第148話 南国のバラ 7
音楽は聞きかじる程度のアトキンズの耳にもこの曲はすぐに馴染んで、その曲想から心地良い情景を思いおこさせる。
「キレイな曲だな。これは…何て曲なんだ?」
「南国のバラよ。聴いたことない?ワルツの名曲よ?」
「南国のバラ……悪いな、こういうモノには疎くてね。しかし……」
静かに始まり、あくまでもなめらかで綺麗な抑揚……でもこれは、何故か既に知っていた穏やかな高揚感、ふと、アトキンズはフレヤと共に飛んでいた
「ああ…これは、キミにピッタリな曲だな……」
そう言われたことがよほど気に入ったのか、彼女はこの曲の様に和やかな笑顔に満ちた。
「私は、この曲を聴いているとね……どうしても、子供のように無垢な恋をしている恋人同士しか思い浮かばないの……」
「……子供のような?」
「それはね、かけ引きも要らない澄んだ恋。それは、どんなに歳を重ねてもあせてしまう色も持たない。ふたりはいつも向かい合って、手を取り合い、止まらないステップを踏み続けるダンスパートナーなのよ。向かい合っていても同じ行く先を見つめて進んで行く……」
目を閉じて、フレヤは虚空に手を差し伸べる……
「ふたりは、新たな誓いを交わして、結婚して夫婦になって……もちろん愛し合えば、その祝福として愛し子にも恵まれて……。共に歩んでたまには驚く事もあるけど、それで少しだけ立ち止まってもすぐにまたステップを踏み始める。そうして……そうして、たくさんの喜びと驚きと、避けられないほんの少しの不幸……やがて、年月も流れてどちらかが死の床に着いたとしても…………微笑み合って、ほんのひと時だけ別れていける……」
「へえ、慎ましいが、随分とロマンチックだな……でも、もしかしてそれはキミの……?」
「ふふ……それだけでいいと思わない?……私はそんなふうに生きたいの、この、ワルツの様な人生をね……」
『南国のバラ』……フレヤはこの曲を自分の人生のテーマ曲に選んだ。作曲家のヨハン・シュトラウス二世が何を思ってこの曲を描いたかなんて関係ない。
そしてどうやら、彼女のパートナーは死の床に着くまで踊り続けなければならないようだ。ゆったりとして軽いワルツを選んでくれたのはせめてもの救いだが……。
「確かにダンスはパートナーが居ないと踊れないが、人生をダンスに例えるなんて実にキミらしい。踊り続ける生涯か……意外と皆んなそうなのかもな……?」
曲はクライマックスに向かって、少し切ない曲想で盛り上がっていく。フレヤは先程の様に左手をアトキンズに向かって差し出した。
「ねえ、あなたなら……私のダンスパートナーが務まるかしら?」
フレヤの問いにアトキンズは頭の芯に熱を感じて身体がしびれた。目の前で、あくまでも凛とした立ち姿の美しい魔女が手を差し伸べている。何よりも尊く宝石の様に輝いている女……女神フレイヤが愛した神話の『ブリーシングの首飾り』とは正に彼女のことだ。
しかしアトキンズはその清高な姿を目に焼き付けるだけで椅子から腰を上げる事を躊躇っていた。そもそも、差し出された手の意味が分からない。或いはこの場でのダンスに誘われただけなのかもしれない……
でも、それらもただの言い訳にすぎないのだろう。今はただ、彼女が眩しすぎて現実味の無いその姿に見入っていることしかできなかった。
そして曲が終わると、フレヤは差し出した手を収めて小悪に笑った。
「ふふ…………冗談よ」
「あ……と、冗談…て、何がだ?」
「くす、さあね。とにかく、あなたの戦いはまだ終わっていないのでしょう?あなたが空で死ぬはずは無いけど、空で死ぬことは同じ血を持つ私も許さないわ……勝って尚、生きなさい!」
そこにはいつもの女王さまが目の前でふんぞっていた。
「は?いや、待て待て待て…俺はだな、キミの安全を案じて外出許可をムリして……」
「だから私は大丈夫だってば!私が本気を出せば5分後にはノリッジにいるわよ?」
「なん?!バカ言えっ、いくら何でもそんなに早く飛べるものか!ノリッジまでは、ええと…60キロちょいか?だとすりゃあ5分で行くには…………」
簡単な計算に慌てているアトキンズを救ったのは
「必要な速度は720キロ以上ですよ、アール少佐……」
飛び入りのローレル・ライランズだった。
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