日傘

日傘

 校舎は駅から随分と急な坂を上った先にあって、同じ制服に身を包んだ乙女たちがその重労働に耐えながら、今日もぞろりぞろりと進んでいく。入学したばかり、中学生の頃は自分の横をスイスイと抜かして上っていく高等部のお姉さん方を尊敬し、自分もいつか、この坂に慣れてあのように悠々と登校出来るようになるのだろうと憧れたものだ。しかし、高等部に進学した私が過去の自分に告げよう。あれは慣れではない。意地である。格好良くありたいために、中等部の頃より退化した老体に鞭打って、耐えているのである。全ては格好良くありたいために。後輩と、過去の自分と。付いたのは体力ではない。息が上がり、汗をかいて疲れた顔を、後ろを歩く抜かしたばかりの後輩に悟られない技術だ。


 この坂が登校を重労働たらしめる所以がもう一つある。日陰が圧倒的に少ないということだ。道の両端には、大名行列を迎えた庶民のごとく枝垂れ桜の木々が立ち並び、春の景色はそれはそれは美しく圧巻なものだが、木陰に関して言えば如何せん道幅が広いもので足しにならない。もっと厄介なことに、朝は日の向きのために木の足元にしか影ができないので、生徒たちは直射日光にさらされるという有り様である。


 そういうわけで、毎年、夏に近づくにつれて日傘を差す生徒が一定数出現する。彼女らは決まって上級生で、そして小さな日傘の陰には飽き足らず、僅かであろうともなんとか木陰の恩恵を受けようと道の端を歩く。下級生は、未だその若さに満ちた肌を持ってして紫外線など恐るに足らず、むしろ彼女らの一番の怖いのは上級生に生意気だと目をつけられることなので、日傘を差した本校の制服を着た者は自然と上級生に絞られるというわけである。


 無論、それは一部の生徒の話であって、大抵はその日差しを気にしないか、諦めたか、重視していないかなどといった理由で、その黒髪を日に燃やしながら坂を上る。私もそのうちの一人だ。気にならないわけではない。むしろ、すぐ日焼けする自分の肌は好きではないし、朝から汗だくになるのは気分の良いことではない。しかし、傘のために片手が塞がるのは面倒だ。だから、気休めだろうと日焼け止めを塗って、肌を守っているということにしている。

 


 今朝も、坂の麓から見上げると、道端にちらほらと日傘が咲いている。私はその中に、坂を上り始めたばかりの黒い傘を見つける。


 「あ、いた」


 私は、同じ制服の集団をすいすいと抜かして足早に坂を上り始める。冷房の効いた電車から出たばかりの体は、突然の熱気と日差しに早くも悲鳴をあげている。追い越した生徒たちから、時々「あ、お姉様、おはようございます」と聞こえて、私は肩越しに軽く振り返ってにこりと会釈で返すと、またどんどんと先へ進む。肩で息をするなど言語道断。顔はつとめて穏やかに。荒くなる息を必死に堪えながら、一歩一歩、革靴の裏から伝わるアスファルトの熱気を踏みしめる。だんだんと黒い傘が近くなる。あと三人、二人、一人......


 「わ、びっくりした、おはよう」


 黒い傘の下に飛び込むと、日陰にその白い肌がよく際立つ乙女がこちらをみてそう言った。二つに結った黒髪が胸元で揺れている。


 「おはよう、あぁ暑かった」

 「......自分の傘を差したら良いじゃない」


 こちらは私の中等部からの友人で、日傘勢のうちの一人だ。私は適当に笑って彼女の真っ当な言葉をかわす。


 「今日すごく早く歩いた?追いつくの大変だったんだけど」

 「違うよ、あなたの方の電車が遅れていたんじゃない、車内アナウンスでそう言ってたわよ」

 「あぁそうだった?待っててくれればよかったのに」

 「いやよ、早く涼しい教室に行きたいの、それにこんなに暑い中、来るかどうかもわからない遅刻魔のあなたを待てっていうの?」

 「最近遅刻してないよ」

 「ここ数日の話でしょう、ねぇ、でも、そういえば最近遅刻しなくなったわね、夏なのに変なの、春とか秋ならわかるけど......どうして?」

 「どうして春と秋?」

 「冬は起きて布団から出るのが嫌だし、夏は暑い外に出るのが嫌だもの」

 「あぁ、なるほど?」

 「どうして?夏は暑くて早く起きちゃう、とか?」

 「それはない、ずっと冷房つけたままだから」

 「嘘でしょう、環境に悪いし、よく風邪引かないでいられるわね......あ、ばかだから?」

 「失礼な、違うよ」

 「んん......じゃあどうして?」

 「知らない、ねぇ、もうちょっと傘こっちに寄せて、左肩が入ってなくて暑いの、左ばっかり焼けちゃう」

 「ねぇ、私の日傘なんだけど?いつも我が物顔で入ってくるけど......自分で持ってきたら良いのに」

 「それは、面倒だよ」

 「何よ、人をなんだと思って」


 私たちはいつの間にか坂を上り終えて、校門の目の前についていた。生活指導の先生に挨拶をしながら校舎に入ると、彼女は傘を畳んでくるくると留める。靴を履き替えて、それから高校三年の教室の階まで上がると、私たちは「じゃあ、放課後」と手を振り合って各々の教室へ向かう。


 あぁ、このまま夏が終わらなければ良いのに。私は、この坂を同じ傘の下で一緒に登る夏の終わりがもうそこまできていることを考えないようにして、ただ毎日太陽が降り注ぐことだけを願った。

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日傘 @AmuDarya

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