第106話 終わりへのカウントダウン

 あらゆる物資の輸送は戦争時において勝敗を左右する程に重要なファクターである。


 作戦継続の為の戦闘支援には大量の物資を輸送しなければならず、それに加えて守るべき国民の命を繋ぐ為にも食糧など最低限の流通は維持しなければならない。


 大きな物や大量な物を輸送するのに最も適しているのはやはり貨物船だ。貨物トラックの輸送量など船舶に比べれば微々たるもので、トラック不足などで陸上の輸送量を急に増やせるわけもない以上、リスクを冒してでも海上輸送に頼るしかない。


 イギリスはそのリスクを少しでも下げるために、船舶による昼間のイギリス海峡通過を禁止を通達した。しかしまだ海峡には航行中の輸送船がいる、その日の午後のことだった……


 海軍に護衛されていた輸送船団がまたしてもドイツの攻撃を受ける。100機近い大部隊のドイツ機に対してイプスウィッチからはB中隊が出撃し、マートルシャムからイーストチャーチまでの東部沿岸の8基地、9個中隊がこれを迎え撃った。


 船にとって最も恐ろしいのは魚雷である。速度が遅く動きもおぼつかない大型の貨物船は魚雷を抱えて来る雷撃機の格好の餌食になった。


 既に海中に没した船の残骸と積荷が水面に散乱し、傾いた船からは船員が決死の思いで海に身を投げ出している。


 空からは彼等の頭上に排出された薬莢が何万発と降り注ぎ、事切れた飛行機がただの金属の塊となって水しぶきを最後に暗い底海そこうみに引きずり込まれていく。


 これが戦争という混乱と叫喚の世界がそこにはあった。


 そして高度はわずか数百メートルという上空で繰り広げられる攻防戦。旋風に捲かれる木の葉の様な混戦で、ドイツの雷撃機は狙いを定めると機を急降下させて出来る限りの低高度、海面スレスレで魚雷を投下しようとする。


 それを阻止する為にハリケーンがいた。阻止はさせまじとメッサーシュミットが後を追う。しかし追わせまいとスピットファイアが撃ちまくった……


 結局はいつものようにメッサーとスピットの叩き合いになるが、低高度での乱戦では旋回性能で勝るイギリス両機が圧倒的に有利だった。しかし……


「こちらニューマンっ!!やられたっ…脱出するっ!」


 機関砲で主翼を折られたパイロットがそれだけ叫ぶと操縦席から飛び出した。低高度だがなんとかパラシュートを使えるだけの余裕はありそうだ。


 そしてこれが、イプスウィッチ中隊での初の被撃墜機となった。それに脱出できたからといって安心はできない。時として脱出したパイロットも標的として狙われるからだ。だから友軍機は出来る限りパラシュートで降下していくパイロットを援護する。それは損傷機が戦線を離脱していく時も同じであった。


 今のように一撃で敵機を破壊するミサイルがあったわけでもなく、余程の数の差が無い限りは戦況が劇的に変化することも無かった。


「被弾して旋回が上手くできない…離脱する……っ!」


 誰かがまた、無線で叫んでいる。


 まるで砂山を少しずつ少しずつ削りあっていくような戦いにどちらかが殲滅されるという結果はほとんど無い。勝敗はあくまで目的を果たせるかどうかであって、その為の彼等兵士の命は勝利という御柱を支える砂山の一粒に過ぎないのかもしれない……


 ドイツの雷撃機は魚雷を落とした端から撤退していたが、最後の一機が最後の一発を使い切ると全てのドイツ機がそそくさと撤退を始めた。


 イギリス側も深追いは避けて、適当に追い散らした後は落とされた友人の安否を気遣い、無事を祈りながら帰路についた。彼等の救出は海軍に任せるしかなかった。






 滑走路に端々には待機しているA中隊のパイロットや整備員を含む地上の作業員達が揃ってB中隊の帰りを待って空を見上げていた。


 この戦闘で無傷で済んだ機体は一機もなかったが、飛び立った13機の内12機がイプスウィッチに帰ってこれた。撃墜されたB中隊のニューマンは無事に着水したことを数人が確認しているから今日の運勢が悪くなければちゃんと海軍が拾ってくれるだろう。


 この激戦でドイツは30機余りを失い、対してイギリスは10機程度と数の上では勝利と見える。しかし10隻以上の輸送船を沈められ、海軍も1隻の駆逐艦が魚雷を喰らって轟沈した。それに死傷者も多数、これを勝利と言える者はいなかっただろう。


「今回は少しキツかったな……」


 大概の者がそんなことを思い、呟きながら無事の大地を踏みしめた。


 次々と下りて来るB中隊の無事に胸を撫で下ろすのも束の間、帰還したパイロットと機体の異常にはその場の全員で対処する。ここでもアトキンズの『目』と少佐の肩書きは役に立つ。


「その燃料漏れしているハリケーンを他の機からもっと遠ざけろ!次に下りてくるスピットは主脚がおかしいっ、広く開けて胴体着陸を覚悟しておけ」


 激戦の後の帰還は最も緊迫した状況になった。死線を越えて帰って来たパイロットに無事に地を踏ませたいと地上の誰もが願っているからだ。


 テキパキとアトキンズ達が事後処理をしているそこへ、宿舎に避難していたローレルが小走りで戻ってきた。

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