第15話 バフ祭りスミスベルス ⑤

 ベンチ火山の向こう側に夕陽の沈みきる頃、エイダンとフェリックスは、市街地の路傍でぐったりと座り込んでいた。


「もうえらい……魔力も尽きたが……腰がしわい……」

「フ……フフ……こ、この程度でへこたれるようでは……僕の恋敵は務まらないぞ、エイダンくん……」


 家々を訪ねては、水回りを掃除し、住民を風呂に入れて回ること、ざっと八時間。


 最初に上がり込んだトーマスの家は、工房つきで、従業員を住み込ませる備えがあったため、風呂も付いていたが、職人街の住宅の多くは、風呂なし、または共用であった。

 その場合、ぐだぐだしている住民を背負って、銭湯まで連れて行く事になる。

 銭湯も当然のように、長らく掃除されていないので、床を簡単に拭き清め、水を浄化する。


 魔術の連続行使も大変だが、それ以前に、肉体労働としてダンジョン探索級のきつさだった。


「しかし……君は凄いな! 皆、湯に浸かった途端シャッキリしたぞ! あれも治癒術なのか?」

「火属性の治癒術じゃね。あんまり他に使う人はおらんけど」

「大したものだ! 見よ、この成果を!」


 立ち上がったフェリックスが両腕を広げて後方を示すので、エイダンもつられてそちらを振り仰いだ。


 通りに並ぶ、解呪を済ませた家々では、明かりが灯り始めている。

 精神を立ち直らせた街の住人達は、通りのゴミをかき集め、炊事の火を焚き、早くも忙しなく立ち働き始めていた。


「お、さっきの治癒術士さん!」


 車輪が外れ、倒れていた辻馬車を、数人がかりで起こしにかかっていた男の一人が、エイダンに声をかけた。

 誰かと思えば、トーマスである。先刻までとは別人のように、活き活きとした顔色をしている。


「あんたらには世話になったな。本当に助かったよ。今日の宿は決まってるのか? せっかくならうちに泊まって行っちゃどうだ、ご馳走するぞ」


 工房の親方だけあって、本来のトーマスは、面倒見の良い人物であるらしい。


「いんや、どういたしまして……」


 と、照れたエイダンが後ろ髪を掻き混ぜている間に、代わって返答の声が上がった。


「すまない、彼らには中央区の宿を用意しているんだ。ミーティングもあるから、そちらに戻ってきてくれないか」


 硬い調子でそう告げたのは、路地から出てきたベックフォードだ。


「任務は順調なようだな。もう日没だ、続きは明日行うとしよう」

「はぁい」


 暗い中で、散らかった他人の家に侵入したくはないし、もう魔力も尽きている。引き上げ時だ。

 エイダンとフェリックスは、ベックフォードに続いて中央区への道を歩き始めた。


「コチ先生以外の治癒術士の仕事現場を、じっくり観察したのは初めてなんだ。実に感動した!」


 道端で少しの間座り込むうちに、フェリックスは元気を取り戻したらしく、昂揚のままに喋り通している。師匠のコチが太鼓判を押すだけあって、恐ろしい程の体力の持ち主である。


「これが、魔術で人を助ける、地域社会に貢献するという事なのだな! コチ先生やシェーナの生業なりわいの喜びは、ここにあるのか!」

「フェリックスさんて、コチさんに弟子入りして、どれくらいになるん?」


 水筒の水を飲んで、いくらか息を吹き返したエイダンは、フェリックスに質問する。


「弟子入りしたのは、半年程前だったかな」

「割と最近なんじゃね」

「先生がシルヴァミストにお越しになったのも、比較的最近だと聞く。気づいているとは思うが、先生は極東に位置する島国、アシハラの生まれなのだ」


 その国名は、教科書に載っている世界地図くらいでしか知らなかったが、一先ずエイダンは頷いた。


「ただ、そもそも僕の冒険の始まりは……そうだな、六年も前に遡る」


 突然、フェリックスが遠い目をして語り出す。

 何と応じたものか分からず、エイダンは「はあ」と生返事をした。


「六年前……僕もシェーナも十五歳だった。父の主催したパーティーに出席した僕らは、会場で初めて顔を合わせた。その時もう、シェーナを婚約者フィアンセとする事が、両家の間で決まっていたそうだ」

