第14話 バフ祭りスミスベルス ④
率直に言って、スミスベルスの街は大変な有り様となっていた。
人間が精神力を吸い上げられた場合、単純に全く動けなくなるのかというと、どうやらそうではないらしい。それではすぐに死に至ってしまい、ドラコニク・スロースの『餌』の発生源がなくなってしまう。
スミスベルスの人々は、最低限の活動をこなせる、ぎりぎりの怠惰ぶりを維持させられていた。
しかし、路上と言わず家の中と言わず、そこらじゅうがゴミだらけだし、辻馬車は道のど真ん中にひっくり返っている。酒場には泥酔した客達が、折り重なるように倒れて寝こけていた。
客といっても、きちんと金を払っている様子はなく、勝手に厨房の戸棚を開けたりしているのだが、店主の方も酔って寝ているので、咎める者がいない。
肉屋も八百屋も同様で、床に転がり、干からびかけた品物を掴んでは食い漁る者だらけだ。
「こりゃあ……」
我知らず、エイダンは絶句した。間違いなく、厄介な大仕事になる。
「治癒術士の応援部隊か? 助かったぞ、まだこの北東地区は手つかずでな……!」
坂の上から、きびきびとした歩調で下ってきた、小麦色の肌に長身の女性が、声を上げる。エイダン達は揃って、そちらへと姿勢を正した。
軍務でも経験しているのか、隙のない物腰の冒険者である。レンジャー風の旅装で長弓を背負っているが、弓に加護石が嵌め込まれており、どうやら魔術士のようだ。
「今回の作戦の指揮を執らせて貰う、治癒術士のマデリーン・ベックフォードだ。出迎えも出来ず失礼した。何しろ街がこの有り様で、まだ外部との連絡もままならない。ドラコニク・スロースの死体を片づける、魔物解体業者すら未到着なのだ」
ほとんど息継ぎもなく、滑らかな口調で現状を説明するベックフォードを見つめていたコチが、唇を尖らせ、こそりとエイダンに囁く。
「お祭りだと聞いてたのに、随分カタい感じの仕切りネ?」
一行を代表して、シェーナが一歩前に進み出た。
「ドラコニク・スロースの死体が、まだ残ってるの?」
ベックフォードは苦々しげに息を吐いて肯定する。
「何しろあの巨体だ。仕留めた現場は山頂だったし、スロース退治に来た冒険者パーティーだけでは、下ろしきれなかった。解体のプロが必要だが、あまり到着に時間がかかるようだと、スロースを餌とする上位捕食者が飛来してしまう」
「スロースを食べる? そんなんおるの?」
エイダンの疑問には、ハオマが応じた。
「その存在は聞き及んでおりますよ。北の大陸より生まれ来る大型
「い、色々おるんじゃねぇ」
魔物の世界も、しっかり弱肉強食である。
「先に到着した治癒術士達には、役場や警備兵の屯所、
「……五人パーティー扱いなのね」
シェーナは渋面を浮かべた。
「素晴らしいじゃないか。シェーナ、君ともう一度手を取り合える日が来ようとは――」
「手なんか一度も取り合ってないわよ」
感極まった表情のフェリックスの呼びかけを、シェーナがばっさりと切り捨てる。
スミスベルスに向かう途中の路傍で、二人が顔を合わせて以降、始終この調子である。
「一緒にお仕事出来るのは嬉しいけど。まずは街の人達の解呪だヨネ? ワタシの弟子は、まだ解呪の魔術使えないヨ。ワタシの強化魔術のサポート役として連れて来たからネ」
コチが悩ましげに、再び口を尖らせた。
「力仕事なら、お役に立てそうだけどネ」
「ほんじゃったら、俺の手伝いしてくれると、ごうげに助かります。風呂を焚かなぁなんで」
「……風呂? バフじゃなくてバス焚き?」
駄洒落なのか本気の疑問なのか分からないコチの問い返しに、エイダンは頷く。
「そういう治癒術を
「ヘェー! シルヴァミストは神秘の国ネ! ワタシの国のヒトも、お風呂はみんな大好きだけど、お風呂で解呪するヒト、初めて見たヨ!」
「シルヴァミストでも、彼の魔術は結構特異よ」
シェーナが訂正を入れた。
