第51話 断たれた繋がり

「その手には引っ掛からないぞ! 俺の気持ちをまどわそうったってそうはいかん!」


「え……?」


 気づけば俺は叫んでいた。


 自分の気持ちを否定するように、月麦の言葉をさえぎった。


「俺がお前みたいなビッチと付き合うなんてことは、絶対にないからな!」


 だってこいつが俺のことを好きになるなんて、そんなことあり得ないだろう?


「最近は清楚なふりをしてごまかしているみたいだが、俺はだまされないぞ。そうやって俺をからかって遊んでいるんだな?」


 だってこいつは、いつも俺を魅了しようとしてきた。


 日葵さんと話すたびに、俺に敵意を向けてきたじゃないか。


「だが、残念だったな。俺にその作戦は効かないぞ。だって、俺が好きなのは本当に清楚でけがれのない人。つまり、日葵さんのような人なんだ!」


 自分の心で感じている大きな違和感をごまかすように、俺は早口でそう語った


「だからお前と俺は友達にはなれても、恋人になるなんてことはありえないんだ!」


 きっとこいつはいつもみたいに、お姉ちゃんに手を出すなんて許さないって言いながら怒るのだろう。


 今までだってそうしてきたし、これからだってそうなるはずだ。


 俺はそう思っていた。でも、そうならなかった。


 月麦は怒らなかった。


 何も言わず、小さく震えながら下唇を噛んで、静かに立ったまま目にあふれそうなほどの涙をためていた。


「お、おい? どうしたんだよ月麦?」


 ただ、心から悲しそうに……俺のことを見ていた。


「あ、ごめん……なんでも、ほんとうになんでもないの。目にゴミが入っちゃって!」


 月麦はそでで涙をぬぐった。


 これも俺を惑わす演技なのか?


 いや、いくらなんでも、そんなわけがない。


 月麦の泣いている姿を見て、俺の心がジクジクと痛みだす。


「そうよね、あんたってお姉ちゃんのことがずっと好きだったもんね」


 彼女は必死に涙を隠してそう言った。


「あんたにとってわたしは『友達』よね。それ以上は有り得ない。清楚な女の子が好きなあんたと、サキュバスの力をもったわたしは、絶対に相容あいいれない存在だもの……あはは、わたしったら、手を繋いでデートしたくらいでなに勘違いしてたんだろ」


 悲痛な笑顔で。


「こうやってあんたが好きそうな格好をしてみたり、お弁当を作ってみたりしても、わたしがお姉ちゃんみたいになれるわけなかったのにね……」


 それは、今までのことは全部俺の為にしていたってことなのか?


「わたし、ほんとにばかだよね……それなのにあんたをずっと遊びに付き合わせたり、今もおかしなこと聞いちゃってさ」


 また、彼女の目に涙が溜まる。月麦はその顔を見せまいとしたのか、俺に背をむけて逃げ出した。


「ま、待ってくれ、月麦!」


 俺は声を上げて、走り出した月麦を全力で追いかけようとした。


「来ないで!」


 彼女は一度足を止めて、大きな声で叫んだ。


 俺はその声に縛られるように、ぴたりと足を止めてしまった。


「ごめんね大地。今は一人にさせてほしいの……お願いだから、しばらくわたしに話しかけてこないで」


 月麦はそう言って再び走り出した。俺は去っていく月麦を止めることができなかった。


 そして、おろかな俺はそのとき初めて、大切な選択を間違えたんだということに気がついたのだった。


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 それから俺は、力が抜けてなまりのように重くなってしまった身体を引きずるようにして家に帰ってきた。


 月麦と連絡を取ろうと電話をしても繋がらず、メッセージを送っても返事が来なかった。


 俺は一晩中起きて携帯の画面を見ていたが、次の日の朝になってもそこには既読すらつかなかった。


 寝不足でふらふらした状態で、俺は大学に向かった。


 そこに来ていた日葵さんの姿を見つけて、俺はすがるように月麦の様子を聞きに行った。


「日葵さん! 月麦は……あいつはどうしてますか?」


「あ、大地くん……」


 今日は明らかに日葵さんの元気がなかった。


 いつも見せてくれる、そこに満開の桜が咲いているかのようなはなやかな笑顔はなくなり、どこか思い詰めたような暗い様子だった。


「月麦はね、大地くんとの散歩から帰ってきてからずっと部屋にこもりっきりで様子がわからないの。私が呼びかけても返事もしてくれないし、昨日からご飯も食べなくなっちゃって……」


 その理由は本人の口から聞くまでもなく、俺はわかっていた。


「きっと、大地くんと何かあったんだよね?」


「はい……」


 日葵さんが俺の前では、なんとか笑顔でいようとしている様子に心が痛んだ。


「俺が悪いんです……」


「大地くん?」


「月麦がそうなったのは、俺のせいなんです」


 だから俺はそう言って頭を下げた。


 そんなことを言ってもなにも状況は変わらない。


 ただ、自分が許されたいから謝っていることに気づいて嫌気がさした。


「……きっとふたりなら大丈夫だよ」


 でも、日葵さんは決して俺を責めなかった。


「だから、あまり思い詰めないでね?」


「……すみません」


 こんな俺にも気を遣ってくれる。そんな資格なんか、俺には無いというのに。


「ただね、家庭教師は月麦が元気になるまでお休みにさせてほしいの。それがいつになるかはわからないけど……ね?」


「はい……わかりました」


 そうして俺は、月麦との間に残っていた家庭教師と教え子という唯一の繋がりも絶たれ、彼女に会いに行く口実もなくなってしまったのだった。

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