第10話 それぞれの想い
「帰ったよ」
柚貴がリビングに入ると、ダイニングテーブルに純と柚人が座っており、カレーを食べようとしていた。
柚貴はソファーにバッグを置く。
「いらっしゃい。柚人が友人を招くなんて天変地異でも起きた?」
「うるさい。不可抗力だよ」
純は軽く頭を下げる。
「お邪魔してます」
「実は、僕も客人を連れてきたんだけど……。入ってきなよ」
蓮が恐る恐る入って来ると純と蓮が声を合わせる。
「蓮!」
「純!」
柚人は二人を目を細めて無表情で見つめると柚人に軽く頭を下げる。
「お邪魔します」
「僕たちも食事にしよう。蓮は彼の隣に座って」
蓮は純の隣に座り、柚貴はキッチンでカレーを温める。
柚人は無言でカレーを食べている。
「偶然ってあるものなんですね」
蓮は緊張してぎこちない喋り方になる。
「運命は偶然か必然か。僕は必然だと信じたいね」
柚貴がカレー皿を蓮の前に置くと、もう一つを柚人の隣に置き、席に着く。
「お待たせ」
「おいしそう! 頂きます」
柚貴は蓮の嬉しそうな顔を優しい眼差しを向ける。純は柚貴の表情で察した。蓮の横顔を見ると蓮の目が赤く腫れているのに気づく。
「蓮、お前の目、赤いぞ」
蓮は目は慌てて目をこする。
「そっ、そうかな……。徹夜続きだったから……かな」
動揺した蓮に柚貴が声をかける。
「蓮、今夜はありがとう。何かお礼を」
柚人はカレーを食べる手を止める。
「じゅんじゅん、怒らないで聞いて。この俺そっくりの兄がじゅんじゅんの大切なお姫様の唇を奪った張本人」
三秒間の沈黙の後、蓮は身振り手振りで慌てる。
「えっとそのそれはそういう意味じゃなくて、えっとその……」
「柚人の友人が困ってるじゃないか。確か高木君だったかな」
「あぁ」
純の声は苛立っていた。二人の気まずい空気に蓮は交互に見やる。
純は無言でカレーを食べる。
「俺、これ食べたら帰るよ」
蓮は柚貴に苦笑いを浮かべると柚人が口を挟む。
「そうした方が良いかも」
「柚人、言い方」
柚貴は困った顔をする。
純はカレーを食べ終えると立ち上がる。
「ごちそうさまでした。悪いけど、俺、先に帰るわ」
「えっ、ちょっと、純」
「邪魔したな」
純は乱暴な足取りで部屋を出ていく。柚人が追いかけようとすると柚貴が柚人の方に手を置き首を横に振り制止する。
「僕が行くよ」
柚貴は蓮に笑みを浮かべると部屋を後にした。
柚貴はエントランスを抜け、外に出ると純の後ろ姿を見つける。
純は背後の足音に気付き振り返る。
「今日はせっかく呼んでくれたのに悪い」
柚貴に視線を逸らしながら気まずそうにする。
「その……なんだ。子どもは俺の方だったかも。欲しいと思うものを固唾を呑んで我慢するのやめるよ。駄目と分かっていても気持ちだけは伝えることにした」
柚貴は目を細める。
「それで、伝えた後どうするの」
柚貴の鋭い視線に純の真面目な顔になる。
「受け入れてもらえないならそれでもかまわない」
「じゃあ、彼の気持ちは?」
「蓮の気持ち?」
柚貴は純に一歩詰め寄る。
「君が気持ちを伝えて満足なの? 彼の心がどうなっても」
「それは……」
「僕は蓮に気持ちを伝えたよ」
不敵な笑みを浮かべる柚貴に戸惑う純。
「僕は柚人じゃなくて柚貴」
純は一歩下がる。
「柚人のこと気にかけてくれているようだけど、僕たちの見分けがつかないようなら僕たちに踏み込んでこないで欲しい。関わるなとは言わない」
純は言葉が出ずに困惑する。
「君がただお節介で、いい人でいたいなら今のままがベストだと思うけど。話はそれだけ」
柚貴が純に背を向けると蓮が歩いてくる。
柚貴は背を向けたまま純に言い放つ。
「君に芸術を生み出す苦悩は分からないだろうね」
蓮は小走りで柚貴に駆け寄る。
「俺、帰るよ。明日、学校行って絵を描く。芸術祭の締め切りが来週だから」
「そっか、じゃあ、また改めて」
柚貴は蓮の額にキスをし、耳元で囁く。
「どんなことがあっても自分に嘘だけはつかないで」
「それってどういう……」
柚貴は蓮を見つめて、エントランスへと向かって歩き出す。
「じゃあね」
柚貴の背中を見つめている蓮の背中を純は黙って見ていた。
「蓮、行くぞ」
純が歩き出すと、蓮は純の隣を歩き二人はマンションを背にした。
人気のない夜道を歩く蓮と純。蓮はアイスバーを手にしている。
「さっきはゴメン」
「なんで蓮が謝る」
「だってさ……」
蓮の頭を優しく小突く純。
「蓮は何も悪くないよ。でも……」
純が歩みを止めると、蓮も止まる。
「俺はお前が好きだよ。高校の時からずっと」
蓮は唖然としアイスが溶けて垂れる。
「何言ってんだよ。俺だって純のことが好きだよ」
「俺が言っているのはそう言う事じゃない」
純の荒げた声が静けさの中に響く。
蓮は純の声に動揺し瞳が揺れる。
「芸術祭の終わりを告げる花火が上がる頃、校舎裏で待ってる。それまで蓮とは会わない」
「どうしてそんなこと」
