第4話 幽霊古城レイディロウ ④
最上階に続く階段は、予想したとおり、奥の板戸の向こうにあった。
梯子と呼んだ方が良さそうな、急な階段を上りきってみると、そこは打って変わって、こぢんまりとした部屋だった。全面が壁に囲まれてはいるが、鐘楼を思い起こさせる造りとなっている。
部屋の中心にでかでかと安置されているのは、鐘ではなく、湖水の汲み上げ装置と貯水槽。そしてその中の、一抱え程もある六角柱型の石。
「『加護石』……? こんな大きな!」
貯水槽を覗き込んだシェーナが声を上げる。
「なるほど。加護石に浄化の治癒術を封じ込めておいて、湖の水を汲み上げ、浄めた水を階下に行き渡らせる。地形の影響で魔力の淀みやすい城内に、この仕組みで簡易な結界を張ってたって事ね」
「じゃあ、言ってみれば大浴場は副産物じゃんな?」
エイダンが口を挟むと、シェーナは苦笑を返した。
「副産物にしては、付近の住民共々、かなり恩恵に与ってた様子だけど。城主様の口ぶりからすると、浴場を色んな客に開放してたみたいだし」
何にせよ、この浄化装置は非常に上手く機能していた。城の放棄から数十年経っても、廃墟の城に、凶悪な魔物を
「でも、今この加護石からはほとんど魔力を感じない。石に封じられた魔力の属性が、何だったのかも分からないわ。多分、経年劣化で霧散しちゃったんだろうけど」
「汲み上げ装置も、今は動かす者がいない。『濁らずの泉』の水は、循環する事も浄められる事もなく停滞……それまで淀みを抑え込んでいた分、反動も激しく、一気にアンデッドが凶悪化した。城主夫妻の、この城への愛着という思念まで、レイスと化してしまった……」
マックスがシェーナの説明を引き継ぎ、気の毒そうに首を振る。
「夫人が侵入者である我々を殺さず、たださらって浴場に放置したのは、『客人を歓待する』という生前の思念が、魔物と化しても習慣として残っていたからだろうな」
「だと思う。生前の行動を機械的に繰り返すってのは、アンデッドによく見られる習性だしね」
「ところで、この加護石、どがーしようかいね」
貯水槽から引き上げられ、床に据えられた加護石を撫でて、エイダンがパーティーの面々を見回した。
「これからも、この城の人達が安心して眠れるようにするには……その加護石にもう一度、浄化の治癒術を封じて、元の場所に戻すのが一番良いと思うけど。でも、こんなとんでもない大きさの加護石に、そんな高度な魔術を篭めるなんて、大仕事よ。あたしにはとても無理。一体全体、誰がやってのけたんだか」
「……エイダンなら、出来ないかしら」
シェーナに続いてそう発言したのは、イライザだった。
他のパーティーの面々――サムやオリバーまでも、おや、という顔でイライザを見る。
何しろ、最初に顔を合わせた時にからかって以降、イライザがエイダンに声をかけるのは、これが初めてなのだ。
仲間達の視線に、イライザは頬を紅潮させた。
「何よ。……分かってるわよ、からかったりして悪かったって! 私も田舎の出だから、逆に人の訛りが気になんがいぜ! それはともかく! 彼の治癒術士としての実力が確かってのは、この状況見れば分かるでしょ!?」
城全体を包む魔力の淀みを浄化し、四人にかけられた呪術を一度に解呪し、レイス二体を浄めてみせた。ついでに、本人とシェーナの負っていた軽傷までも治療している。これは間違いなく、上級冒険者や宮廷魔術師レベルに相当する所業だ、とイライザは力説する。
「そ、それは、嬉しい評価なんじゃけども」
エイダンは慌てて両手を振って、イライザの口上を止めた。
「俺、加護石に魔力を篭めるっていうの、成功したためしがないけん」
「は? 魔術学校に入ったなら、最初の実技でやるんじゃないの?」
「それが半年間、全く出来んで退学に」
多くの魔術士見習いにとって、魔力行使の第一歩となる、石や結晶、金属への魔力伝導。エイダンは、それらを苦手としているのだ。
「お湯とかお茶っ葉なら、何とかなるんじゃけどね」
「お茶っ葉? ……ああ!」
シェーナがぽんと手を打った。
「あたしとエイダンだけ、レイスに捕まらなかった理由……! あんたの淹れた紅茶に、アンデッド避けの効果があったのね? あたし達だけ、皆より少し多めにおかわりした上、野営地を発つ直前に飲んだから」
「治癒術使えるようになったばっかで、まだ調節がきかんで。軽く温めて蒸らそうとしたら、勝手に、お茶に魔除けの術が付いてしもうたんよ」
そんなエイダンの能力を、最大限発動させるには、魔力伝導により摂氏四十度前後に温めた湯が必要となる――らしい。
在学中にそれに気づければ良かったのだが、残念ながら、彼が火属性の呪術をアレンジし、湯を媒介にした治癒術を初めて完成させたのは、つい先日。とっくに退学となった後だった。