「十五! 大変じゃねえ」


「そうでもないさ。やや早い年齢ではあるが、家と土地と、そこに住む民の安寧のためにも、真剣に婚姻を考えるのは、我々地主階級ジェントリの、果たすべき責任の一つだからな」


 さらりとフェリックスは明かし、そんな気はしていたが、やはり結構な階級の出身なのだな、とエイダンは納得する。

 貴族のような相続性の爵位こそ持たないが、広大な土地を所有し、帝国議会への参政権を持つ地主階級ジェントリは、事実上、この国を動かす権力を有する上流階級だ。


「僕らの結婚は、両家に祝福され、地域の人々にも喜ばれるはずだった。何より、僕自身がそのパーティーで、彼女に夢中になってしまった。二ヶ月後には正式な婚約だと告げられても、何の不満もなかった……寧ろ夢のようだったとも!」


 そう語るフェリックスは、今現在も夢見心地らしい。

 エイダンやベックフォードが通りの角を曲がったのに気づかず、うっとり虚空を眺めて直進しかけるので、慌ててエイダンは、彼の裾を掴んで引き止めた。


「どこ行くんよフェリックスさん!」

「ああ失礼。どこまで話したかな。そう、それで二ヶ月後――予定どおり、婚約パーティーが催されたのだが。彼女は会場に現れなかった。後から聞いた話では、会場への道の途中で、ドレス姿のまま馬車から飛び出し、それきり行方知れずになったそうだ」

「馬車から飛び出し……?」


 エイダンは鸚鵡おうむ返しに呟いた。シェーナには、結構豪快なところがある。


 当然、キッシンジャー家は彼女の行方を探した。

 すると数ヶ月後、両親のもとにシェーナから小包が届いた。包みの中には彼女が身につけていたアクセサリー類と手紙が入っていて、


『ごめんなさい。生活費に困ったので、仕立てて貰ったドレスの布だけ売りました。元気にしています』


 と、シェーナ本人の筆跡で記されていたという。

 筆跡に震えもない事から、一応シェーナは無事に生きていて、家に戻らないのは彼女自身の意志によるもの、という事が分かった。


「勿論、今でもご両親は、彼女の身を案じているがね」

「そりゃそうじゃろな」


 エイダンは早くに両親を亡くしていて、記憶にもないのだが、現役で祖母に心配をかけている身であるし、こちらとしても祖母の暮らしぶりは心配なので、何となく理解出来る。


「僕もまた、彼女を心配したし、不甲斐ない自分に悩みもした。きっと僕が地主階級ジェントリとして、男として、頼りなく魅力に欠けていたから、彼女はあんな行動を……」

「いや、そんなこたーなぁよ……多分」


 嘆くフェリックスを、エイダンは曖昧にフォローする。

 実の所、八時間行動を共にしてみて、エイダンは彼に好印象を抱いていた。結婚相手にどうかという話はともかくとして、誠実で真摯で、階級の異なるエイダンや職人達に対しても、分け隔てなく接する人柄の持ち主だ。


 ともあれ、シェーナの逃亡事件を受けて苦悩したフェリックスは、かつて一度だけ対面した際に、彼女が口にした言葉を思い出したそうだ。


『本当は将来、治癒術士になりたいの。それも、身分やお金に関係なく、困ってる人は誰でも治してみせるような』


 シェーナは、一流の治癒術士に憧れていた。

 彼女の憧れの存在になれたなら、自信をも持って、再び迎えに行けるのではないだろうか。

 そう考えて一念発起、治癒術士に師事し、魔術の修行を始めたフェリックスだったが――


「どうやら僕には、あまり魔術士の才能がないらしいんだ」


 人間の持つ魔力総量や、それを操作し放出する能力には、身長や体重、あるいは運動や学問への向き不向きと同じく、個人差がある。


 フェリックスは魔術士向きの体質ではなかった。辛うじて、風属性の精霊の加護がある事は判明したが、『風』は特別、治癒術に適した属性でもないし、『一流の治癒術士』となるのは困難を極めるだろう、との結論に至った。


