第36話 デート後のアクシデント

「今日はすっごく楽しかったわ!」


 月麦は日葵さんへ買ったお土産の袋を抱えながら、あどけない笑顔を見せた。


「そこまで喜んでもらえたら、俺も連れてきたかいがあったよ」


「……あんたも楽しんでくれた?」


「そうだな。久しぶりにこんなところに来たから、けっこう楽しめたよ」


 俺もこんなに笑ったのはいつ以来だろうか。今日は本当に楽しかった。


「これから晩御飯食べに行くんだよな?」


「ええ、そのあとは駅前でケーキを食べるわよ。まだまだ夜は長いんだから。今日を簡単に終わらせたりしないからね!」


 元気だなあと苦笑しつつも、こうやってこいつに振り回されるのも悪くないと思ってしまう俺がいた。


 そうして駅前までやってきたとき、俺たちと同じように遊園地に遊びに来ていた小さな女の子が、まだ興奮が冷めないようで声を出して走り回っていた。


 まだ高校生くらいのお姉さんと二人で来ていたようだ。


 次はお父さんとお母さんも一緒にこれたらいいねと話していてとてもほほえましかった。


 そんなことを思っていると、前から携帯電話の画面を見たまま歩いてくる男がいた。


「あ、あぶない!」


 月麦は思わず声を上げた。


 だが、女の子はその男にぶつかって転んでしまった。


 体当たりをされた男は崩れたバランスを取ろうとして女の子の身体を蹴飛ばした。


 男は携帯を落としてしまい、それは勢いよく地面に叩きつけられたせいで画面が割れてしまっていた。


「うわああん、痛いよおねえちゃーん!」


「ああ!? 俺の携帯が!」


 男はお腹を抑えて泣き出した少女の心配をすることもなく、自分が投げて割ってしまった携帯を拾い上げてその画面を見ていた。


 女の子のお姉さんが慌てて妹に駆け寄っていき、そっと身体を起こしたあと、ぶつかった男の人に頭を下げに行った。


「あ、あのっ! すいません。妹がご迷惑を……」


「ちゃんと子供を見ておけよ! この修理代、いくらかかると思っているんだ!」


 男はいきなり、大きな声で怒鳴りだした。


「す、すいません」


 怒鳴られた女の子は声を震わせながら謝り続けていた。


「謝るだけかよ! 弁償べんしょうするのが当たり前だろうが!」


「そ、それは、今そんなお金持っていなくて……」


「はあ? ふざけんな! おい親はどこだ、電話してここに呼べ!」


 さすがに男の傍若無人ぼうじゃくぶじんぶりを見ていられなくなった俺が、その姉妹と男のあいだに割って入ろうとしたとき、俺より先に動いた奴がいた。


「あんたこそ、先に女の子の心配をするべきでしょ? この子、お腹蹴られて痛がってるし、あんたにぶつかってこけたせいでケガしているじゃない!」


 月麦は小さな女の子の方を見て言った。女の子はひざと腕をいて血を出していた。


「それに、そっちこそちゃんと前を見ずに画面見ながら歩いていたでしょうが! 自分は一つも悪くないとでも思ってんの?」


「ああん? 誰だよお前、関係ないくせに出しゃばってくるんじゃねえ! これは俺と、ぶつかってきたこの女の問題なわけ。こいつのせいで俺は携帯が使えなくなって、大事なデータも消えた可能性があるの、わかる?」


「っ……あんたいい加減に」


「月麦」


 俺は今にも飛び掛かりそうなほど怒りをあらわにしている月麦を引っ張って後ろに下げた。


「ちょっと、離しなさ……」


「お金は俺が代わりに出します、これで足りるでしょうか?」


 俺は財布の中から一万円を取り出し、その男に手渡した。


「そんな金額じゃ足りねえよ! この携帯いくらすると思ってんだ!」


「俺の連絡先を教えるので、足りなかったときは領収書を持ってきてください。追加でかかった分は支払います。その機種なら画面割れの修理はその金額で十分なはずですから」


「はあ? さっきから勝手なことばかり言いやがって、おまえだって関係ねえだろ、引っ込んでろ! 大体、修理に行くことで俺の貴重な時間も奪うんだから、もっと誠意を見せるのが筋ってもんだろうが!」


 後ろにいた月麦が魅了魔法の準備を始めている。


 俺はそんな月麦を手で制して小声で駅員を呼んできてもらうように伝えた。


「何こそこそ相談してんだよ!」


 俺は男に胸倉むなぐらをつかまれた。


 心配そうに俺を見つめる月麦に、大丈夫だから俺を信じろという意味を込めて男から見えない位置でピースサインをつくってやると、月麦はしぶしぶ俺の指示に従って駅に駆けだしていった。


