第127話 異能の力

 ミストのような雨が音も無く全てを濡らす。カチカチと、よほどけたたましい時計は7時48分、8月12日という日はそんな朝だった。


 運河爆撃の一夜が明け、イプスウィッチ飛行場の滑走路の端には痛々しい傷を負ったブレニムが壊れて捨てられたオモチャの有り様で雨水を滴らせている。


 乗組員達は自分達の『巣』であるメイドストーン基地に戻ることが出来ず、有り余っていたターミナルの一室で簡易ベッドを並べて休むしかなかった。


 しかし、穏やかに眠れる者は幸いである……いや、眠る事は出来る。そう訓練されてもきた。ところが彼等は任務直後に眠ることを嫌がった。極度の緊張と興奮状態を引きずったままで見る夢は大抵は戦いを反芻するか、悪夢と決まっていたからだ。せっかく死線を越えて、ようやく安堵の帰還を果たしたのにである。


 心の消耗と身体の疲労に押しつぶされない限り、彼等に出来ることはそれぞれがいずれかの折り合いをつけながら戦いを続けることだった。


 とにかく、他の機体を当てがわれない限り、愛機が退院してくるまでのしばらくは出撃することも無いだろう。


 機体に残る無数の弾痕。ほぼ無くなった垂直尾翼、ぶらんと垂れ下がったままの補助翼に噛みつかれた様な水平尾翼。ブレニムの損傷はどれを見ても、とてもまともには飛行できるように見えない。


 しかも見慣れない大きな飛行機に通りがかりの魔女は目を引かれた。


「何、アレ……?」


 基地周辺の住人が減っていることをいいことに人目もはばからず飛んでいるのは、やはりフレヤだった……。彼女は現在下宿中のマーティンソン家から自宅への通勤途中、高く飛んで人目を避けていたが初めて目にした大きな飛行機に興味を惹かれて、ススス……と、地面に寄って行った。


(アレは何……?それに、昨晩、何かあったのかしら?でも空襲の警報は無かったし……)


 細やかに舞う雨の中を黒合羽という風体では下からも目に付きやすい。とくに空軍基地の連中ともなれば何かにつけ空を見上げるクセが身に付いているものだ。


「お?、おい、アレ!」


「は……?」


 その時も外にいた半数の者がフレヤの姿に気が付いていた。


「おお?!魔女だ!」


「ホントだ、珍しいな……」


 そしてA中隊の面々にとっては久しぶりの再会になる。散々に追い回されてしごかれた事も今となっては思い出であり感謝さえ感じていた。


 その鬼教官を見つけるとアルドリッジとラスキンは両手を大きく振る。でも、見上げている相手が追いかけっこをした魔女とは別人かも……とは思わないようだ。


 一通りの人々は魔女という生き物から目をそらし、それに加えて多くの魔女は正体を隠し隠密に長けていて、彼らからは余程に稀な存在と思われている。その認識からは何人もの魔女が身近で生活しているなどとは想像出来ないのだろう。


 好意を見せて手を振られたフレヤは思わず手を上げたが、その手を振りそうになって考えた。


(あらあら、まあまあ……コレってやっぱりマズいわよね?)


 むしろ不本意だが、あまり目立つ行動はお叱りを受けることになるかもしれない。


(仕方ない……まったく、面倒くさいわね…………)


 フレヤは上げた手をそのまま下ろすと、行き先を誤魔化す為に河口へ向かって姿を消した。






 とはいえ、手を上げて応えてくれただけでも2人にとっては気分が盛り上がることだった。同じAチームの同僚を見つけては興奮気味に自慢する。もちろんアトキンズにも……


「少佐っ、アット少佐!」


「ん?アルドー?それにラスキン……」


 パイロットは朝のブリーフィングを待って殆どがその部屋に集まっていた。


「さっき基地の上に出ましたよ、あの魔女が!」


「!……あの魔女?!本当か?」


「ええ、手を振ったらちゃんと応えてくれましたよ!すっかり姿を見なくなって、もうこの街から逃ちまったのかと思ってたのに……」


「ほぉ……手を、ねえ…………」


 アトキンズはなるべく表情を変えないように気をつけた。


(魔女なら意固地になって店を開けているよ。いい加減避難して欲しいのはコッチなんだが……しかし何だって基地に飛んで近づいたんだ?まさかセアラちゃんてことは無いよな?)


 何しろ取り繕うことや嘘をつくことが大の苦手だからだ。


「しかし一体なにをしに来たんだろうな?」


「んーー、何となくブレニムを見ていたような…………アレは目を引くくらいボロボロですからね。もしくはオレ達を心配して様子を見に来てくれた…とかなら嬉しいですけど……」


「そうか。どうなんだろうな、俺には分からん……」


 そしてワザと素っ気の無い反応を返す。


「あれ?何かアッサリな感じですね?前はあの魔女を庇っていたくらいだったのに……?」


「あれは……あの時、俺が素直に感じたままを言っただけだ。しかし、だからといって彼女が考えていることなんて……俺に分かるわけないしな」


 魔女の正体を匂わせてはいけない。でも嘘はつかない。


「ふうむ、そりゃあそうか、そうですよね。ホントに何であんな事をしていたんですかね?今となってはもう、オレたちにパイロットに対する愛としか思えませんが……」


「かもな。正確に戦闘機の動きを再現しての模擬戦なんて、からかい半分で出来ることじゃあないよな?」


「はい……躍起になっていたおかげでなまることも無く、むしろ緊張感を持って良い訓練になっていました。その後には少佐にも色々と学ばせてもらったし…………あれ?」


 アルドリッジはアゴを手で持って考えた。


「そういえば彼女が出没しなくなったのは少佐が来てからすぐでしたね?少佐に負けたから…かな?」


「ああ……言われてみればそうだな。ふむ、何故だろうな……?」


 実はその後も夜な夜な密会していたが、昼間の飛び入りをやめた理由をアトキンズも聞いていなかった。

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