第149話 南国のバラ 8

 神の如き『耳』を持つローレルならドアの外から会話を聞き取る事など簡単なことだ。


「こんにちわ、フレヤさん!」


「あら、ようこそ……」


 この時、自分でも意外なほど、アトキンズはドキリとさせられていた。それは隠れていたのに見つかった子供じみた動揺とか、彼女に後ろめたい感情があったとか、そういうことではない。


(そうか……いつも心のどこか片隅では、ローレルを意識していたのに……今のは完全に不意打ちを喰らった。いや、周りの気配をうかがうことさえ忘れていた?)


 パイロットを始めてから、気がつけば自然と身につき、眠っていてさえ無意識にやっていた周辺把握を意識が忘れていた。彼はそんな自分自身に驚ろかされていた。


「ろ…ローレル、どうしてここに……?」


「どうして……?」


 ローレルは眉尻を上げる。


「どうしてって、ヤキモチです!」


「ナニ……!?」


「だって、わざわざ警戒体制の最中に許可を取ってまでフレヤさんに会いに来るなんて……とは言ってもまあ、一応の事情も聞いてはいますけど……っ」


「そりゃそうか、君が情報を取りこぼすなんてことは無いだろうからな」


 それでも天才エンジニアはご機嫌斜めだ。


「私だって、フレヤさんに何かあってほしくなんてないし……このお店が、危険な場所にあることは事実ですから、やっぱり少しでも安全な所に避難して欲しいと思っています………今の言い合いはその説得の途中だったんですよね?」


 言い合い、と言われて二人は目を見合わせた。


「いやローレル、彼女は既にもう、他で寝泊まりしていたようだ……」


「そうなんですか?」


 腕を組んでいるフレヤを見ると肩を持ち上げた。


「ええ。それにね、この店も取り敢えずは閉めるつもりよ、とてもじゃないけれど商売どころじゃないし……。ただ、とくに危険もなさそうな時は自宅に居るつもりだけどね……」


「ふむ……それでもフレヤさんの自宅でもあるここにいる時に警報が鳴ったらすぐに逃げる事が出来るのか?そんな流れで、さっきの会話になったということですか?」


「!…ま、まあ、そんなところだが……」


 ふと、アトキンズは思った。


(話の内容を想像しているという事は……聞かれちゃいないか?)


 と、少し固くなっている顔を見てローレルが言う。


「私に聞こえていたのは、ワルツの『南国のバラ』と……その後、少佐がちょっと声を上げて『バカ言え……!』と言ったあたりからですよ?」


「お!?おお…そうか………、しかしアレだな、この曲はやっぱり有名なんだな?」


「…………」


 彼が言葉を選んで話しづらそうに口元を固くする、人に気づかれないようなため息をローレルはこもらせた。


 彼女はそれをわざわざ詮索するつもりは無い。アトキンズは大切なことなら必ず自分に話してくれる。


(それに、少佐はウソが大の苦手だし……)


 凡人には量りきれない血相の無い視線がアトキンズを見つめる……子供のようにおずおずと居心地が悪そうにしているアトキンズをクスリと楽しんでからローレルは話を変えてくれた。


「たしかに、南国のバラは間違いなく有名な名曲ですけど……それよりもフレヤさん!」


「え?あら、わたし……?」


「はい、だって……ノリッジまで5分で行けるなんて、そのお話、本当ですか?」


「そりゃあ……正確に計った事なんて無いけれど、随分と前、家を出る時に9時54分だったのを確認してノリッジに着いたら10時の鐘が鳴ったことを覚えているのよ。ざっくりと言えばそうだけど、家を出てドアに鍵を掛けて、スタートするのに1分くらいはかかると思わない?」


「ふむむ…………」


 これは、さすがのローレルでもお手上げである。フレヤの自宅の時計やノリッジの大時計が、しかも随分と前となると、その時に正確な時間を指していたかなんて分からない事も問題だ。


 これはもう、取り敢えずはフレヤの証言を信じるしかない、のだが……ローレルやアトキンズにとっては信じがたい話である。


「とてもじゃないが、ノリッジまで5分で飛べる戦闘機なんて無いな。700キロ以上の速度なんて……」


「いえ少佐……等速で飛んで720キロですよ?飛び立って加速する時間を含めて考えれば、最高速度はそれ以上ということになりますよね?」


「っ!、そうか!!だとすればいったいどれだけ……?スピットじゃとっくにバラバラになっているだろっ?!」


「そう…ですね…………」


 飛ぶことに血道を上げてきたフレヤにとって、二人のリアクションに得意になれても、何故、そんなに真剣な顔で驚いているのかはピンとこなかった……。

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