第17話 バフ祭りスミスベルス ⑦

 「『火精の吐息フレイム・ブレス』!」


 エイダンは呪文の詠唱を完成させ、湯船の底に杖先を突き立てた。

 立ち昇る蒸気が浄化され、死んだように湯船の中に横たえられていた人々が、ふっと我に返る。


「あ、あれ……俺は何を……」

「体が嘘みたいに軽くなったぞ!」


 正気を取り戻し、沸き上がる人々を見届けてから、エイダンは浴室の床に、どさりと尻餅をついた。


「全員、治ったぁ!」


 スミスベルスの街に到着してから、四日目の夕刻。北東地区の全ての住人の解呪が完了したのだった。


「終わったってよ!」

「おいお前! 元気になったのか?」

「うおぉ、やり遂げたぜ! よくやったな治癒術士の兄ちゃん!」


 周囲の町民達が歓声を上げる。

 最後の数人ともなると、街はほぼ通常運転に戻っているため、何人もの町民が手伝いを買って出てくれて、患者を公共浴場に運ぶのも随分と楽になった。しかしその分、ギャラリーが増えたので、多少気恥ずかしい。


「見事だった、エイダン・フォーリー!」


 駆け寄ったフェリックスが、エイダンの肩に手を置いて揺さぶる。


「僕は君を、魔術士として、真の紳士として認めざるを得ない……! だが、僕もまたシェーナを諦める訳には行かない。この上は、正々堂々と競い合おうではないか!」


「あのー、訂正する暇がなかったけん放っといたんじゃけど、多分フェリックスさん、盛大に勘違いしとってね……」


 エイダンがのろのろと立ち上がりながら言いさしたところで、公共浴場の男湯の扉を勢い良く開けて、コチが入ってきた。

 何人かの入浴客が、キャッと悲鳴を上げて恥じらう。


 コチは相変わらず、華やかな極東の民族衣装を身に纏っていたが、今は長く垂れた両袖をたすきで留め、腰の帯には、ごく浅いタライに膜を張ったような、小さなつづみを提げている。


「おつかれ様だネ、フェリックス、エイダンくん! サテ、フェリックス! 解呪が終わったなら、すぐに強化魔術に入るヨ!」

「はいッ、先生!」


 待っていたとばかりに、フェリックスは勢い良く立ち上がった。浴場の外に駆け出そうとして、エイダンの方へと一旦向き直る。


「是非見届けてくれ! 僕と先生の華麗な踊りを……!」

「はあ。華麗な」


 親指を立てて笑顔を見せ、浴室から早々に去ってしまったフェリックスの後を追い、疲労のためハンノキの長杖を半ば引きずりながら、エイダンは表通りへと出た。


 スミスベルスの街の通りは、活気に満ちていた。薪や資材を乗せた荷車が、勢い良く石畳の坂道を登っていく。かと思えば、大樽を運ぶ男達が坂道を下ってくる。工房からは鎚を打つ音が聞こえ、炭や熱された金属から立ち昇る、独特の香りが漂っていた。


 これがこの街の本当の姿なのだな、とエイダンが、感慨深く通りの景色を眺めていると、坂の上からシェーナとハオマが歩いてきた。


「そっちも終わったって?」

「これで全ての地区の住民が、一通りは立ち直った様子でございます」


 他の地区の担当分を終え、北東地区の応援に来ていた治癒術士の姿も数名見える。

 ベックフォードも、治癒術士達に指示を飛ばしつつ現れた。今日は指揮だけでなく、自ら解呪を手掛けていたようで、長弓を片手に携えている。


「コチとフェリックスは?」


 シェーナが、集まった治癒術士達の顔を見渡す。


「解呪が終わったけん、強化魔術に入るって、今さっき……」


 エイダンがフェリックスの去った方角を指差した、その時。


 ――どん!


 重々しい打楽器の音が、鼓膜を揺らした。

 大きな太鼓を打ち鳴らしたような低音である。


「何事ですか?」


 ハオマが眉をひそめ、他の面々も顔を見合わせた。


 ――ぽん!


 また太鼓の音が響く。先程よりも高い音色で、別の楽器を叩いたように思える。

 エイダンは、音の方へと目を凝らした。坂の下から、コチとフェリックスが登ってくる。ただし、その歩みは妙に遅い。


 フェリックスが、両腕を前方右上に突き出し、それから、ぱん、と良い音を立てて手のひらを合わせた。その腕を今度は左上に突き出し、また拍手。最後に、両腕を下げて軽く後ろに放るような仕草をする。

 その動作ごとに一歩一歩、ゆったりとしたダンスステップ風に、足が進む。


 前を歩くコチも、フェリックスと似た動作をしているが、彼女は拍手の代わりに、腰の鼓を打っていた。

 大きさからも形状からも、そんなに多彩で大きな音の出る楽器には見えない。だが、彼女が打つ度に、鼓からは全く異なる音が鳴る。魔道具マジックアイテムの一種だろうか。


 ――カン!