「それならフェリックス、コチラのお風呂屋さんを……名前何だっけネ?」
「エイダン・フォーリーです」
「エイダンくんを手伝ってあげてヨ。ワタシが『バフ炊き』をする時が来たら、呼ぶヨ」
「うっ……分かりました、先生のご指示ならば」
フェリックスは悲愴な声音で返答し、シェーナの前に立つと、胸に手を当てて俯いた。
「僕らは再び遠く離れ離れになってしまうけど、また巡り逢える瞬間を信じているよ、シェーナ!」
「……同じ町内にいるので、すれ違うくらいはあり得ますね」
早くもうんざりとした様相で、ハオマは蛇頭琴の弦を調整している。
「シェーナ、事前の打ち合わせどおり、貴方が解呪を、拙僧が強化を担当、という事でよろしいですか」
「ええ、それでお願い」
フェリックスの熱烈な視線を回避して、シェーナは早速ハオマと、家々の戸を叩きにかかった。
名残惜しそうにシェーナを見送るフェリックスへと、エイダンは声をかける。
「こっちも、始めてええじゃろか。よろしゅうお願いします、フェリックスさん」
「うむ……! そうだな、胸を借りるつもりで頑張るさ、我が
「ライバル?」
妙な呼び方をされた。何やらとてつもない誤解が生まれてはいないだろうか、とエイダンは少しばかり首を傾げたが、目の前の大仕事への意気込みの方がまさり、差し当たっては放置する事にした。
◇
多くの住宅は、鍵も掛けずに開放されている、とベックフォードは説明した。
やむを得ない事態のため、今回の任務中は、勝手に民家に上がり込む事が許可されている。必要な場合は、扉や窓を壊しても不問だ。
「
またも、フェリックスは感動してみせた。
どういう訳か、古代の叙事詩に登場する英雄達は、しばしば他人の家に上がり込んで、箪笥を荒らしたり、壺を割ったりするのである。
エイダンも、故郷にいた頃から冒険譚は好きで、村の教師に古典を借りて読んだりもしたが、この手のエピソードは不思議だった。
「うちん
「うむ。僕らが思っているより、現代の人心は荒廃しているのかもしれない。嘆かわしい事だな」
雑談を交わしているうちに、エイダンとフェリックスは、目的の民家の玄関前に到着した。
「ごめんください!」
フェリックスが大声で呼びかける。返答はない。が、建物の奥で、僅かな物音がした。
二人は顔を見合わせ、扉を開ける。
「わやじゃ」
「凄まじいな」
工房を兼ねた職人の住まいと思われる、その家の中は、散らかり放題となっていた。
床に転がっている、ノミやナタといった工具を踏まないように、エイダンは家の中を抜け、奥の寝室に、中年の男の姿を見つける。
「えっとここの家主は……トーマスさん。木彫り細工師のトーマスさんのお宅じゃね。トーマスさーん、治癒術士です! お風呂入りますよー!」
「うう……面倒……」
エイダンの呼び声に、男は呻くように返事を寄越した。突然の侵入者に対して、警戒する様子もない。ベッドの上にごろりと横たわったままだ。
「風呂場まで連れて行くんが、まず一苦労じゃなこりゃあ」
ベッド脇に積み上げられた、汚れた食器類を持ち上げて、「よっしゃ」とエイダンは気合を入れる。
「まずは、簡単にこの辺を片づける。多分、風呂場も
「叙事詩の英雄というより、訪問介護サービスだな」
いくらか場に呑まれたような顔をするも、フェリックスはエイダンに負けじと、「よし!」と気勢を上げた。
「負けてなるものか! コチ先生に認められ、ついに治癒術士としての初任務にあたるのだ。風呂掃除でもトイレ掃除でも成し遂げてみせよう! 我が名は誇り高きフェリックス・ロバート・ファルコナー、精霊王と父祖と愛する女性のために……」
「あ、そっちに落ちてる皿拾ってくれんかねフェリックスさん」
「任せられよ!」
かくして、怒涛の掃除が始まった。
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