第163話 戦いの理由 2
百千のエンジンの唸り声は低く重なり響き合って、ゴオン…ゴオンと空気を震わせたその波は海鳴りの様に離れた陸にまで届く。
その音の波を誰よりも早く感じ取ってしまうローレルは、あまりの不吉な唸り声に身を縮めて空を見上げた。
もはやローレルが滞在していたアパートも安全では無くなり、今は基地の防空壕に退避することを余儀なくされる。
彼女の耳に聴こえるものはドイツ機のエンジンの音ばかりで、聞き慣れたイギリス機のエンジン音はあまりにも多いドイツ機によって掻き消されていた。
もっと近づけばアトキンズのMk5の声が聞こえるはずだ。ローレルはその願いと不安に空を見つめていたが、強く促されて引っぱられるように防空壕に潜り込んだ。
陸が近づくとドイツの大編隊は4つに割れて、それぞれが目標に向かって分かれていった。それはつまり、近隣4箇所の中隊基地が目標だと分かる。爆撃機の数も4等分、それでもひと部隊が30機規模であり、ひとつふたつは墜とせても結果を大きく変えることは出来ない。
幸いなことにこの爆撃で市街に被害は殆ど出なかったが、イプスウィッチ基地は丁寧な集中爆撃を受けてターミナルは無惨に瓦礫となり、2本の滑走路は穴だらけでその機能を失った。
では、巣を失った鳥たちがどこへ帰るのか……というと。
親鳥は言う…………
「リトルトン中佐、滑走路が使用不能であることを中隊に連絡してくれ。帰還機は予定通りにオーウェルパークへ……」
「はい、大佐」
本土防衛で基地が爆撃されるなど初めから織り込み済みのことである。基地のすぐそばに流れるオーウェル川のほとりには広大なオーウェルパークがあった。中々に広い森と、そして簡単には走りきれない広い平坦地。飛行場としても利用可能でイプスウィッチ飛行場よりもはるかに広いというものだ。
まあ、別にイプスウィッチに帰れなくても眼下に広がる大地は我が故郷なのだから不安になることもない。ただ、今は戻るべきところに帰って来れた。
そして、それが今から30分前のこと…………
かつてない苦戦の後、アトキンズはレイヴンズクロフト大佐を前にピアース中佐から事情聴取を受けていた。
呼び出された場所は公園の管理棟にある一室。飛行場の待避壕に作られた指令室はいまだ健在でイプスウィッチ基地の中枢に変わりはないが、これからはこの建物も基地の施設のひとつとして使われる。
「アトキンズ、単刀直入に聞こう。君が敵パイロットを見逃して攻撃をやめた、というのは……事実なのか?」
その質問に対してアトキンズは毅然として姿勢を崩さず、静かに答えた。
「はい……」
一言だけの返答にピアースは困った顔をした。
「それだけかね?何か弁明することはないのか?」
「戦闘機パイロットとしての在りようで見解の相違はあるかもしれませんが、結果としては事実です……」
「む、う……」
中佐はため息混じりに息を吐き、戦闘の最中に起こった扱いに困る状況に頭を悩ませた。
こんな三者面談になったのは戦中の悲劇の直後に起こった出来事で、帰還後にちょとした騒ぎになったからだ……。
ひしめく戦場で敵の攻撃を躱しながら攻めあぐねていたオスニエルは、千載一遇とも言えるチャンスに照準器を覗き込んだ。
ハインケルのHe111を正面に捉えて操縦桿を握り直す。敵と自分の機速が丁度よくたまたま同調して、互いに停止したような状態がしつらえられた。
(もらい……っ!!)
オスニエルは静かに興奮してトリガーを握った……すると弾丸は綺麗な弧を描きながらHe111のコックピットに突き刺さって風防を破壊していく。自分がまるでアトキンズの様なエースになれた錯覚に気分が一気に高揚する。
戦闘機乗りとして至福のとき…脳から溢れる快楽物質に酔っていた正にその瞬間、彼の頭上にも7.92ミリの鉄の雨が降り注いでいた……。
(オス…ニ……っ!?)
そのさまを目撃していたオルドリーニは血の気が引き言葉も出せずに硬直した。しかし条件反射で弾の軌跡をさかのぼると既に右にひるがえって離れて行こうとするメッサーシュミットがいた。
「てンめェェーーっ!!!」
身を冷やす衝撃は蒼白の怒りに変わり、すぐに仇敵を追う為に操縦桿を引き倒す。だが水の空いたその距離は舵を切ってからでは遅すぎる。それでもオルドリーニはソイツを睨みつけ追いすがろうとスロットルを全開にした。
しかし、そのメッサーシュミットは機敏で今にも敵の中に消えそうだ……旋回しながら届きそうに無い状況に歯ぎしりする。
すると仇の向こうから放られた槍の様に迫り上がって来るツノ付きのスピットファイアがオルドリーニの目に入った。
英国屈指のエース、アトキンズが操るスピットファイアMk5だ……。
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