮されるのは、摂氏四十度前後の湯の中を伝導させた時だが、ここの湯は四十四度といった所だろう。あつ湯の部類だ。


「そんな細かい温度も、湯に触れると分かるのか?」

「魔力の伝導させやすさとかで、何となく」

「ほぉー……つくづく、不思議な能力だな。ちなみに、君が浸かるだけで、多少湯の中に治癒術の出汁だしが出たりはしないものだろうか」

「出汁って……」


 流石に、エイダンは嫌な顔をした。彼は鶏ガラでも入浴剤でもない。


「明日も引き続き、騒がしくなりそうですね」


 いささか憂鬱な顔つきで、ハオマは治癒術士だらけの湯船に身を沈めるのだった。

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