「結果、僕はますます自信を失ったって訳さ。治癒術士の道を諦め、シェーナへの思いも忘れてしまおうと、色々な事に打ち込んだ。剣術に弓術、馬術、絵画、フラワーアレンジメント……」

「結構人生楽しんどるな」

「……だが、思いを断ち切るのは難しかった。そんな中、半年程前だ。うちの地方で、とあるやまいが流行ってね」


 幼い子供に伝染しがちな熱病だった。

 街でも農村でも、何人もの子供が高熱に倒れ、治療院ちりょうりんも手が回りきらない。このままでは多数の犠牲者が出ると、地元の名士としてファルコナー家は危機感を強めた。


 そこに、まさしく颯爽と現れたのが、東洋から来た『浄めの踊り子』。風の治癒術士、コチである。

 彼女は卓越した強化魔術の使い手で、対象者の体力や免疫力を、各段に底上げする。しかも、強化の持続時間は数十日にも及ぶ。

 コチの働きによって、その地域の集落の子供達は病に打ち勝ち、次々と救われた。


 ファルコナー家の当主――フェリックスの父は、彼女を歓待し、ぜひこの地に留まってくれ、厚遇を約束する、と申し出たのだが、コチは旅の途中だからと、それを辞退した。寝床と食事以外、ほとんど謝礼も断ったそうだ。


「僕は……ただただ感銘を受けた。シェーナが憧れる一流の治癒術士。それはまさに、コチ先生だ」


 フェリックスの加護精霊は、コチと同じ風属性。修行を積めば、彼女のサポートくらいは出来るのではないか、と彼は考えた。それにコチは、極東からたった一人、シルヴァミストを訪れたばかりで、何かと不案内である。通訳と付き添い役が必要に違いない。


 即座に決心したフェリックスは、コチに頼み込んで弟子入りの許可を得ると、旅立つ彼女に付き従い、家を飛び出してしまった。


「えっ。ほんなら、あんたも家出人?」


 思わず、エイダンは話の腰をへし折った。


「その言い方は人聞きが悪いぞ、エイダンくん。一応実家には、手紙で無事を知らせてある」


 立派に家出である。シェーナと大差ない。

 エイダンは、顔も知らないキッシンジャー・ファルコナー両家の人々に、少しばかり同情した。


「君も、あの時のコチ先生を目の当たりにすれば、きっと同じように感動しただろうさ。街の家々の上から、ほら、丁度あんな風に治癒術を……」


 またも、フェリックスがうっとりと夜空を指し示すので、幻覚でも見ているのではないだろうな、とエイダンは、指の示す先を見上げた。


 ――三階建ての建物の屋根の上に、コチが仁王立ちをしている。

 幻覚ではなく、本物だ。


「な、何をしているんだ彼女は!?」


 エイダンが声を上げる前に、ベックフォードが気づき、叫ぶように言った。


「せ、先生! 流石にそこは危ないです!」


 遅まきながら我に返ったらしいフェリックスも呼びかける。


 コチは地上の騒動に、平然と手を振ってみせると、建物の隣に生えた背の高い木へと飛び移り、リスか何かのようにするすると降りてきた。


「ウーン、動かない屋根の上でも心配されるんだネ。詩作にいい場所だったんだけどネ」

「屋根ってのは、そんなに登る用には作られとらんけ……詩作?」


 耳慣れない言葉に、エイダンは説教を途中で止めて聞き返す。


「ワタシの治癒術に使う詩だヨ。西洋ではどうか知らないけど、ワタシの故郷では、『風』の精霊様は一番の気まぐれ。歌って踊って、褒め称えてあげなきゃ、お願いを聞いてはくれないヨ」