 それから俺は、男にこう伝えた。


「今から準備するから、待っててもらえますか」


「準備だと?」


 男はお金のことだと思ったのだろう、俺からぱっと手を離した。


 その隙に、俺は着ていた上着を脱いだ。


「ふんっ! モスト・マスキュラー!」


 そして筋肉で鍛えられた上半身を出してポーズを決めた。


「なっ……お、おにいさん。いい筋肉してますね。へへ、なにかやってたんですか?」


 男は俺の鍛え上げられた身体を見て、急に敬語になった。


「ああ、格闘技をちょっと。興味があるならあなたも一緒にやってみますか?」


 嘘である、筋トレはしているが格闘技はやっていない。


 ただのこけおどしだが、さっきまで大声で威嚇いかくしていた男はそんな俺のはったりを聞いてから、急におとなしくなった。


「い、いやその……こっちもすいませんでした」


「修理代は払ったので、それで勘弁してくれませんかね?」


「は、はい。これで十分なんで、それでは」


 男は一万円を握りしめて逃げるように消えていった。


 やはりこんなときも助けてくれるのは筋肉である。今後も筋トレは欠かさずにしようと思った。


「大丈夫だったか?」


 俺は妹を守るように抱きしめながら、震えてうずくまっている女の子に声をかけた。


「ひいぃ! 変態!」


 俺はその言葉にショックを受けた。


 せっかく助けたのに、助けた女の子から怖がられてしまうなんて、なんてことだろうか。


 筋肉がこんなところであだになるとは……。


「まあ、そんな格好で声をかけたらそうなるわよね。ごめんね、このお兄ちゃんちょーっと頭おかしいから」


 駅員を呼びに行っていた月麦が帰ってきたようで、俺の姿を見るなりそんなことを言い出した。


 失礼な、この格好のおかげで男を追い払えたというのに。


「早く服を着なさい! 駅員がきたらあんたが連行されるわよ!」


 月麦は俺が脱ぎ捨てた上着を投げつけてきた。


「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう!」


 小さな女の子が俺にお礼の言葉を言ってくれた。とてもうれしい。


「あ、あの、ありがとうございました。お金はいつか払います。今は手持ちがないので無理ですけど、返せるようになったらすぐに返しますから」


 その子のお姉さんはそんなことを言ってきた。


「ああ、いいよそんなの。俺に返すお金があるなら、それで妹においしいケーキでも買ってやってくれ」


 俺がそう言うと、その子は本当に申し訳なさそうに何度も頭を下げた。


「お兄ちゃん、またね!」


「おう、早くケガ治すんだぞ」


 俺は小さな子には大変好感を持ってもらえたようで、別れるときに何度も手を振ってもらえた。


 うむ、人助けをすると気持ちがいいな。


 でも、ひとつだけ問題があった。


「すまんな月麦、帰りの晩御飯とケーキを食べるお金、なくなっちまったわ」


 あの場を収めるために男に一万円を渡してしまったので、今の手持ちがないのだ。


 グッズを購入する関係のお金は自宅に保管してあるから、銀行からお金を引き出そうにも、入ってないものは引き出せない。


 今の俺は完全に一文無しである。


「ばか、いいわよそんなの! あんたいくら何でも無茶しすぎ! 相手があそこで引いてくれかたらよかったけど、やけになって殴りかかってきたりしたらどうするつもりだったのよ!」


 月麦は俺を心配して本気で怒ってくれた。


「あんな奴、魅了魔法で何とかした方が確実だったじゃない! あれだけ感情が動いている相手なら、間違いなくわたしの力なら魅了できたわ」


「いいんだよ、お前がそんな無理しなくても」


「どういう意味? わたし別に無理なんて……」


「怖いんだろ、男がさ。前にそう言ってたよな」


「え……?」


「それにお前、あの男が大きな声を上げたとき、震えてたじゃねーか」


 月麦が勇敢ゆうかんにも、あの男の勝手な物言いに怒って声をあげたときから、彼女の身体はずっと小さく震えていた。


「あの子たちのために、無理をしながらも声を出したんだよな?」


 月麦は男に対しての恐怖を押し殺しながら、持っている力を使ってあの男を止めようとした。


 困っている誰かを助けようとしていたのだ。


「だからさ、俺が近くにいるときくらい、俺を頼ってくれていいんだぞ? お前言ってたじゃないか。俺がいると声をかけられるのが減りそうだって」


 俺はぽんと月麦の頭に手を置いて、そっと撫でてやった。


「あう……」


「……怖かったのによく頑張ったな。お前は本当に、優しい女の子だよ」


「――っ!?」


 月麦は静かに撫でられていた。


 しばらく呆けたように俺を見つめていたが、急にぼんっと顔を赤くしてうつむいてしまった。


「じゃあ帰るか。ケーキはまた今度、買って持っていくよ」


 そうして俺が歩いて行こうとすると、月麦はきゅっと俺の指を掴んできた。


「うん? どうかしたか?」


「……ちょっとだけ。こうさせて」


 月麦はうつむいたまま、俺と指をちょっとだけ絡ませながら後ろからついてきた。


「こっち向いちゃだめだからね」


 安心して気が抜けたのか、後ろからすんと鼻をすするような音が聞こえてきたが、俺は何も言わず、そっと彼女の手を引き続けた。

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