実戦の場で魔術を使うのも、これだけ大量の水を熱したのも初めてだ。試行錯誤の段階で、擦り傷を治すのに成功はしたが、レイスを浄化させるような効力を発揮するかどうかは、完全に賭けだった。
今回は、解呪の対象が全員湯の中に浸かっていたし、レイスは蒸気の届く場所に位置取っていた。偶然、条件がベストな状態で整っていた訳だが、とはいえ正直、もう一度同じ状況で、同じ事が出来る自信はない。
火事場の馬鹿力。ビギナーズラック。結果良ければ何とやら。そういった類いの成果だ。
「だけん、このレイディロウ城の命運がかかっとるような加護石を託すなら……もうちょい安定した実力のある人の方が」
「『濁らずの泉』に浸かった状態でやったらどうかしら」
思いついた様子でシェーナが言い、木戸から階段の下をひょいと覗き見る。
「……何だか、五階が騒がしくない?」
階下を見渡したシェーナは、ぎょっとした。
どうやってここまで上ってきたのか、ゴーストやスケルトンの集団が、浴槽の中いっぱいにひしめき合い、のほほんと風呂を楽しんでいる。
城主夫妻と同様、凶暴性は落ち着いたように見えるので、あの湯の中で温まっていれば、じきに完全に浄化され、消えてゆくだろう。が、彼らと一緒に入浴したいかと言われると、躊躇われるところだ。
「ありゃあやっぱ、風呂に入りたくて化けて出ただけじゃな」
エイダンは、納得顔で一人頷いた。
◇
「それで結局、加護石は冒険者ギルドの預かりになったんだっけ?」
アンバーセットの街の中心部。冒険者ギルドの寄り合い所を兼ねた酒場、『跳ねる仔狐亭』の一角で、バターつきパンを頬張るエイダンに、シェーナは訊ねた。
「うん。一応、俺も宿屋の風呂場を借りて、治癒術の封じ込めに挑戦してみたんだけども。やっぱ無理じゃったね」
最終的には、国の正規軍所属の治癒術士が数人がかりで、加護石の力を復活させたそうだ。
これで当面は、レイディロウ一帯のアンデッドも落ち着くだろう。しかし疑問は残る。
一体いかなる技師や魔術士が、あの『濁らずの泉』の造設に関わったのか?
興味を持ったエイダンは、もう一度町立図書館に行って、尖塔建設当時の事を調べてみたのだが、その疑問への解答は結局、見つからなかった。
「物凄く奇特な、通りすがりの天才魔術士でもおったんかな」
首を傾げつつ、ミルクを喉に流し込むエイダンである。
酒場なので、周囲の客は皆エールや安めのワインを飲んでいるのだが、彼はというと、まだ酒の味に馴染めない。
「通りすがりの天才魔術士、ねえ……。そういえば、期待の新鋭
「茶化さんどいて下さいよ」
「茶化してないって。先輩冒険者として心配してるの。あんた、やり手なんだか危なっかしいんだか分からないんだから」
そう言うシェーナの眼差しは、確かに真摯なものだった。エールを一杯飲み干したばかりで、ご機嫌な様子ではあるが。
「お陰さんで、どうにかやれとる。住まいも借りられたし」
と、エイダンは態度を改める。
レイディロウ城調査隊のパーティーは、街に帰還した後解散した。
が、シェーナやイライザ達が、ギルドにいくらか口を利いてくれたらしく、エイダンも細々とではあるものの、配達や警護などで、生活出来る程度の仕事を得られるようになった。
「そんで、元手が出来たけん、ちょっと別の仕事も始めようかと」
「なに?」
「風呂屋」
冒険者ギルドの近くには、旅人達が、狩りの獲物やトレジャーハントで仕入れた怪しげな物品を売り捌く、蚤の市通りがある。
エイダンはその片隅を借りて、風呂屋を始める事にした。
今のところ、幌を繋ぎ合わせたテントと、すのこ板と、木樽の風呂桶しかないが、まあ、これからだ。
話を聞いたシェーナは、一瞬目を丸くして、それから笑い出した。
「いいじゃない! あたしも、任務がない時はちょっと手伝いに行くわ。大量の水が必要になるでしょ?」
「えーっ、まだ人を雇う余裕は全然……」
「レイディロウから全員無事に戻れたのは、エイダンのお陰みたいなもんだもの。恩返しくらいさせてよ」
けろりと答えて、エールのおかわりを注文するシェーナに、エイダンは少しばかり、言葉を失った。
魔術学校も寮も追い出され、仕事も住まいもなかなか見つからなかった時期には、都会は恐ろしい所だ、などと思ったものだが――
――こういうのを、捨てる精霊様あれば拾う精霊様あり、と言うのだろう。多分。
若き治癒術士はそんな事をしみじみと考え、香ばしく焼かれたパンの最後の一片を堪能するのだった。
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