 なるほど、『浄めの踊り子』とはそういう職なのか、とエイダンはつい納得しかけて、いやしかし、屋根に登るか否かとは関係ないだろう、と思い直した。


「先生の詩は、その土地ごとに合わせて錬られるが、毎度素晴らしいものだぞ」


 我が事のように胸を張るフェリックスに対して、コチは頬に指先を当て、何事か思い悩んでいる。


「デモ、ここではちょーっとスランプ気味ネ。山の上に置きっぱなしの、スロースの死骸の影響カシラ。いつもなら、その土地の精霊の『好み』だとか、土地に生きる人達がどう精霊を敬ってきたか、とか……スッと感じ取れるから、すぐ詩が浮かぶんだけどネ」


 口調は軽いが、その苦悩はそれなりに深刻なようだ。

 悩んだ挙げ句、また屋根に登られても困るし、何か助けられる事はないだろうか、とエイダンは考え込み、ふと思いついて鞄を探った。


「そうじゃ。感じ取るのが難しいなら、普通に知識として得てみるのもええかもしれんよ」


 そう言って取り出したのは、旅立ち前に自作した、『旅のしおり』である。アンバーセットの町立図書館に置いてあった、スミスベルス周辺の地誌、風土誌に関する資料の内容を、ざっとではあるが取りまとめてある。


「例えばこれなんか、昔のスミスベルスで、職人達が作業の時に歌った民謡らしいんじゃけど」

「ワオ! 小粋な事するネ、キミ!?」


 エイダンの開いてみせた冊子に、コチは食いついた。


「ワタシ、シルヴァミスト語読むの苦手なのだけど……コレ、何て書いてあるのネ?」

「えー、『精霊王賢猿ヴラダ、思い悩んで腰掛けた、風来のイーナンに聞いてみよう、聞いてみよう』……じゃね」


 精霊王の伝説を、お囃子風に歌い上げた内容だ。


 スミスベルスの街が築かれた『ベンチ火山』の名は、太古の時代において、火の精霊王ヴラダが思索のために腰掛けたという伝承に由来している。

 ヴラダは、人類の祖先に『火』という物質の力を貸し与えるべきか、人が正しくそれを使いこなせるかどうか、悩んでいた。


 伝承には続きがあって、ベンチ火山に腰掛けて悩むヴラダの前に、風の精霊王、風来のイーナンが、わしの姿で現れる。

 気ままな旅を愛し、世界中を自由に巡っているイーナンに、ヴラダは『人間とは賢明か、愚昧か』と問う。

 イーナンは、自分が実際に目にした中で、最も愚かしい人間の王と、その暗君を救った賢人の話を聞かせる。

 その話に感じ入ったヴラダは、人類の可能性に賭け、火を与える事を決めた、という顚末だ。


 このエピソードは、教訓説話として現代でも度々語られている。特にこのエアランド州には、『ヴラダのみならずイーナンに訊ねよ』とのことわざがあり、これは『思い悩むより実際に見聞してみるのが良い』といった意味合いである。


 ――そのような解説を、『旅のしおり』をめくりつつ、エイダンはコチに披露した。


「そっか……この地方でも、火と風の精霊は相性がイイのネ? 東洋でもそうヨ!」


 閃くものがあったのか、コチは手を叩いて喜ぶ。


「なーんか、一首浮かびそうネ! アリガトウ、エイダンくん! ネ、この『旅のしおり』借りてもイイ?」

「ええよ。メモ書き込んだり、どう使つこうてくれても」


 エイダンが冊子を渡すと、コチははしゃいだ様子で、早速筆を取り出した。


「ところで……詩作は構わないが、一旦全員宿に入って欲しい」


 不機嫌に低めた声がその場に響き、エイダン達は、はたとそちらに顔を向ける。

 先程コチが屋根に登っていた、三階建ての建物を、ベックフォードが仏頂面で指差していた。


 よくよく見ると、示された建物は宿屋だ。看板が出ている。フェリックスの長話を聞いているうちに、いつの間にか到着していたらしい。


「す、すんません。お邪魔します」


 冊子にサラサラと文字を書き込んでいるコチと、それを笑顔で見守るフェリックスを、強引に引っ張って、エイダンは宿屋に入っていった。

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