 また鼓が打たれ、木を打ちつけ合ったような不思議な高い音が辺りに響いた。


「コレはネ、青嵐鼓せいらんこ七彩しちさいの音色を持つ鼓ヨ。チョット、小粋な楽器でショ?」


 緩やかな足取りで近づいてきたコチが、エイダンの疑念を先回りするように説いてみせた。


「サァ、踊るヨ! この踊りは大勢で舞えば舞う程、効き目が高まるから、ミナサンもご一緒にお願いネ!」

「ええ!?」


 突然気合の入った声を上げるコチに、エイダンをはじめ、その場の全員が「聞いていない」と言いたげな顔をする。

 しかしながら、コチは容赦なく、打って変わってリズミカルに鼓を鳴らし始めた。


 ――どんどこどんどこカッどどん!


「アソレヤーットセ!」


 鼓に負けない程に張りのあるコチの声が、通りじゅうの空気を震わせた。怒鳴る、という風ではなく、どこかめでたい歌を歌っているような、独特の節を伴っている。


 意味するところは、まるで分からない。精霊に呼びかけるための、魔術士の呪文でもない――少なくとも、シルヴァミストで使われる系統のものではない。彼女の故郷、アシハラの言葉だろうか?


「アラヨーイヤセー!」

「ヨーイヤセー!」


 コチがまた歌い、フェリックスがそれに唱和する。

 踊りのステップの速度が、僅かに上がった。


 比較的単純な動きではあるので、見様見真似で出来ないことはないだろう――ハオマには、言葉で説明しないと難しいかもしれない。ただ、説明しても彼はやってくれそうにない。


 試しに、エイダンはフェリックスの後ろに回り、踊りに参加してみた。真顔のベックフォードが、それに続く。効き目が高まると言われては、参加せざるを得ないのだろう。

 エイダンも大分疲れてはいるのだが、打ち鳴らされる多彩な鼓の音色に合わせて踊ってみると、案外楽しく、テンションが上がってきた。


「どうだエイダンくん! これが東洋の神秘、浄めの風の踊り! 実に華麗だろう!」

「華麗かいなあ……?」


 フェリックスの呼びかけに、エイダンは両手を打ち鳴らしつつ首を傾げた。華麗とか神秘と呼ぶには、いささか豪放磊落な動きであるように感じるのだが。

 集まった治癒術士達が、つられるように踊りを真似し、自然と隊列が組み上がる中、コチは朗々と歌い出した。


「さあさ道往く若衆わかしゅや 歌い踊れや舞い踊れ

アラヨーイヤセー

(ヨーイヤセー)


炭のと鎚の音 天下無双の台所

アソレヤーットセ


目にも見よ賢猿公の 腰掛けの赤々なるを

アラヨーイヤセー

(ヨーイヤセー)


鷲のおさ空のぬし 認めたまわる匠技たくみわざ

アソレヤーットセ


さあさ道往く若衆や 歌い踊れや舞い踊れ

アラヨーイヤセー

(ヨーイヤセー)」


 これが、以前彼女の悩んでいた、土地ごとにアレンジされる詩の完成形であるらしい。

 やはり、その歌声は華麗と言うより、何やらがきいて、豪傑めいている。


「何だ何だ?」

「治癒術士が踊ってる! 踊りの強化バフ魔術だってよ!」

「バフ祭りか!」


 歌声を聞きつけて、表通りに職人達がわらわらと出てきた。「祭りだ!」「踊りだ!」と口々に言い合いながら、踊りに混ざり、治癒術士達と一緒になって、長大な行列を作る。


 解呪された事が嬉しくて興奮気味なのか、この異様な昂揚感も強化魔術の影響なのか。それとも、職人の街とは元々こういうテンションなのか。


「アラヨーイヤセー!」

「ヨーイヤセー!」

「アソレヤーットセ!」


 エイダンはあれこれ考えかけて、やめた。完全に、彼の思考力も散漫になっている。


「アラヨーイヤ……おい、何だあれは!?」


 いつの間にか、ノリに乗って歌っていたベックフォードが、突如はっとした様子で、日の沈みきる直前の山際を指差した。

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