第165話 戦いの理由 4

 帰還した機体には端からすぐに補給と点検が行われていく。苛烈な戦いを終えてきた彼等を急かすように、パイロット達の心情はお構いなしに次の戦いの支度が整えられていくのだ。


 その中には真っ先にMk5に駆け寄って来るローレルがいた。


「アール少佐!」


 彼女は走りながら上から下までアトキンズを見て無事を確認する。その後にMk5をチラリと眺めてようやく彼女の顔から不安が消えた。


「お……お帰りなさい…………」


 ローレルは固かった口元をまた噛み締めてふるっと震えた。アトキンズはそんな彼女に優しく微笑んだ。


「ああ。キミが無事でほっとしたよ……。生きた心地がしなかっただろう、大丈夫か……?」


 そして肩に置かれた大きな手のぬくもりと心地良い重さを感じて、ローレルは気持ちが落ち着き、地を踏む感触を取り戻した気分になった。


「は…はい……もちろん、全然平気ですよ!」


「嘘つけ……」


 アトキンズは肩に置いたその手でローレルの片耳を触れないように覆った。


「うるさかったろ?怖かっただろ……?潰されそう、だったろう…………?」


 穴ぐらでじっと動かずにいても大地は揺さぶられ、地響きと共に圧力を伴った爆音が覆い被さって来る。どんなに両耳を手で塞いでも狂った津波に容赦なく揉みくちゃにされてバラバラに引き裂かれんばかりの衝撃に呑まれる。


 爆撃が続いていた数分間、彼女は死の恐怖と、何より想像を絶する地鳴りと轟音に身体を小さく丸めて必死で耐えていた。しかし……


「嘘じゃないですよ。もう、大丈夫……」


 自分の耳に添えられたアトキンズの手を上からギュッとそのまま押し付けて、彼女はそう言った。


「温かくて、やわらかくて、大きな手…………」


「お、おい……汗が…………」


 アトキンズが引こうとした手をローレルはしっかりと押さえている。


「落ち着く……生きている音がする…血が巡ってる………」


「えぇ?!ウソだろ……っ?」


 穏やかに耳を傾けて、ローレルは深呼吸するようにアトキンズの音を聴く。


「ホントですよ?巡っている血は押し寄せる波のよう……、湧き上がる泡の音、砂や小石が擦れる音。それに沢山の生きものの息づかい……。人の身体の中ってまるで海の中によく似ていて、すごく賑やかなんですよ……?」


 目を閉じて、想う人の内に漂う……。耳を澄ましてうかがうそんな姿を見て、アトキンズはふとフレヤを思い出した。


「海の中か……」


 フレヤは自分に触れて空に例えた。


「いや、そうじゃなくて……こんな手の平から身体の中の音なんて聞こえないだろう?」


 するとローレルは静かに目を開けて上目遣いに言う。


「ちゃんと聞こえます……やさしくて、でも少し…誰かを悼むような鼓動が…………」


 彼女は知っている。情報として耳にして言ったのか、ほんとうに自分の中を見透かして言ったのか?迷わずに、前の答えを確信して当然なのに今では人の能力を計れなくなっていた。


「ローレル君は……魔女ではないよな?」


 ローレルはアトキンズの問いをふぅ…と笑って彼の手を解放した。


「ふふ……さぁ、どうなんでしょう?」


「どぅ……?どう…いう意味だ?」


「彼女達と私達の違いって、何なのかな、て……?」


 アトキンズは不可解な答えに期待通りの顔をした。


「ふむ……、よく分からんが『私達』てことは、答えはNo…てことだな……?」


「多分……」


「たぶん……?」


 多分魔女では無いであろう彼女もやっぱり一様では無い。すると彼女の質問が妥当なものにも思えてくるが、それが勘違いにも感じる。


 およそ不可解なのは『魔女』ではなく『女』だ……彼なりの妥当な答えはそこに落ち着いてため息で締めくくった。


 しかし、誰もが命をかけて犠牲まで払った苦戦の後にもかかわらず、平静でいられるアトキンズに不信感を抱く者がいた……。


「アトキンズ少佐……」


 それに確かめずにはいられない事がある、そう思って二人の間に割って入ってきたのがオルドリーニだった。


「おぉ、オルドリーニ、今回はキツかったな………キミが無事で何よりだ」


「………、はい……」


 オルドリーニはそれだけ答えて挑むような目でアトキンズを見た。


「少佐……」


「なんだ、一体どうした……?」


 またしても不可解である。


「少佐、俺はさっきの事がスローモーションの様にアタマにこびり付いて忘れられません……」


「ん?さっき……とは何だ?」


 ローレルを気遣っていた時とは一変したただならぬ空気を察して、すぐそばにいた幾人かが気にし始めている。


「今日、オスニエルが墜とされた時……俺はすぐそばにいました……」


「ああ……俺も間に合わなかった事を残念に思っている」


 アトキンズの言葉がオルドリーニの何かに刺さる……。


「多分アイツは死んだ……」


「……そうだな、本当に残念だ……」


「!……」


 偽りを感じないアトキンズの答えは尚更オルドリーニを追いつめる。


「しかし、少佐がすぐにあのメッサーに向かって行った時俺は……俺もアイツもこれで救われたと思いました……っ」


「……?」


 徐々に高ぶるオルドリーニの異変に周りのパイロットが何事かと集まって来る。お互いに労い、讃えあっている様にはとても見えなかったからだ。


「少佐、答えて下さい……、あのメッサーのコックピットを撃ち抜かなかったのは、ワザとですかっ?」


「!」


 投げつけられた言葉に怪訝な彼の態度の謎が解けた。それと同時に周りにいた同僚達の目にも困惑の色が浮かぶ。


 しかし当のアトキンズはそれで動揺することも無くオルドリーニを見据えて一言で答えた。


「そうだ」


「っ!!」


 聞きたくなかった答えにオルドリーニが硬直する。『たまたまそうなっただけだ……』そう言って欲しかった。


 ずっと彼が迷っていたのは高速で対峙していた敵機のエンジンだけを狙うなんて事は神技と言っても足りないくらいだからだ。


 しかし、あのシチュエーションで撃墜を狙うのなら誰もが例外無く機首から尾翼まで撃ち続ける筈なのに……。


 ましてや、あのメッサーがオスニエルを撃ち殺すところを目の前で見ていたはずなのに…………。


 オルドリーニは裏切りにも等しいアトキンズの答えに体を震わせた。

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