「俺は自分の気持ちを伝えたら蓮が俺から離れてしまいそうで怖い。だけど、このまま気持ちを押し殺して蓮と向き合うことも正直、しんどかったよ」
蓮が泣きそうな顔で笑う。
「なんで、蓮がそんな顔するんだよ」
「だって、初めてだったから。純は……。いつも俺に優しいけど遠慮してるのかなっていつも思ってた」
蓮は俯く。
「俺が順に心配かけてばっかりで気を使わせてた」
純は蓮を抱きしめる。
「蓮に気を使わせてたのは俺の方だ。蓮は謝らないでくれ。謝られると今までの俺を否定されてるみたいだから」
純は蓮を離し見つめる。
蓮の顔は涙でぐちゃぐちゃになっている。
「俺は……俺の気持ちは……」
しゃくりあげる声で必死に気持ちを伝えようとする蓮。
「それ以上は言わないでくれ。返事は芸術祭まで取っておきたい」
「わかった」
消え入りそうな蓮の声。
「帰るか」
「うん」
二人が歩き出した瞬間、蓮のアイスが落ちる。
「あっ……」
蓮と純の笑い声が夜道に響いた。
柚貴はソファーに座りながらコーヒーを飲んでいる。その向かいでは床に座ってテーブルに課題を広げて勉強をしている柚人。
「さっき、じゅんじゅんに何言ったの?」
「別に何も。自分の気持ちに正直になればって」
柚人はペンを置く。
「火遊びもほどほどにしてよ」
柚貴はコーヒーカップを静かに置くと窓を見る。
「火遊びなんかじゃないよ。僕は本気だよ。彼の心を本気で奪いたい」
「俺を置き去りにしても」
「僕のこの姿を見ても普通に接してくれた。今まで僕たちのことを恐れるか、金儲けに売り飛ばすかだった」
「彼は違った?」
柚貴は柚人を見る。
「ゆうもそうなんじゃない?」
「俺?」
柚貴はソファーから降りると柚人の隣に座る。
「高木君もそうだったんでしょ」
柚人は課題に視線を落とす。
「そんなんじゃねぇよ」
柚貴は柚人の肩にもたれる。
「別に柚人が誰かを吸いになることが悪い事じゃない。他人を受け入れて生きていくことも僕たちには大事なことなんだよ」
柚人は柚貴を不意に押し倒し、唇と唇が触れる手前で止まる。柚人の唇が震えている。
「そのためらいが答えだよ」
柚貴は柚人の頭をなでると、柚貴の頬にぽたぽたと柚人の涙が落ちる。
「大丈夫だよ。僕は柚人を守る。だって僕は柚人のお兄ちゃんだから」
柚貴は胸にうずくまる柚人の頭を優しく撫でる。
「僕たちは十分傷ついたんだ。だから、少しだけ幸せになろう。柚人は柚人を愛してくれる人を選ぶんだよ」
柚人はすすり泣きしながら起き上がる。
「柚貴は?」
柚貴は自分の腕で目を隠す。
「僕は多分、愛する方を選んでしまう。たとえそれが一番じゃなくても」
「柚貴はいつもずるい。俺が一番愛しているのは柚貴なのに、一番じゃなくてもいい人を選ぶんだ」
柚人は目を隠す柚貴の腕を除ける。
「俺の質問に答えて」
まっすぐに見つめる柚人の視線を逸らす柚貴。
「目を逸らさないで」
柚貴は視線をゆっくり柚人に合わせる。
「俺を拒まなかったのは何で?」
「それは、今まで柚人が一番だったから」
「それは嘘、だよね。じゃあ、次の質問。柚貴から折れにしてこなかったのは何で?」
「それは……」
柚貴は視線を逸らし唇を噛む。
「言えないなら教えてあげる」
柚人が柚貴のシャツの下からわき腹を指でなぞる。
「アッ……」
吐息交じりの柚貴の声が漏れる。
「柚貴は自分から俺を求めるのが恐かったんだよ。柚貴は失うのが恐いから最初から求めない」
「何、言って……ちょっ……」
柚人は柚貴のシャツをめくり、胸元に唇を這わせる。
「俺は柚貴のことを良く知っている。だから、ピアノのことで悩んでたこともね」
「それはちがっ……んっ……」
柚貴の反応を窺いながら、キスをしていく柚人。 柚人は柚貴の首筋に口づけをし、耳元で囁く。
「悪いお兄ちゃんだね。演奏に変化が欲しくて彼を利用したんでしょ。恋をすれば変わると思った?」
柚貴は柚人を勢いよく突き放し、起き上がる。
「怒った?」
「芸術に愛は必要だ。けど、俺はピアノが弾ければそれでいい。芸術祭のコンペで優勝すればフランス留学が出来る。柚人の演奏なら優勝できる。けれど、僕には……」
柚人は俯く柚貴の胸倉を掴む。
「バカ兄! 俺は柚貴の演奏を真似してんだよ。練習しても練習してもいつも劣等感を感じてた」
「何……言って……」
柚人は胸倉を離す。
「エントリーシート出しといたから」
「なんでそんな勝手なこと」
「真剣勝負だからな。手を抜くなよ」
柚人は広げていた課題を閉じるとそれを持って立ち上がる。
「俺が勝ったら柚貴は俺のものだ」
「じゃあ、俺が優勝したら?」
「俺が柚貴のものになる」
「何それ。そんなの賭けじゃないの」
「柚貴が勝ったら好きにすればいい。俺、寝るから。おやすみ」
柚人がリビングを後にする。
柚貴は落ちるようにソファーに座る。
「本当にバカだよ。僕は……」
消え入るような声で独り呟いた柚貴の頬から一筋の涙が零れた。
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