第105話 Luftraumbandit 2

 ドイツのパイロット達の『Luftraum《ルフトハム》』という言葉は『Airspace』という意味ではなかった。主には『領空』や『領域』という意味で使われている言葉だが、彼等は自分が飛行中に目を光らせている『支配空域』を指して『Luftraum』という言葉を使った。


 つまりは縦横無尽に暴れまわりこちらの『支配空域を切り盗る者』という畏怖を込めた異名だったのだ。


 それと知りながらも『Airspace』と訳したのはイギリス側の故意による誤訳だった。


 大破に中破を含めれば被害機数は100機を軽く超えていた。ドイツ空軍にとってアトキンズは凶悪な犯罪者と変わりなかったのである。


「た、たしか名前は……アトキンズでしたか?褒賞ほうしょうがかかっている賞金首じゃないですか!」


 その場のひとりがやや狼狽うろたえながら言った。


「そういえばそんな名前だったな。それと、正規の空軍パイロットでは無く、義勇軍だと聞いたが……」


「は?義勇軍のパイロットをもう戦場に??」


 軍属にはなれないが有事の際には戦う意志がある。イギリス義勇軍はそんな者達が志願して集まった組織ではあるが、そこはあくまでも予備兵である。アトキンズのように早期に徴用される事は稀なことだった。


「いや、でも待てよ……バンディーツの噂は随分と前から………」


「本人の希望もあったかもしれないぞ?もっともヤツほどのパイロットなら軍も放ってはおかないだろうがな。フランス戦で既に噂になっていたことからすると、それ以前からヤツは戦場にいたのだろう」


 36歳になるメッテルニヒは少年時代に第一次大戦を目の当たりにしてパイロットを志した。ドイツ空軍の中でも現場主義の古強者である。


 強敵の話をしてもまるで臆せず気負いも感じさせない彼の言動は、若いパイロットを感心させ、なにより彼らに安心感を与えた。


「メッテルニヒ大尉はそのパイロットとは戦ったことがあるのですか?」


「……あるさ、フランス戦で何度かな……」


「一体、LuftraumBanditとはどんなパイロットなのですか?」


 メッテルニヒが苦い顔で笑った。


「……Sturm《暴風》だよ」


「暴風……?」


「ヤツの射撃精度と射程距離は尋常じゃなくてな……相対してもまだ敵機の判別もつかないような距離で先ずはいきなり機銃をぶっ放してきた…それも必ず誰かに当ててくる………」


 メッテルニヒはフランスの空を思い返して静かに語った。






 1940年5月21日フランス


「大尉っ、エンジンが被弾して停止!脱出しますっ!!」


「ダーミッシュ!」


 ドイツ軍を押し返し、他国フランスの領土を奪還すべく、イギリスは単独で陸空の部隊を投じた。メッテルニヒの部隊の前には地上の攻撃部隊を支援する為にイギリスの爆撃編隊が目の前に迫っていた。が、まだまだ互いに必中の距離をうかがっていたはずなのに……一騎のイギリス機からの先制攻撃に僚機が撃墜された。


 そしてソイツは、まるで自分達がいないものかのように、編隊の直下擦れ擦れをそのまま後方まで飛び去った。


「っっ?!、射程の外…いやっ、意識の外から撃たれたっ!当てずっぽうか……っ!?」


「た、大尉……っ、今のはスピット…」


 言ってみればまさしく鳩に豆鉄砲、完全に不意を突かれたドイツ隊はつまづいた状態で浮き足立っていた。


「ヤツの事はいいっ前に集中しろ!本隊が来るぞ!」


 乱れた編隊にすぐに喝を入れ直す。


(たしかに直下を舐めていけば撃たれやしないだろうが…イカれてやがるのかまったく……)


 単騎で斬り込んできたスピットファイアMk1は視界から消えてもイヤな不安とプレッシャーでドイツのパイロット達を縛りつけた。


 こんな戦法などあり得ない、まかり通るはずがない。所詮は後方で袋叩きにされるはずだと不安をふり払った。


 それ以上は考える間もなくイギリス本隊とぶつかった。しかし……


「ヘスラーが被弾!戦闘不能で離脱、さっきのヤツです!!上から突然……」


「なんだと!?」


 本隊とぶつかってすぐに後方からの叫び声にメッテルニヒは驚いた。


(上から?編隊を越えてすぐに急上昇…ターンしてから落下速度を上乗せしての急襲か?速度を落とさずに通過したのは上昇時間を短縮する為か……コチラは逆に速度を落としていたからな。しかしとは言え…動きが速い!)


 メッテルニヒは交戦の最中にも攻防を捌きながら異質な動きをするスピットファイアを探した。


(アレか!)


 戦闘空域から外れてスピットファイアが全速で上昇している。ひとりで限界テストでもしている様なその速度は格闘戦のそれでは無い。


「ヤロウ…ひとりで戦ってやがるのか……?」


 ひとりだけスピードの別次元で戦っていたそのスピットファイアに年甲斐もなく目を奪われた。常識にも効率にも囚われず、敵にも味方にも戦況の進度にもお構い無しで奔放に飛び回る。


 しかし、あの暴風は間違いなく敵である。放っておけば戦場を巻き込んで友軍を吹き飛ばす。たった一機で戦況がひっくり返るはずも無いのに不吉な胸騒ぎに苛まれる。そしてその理由を抜きにしてもパイロットとしての欲求に操縦桿を強く握った。


「クソ……っ」


 しかし、指揮官が迎撃任務を放り出して一機に固執するわけにはいかなかった。






 それがおよそ2ヶ月前の『LuftraumBandit』との初邂逅だった。アトキンズはその数日後、任務を外され本国に呼び戻されることになった。


「ただぶつかり合うような戦いならいいが、ああいうヤツを作戦行動中の混戦で落とすのは至難の業だ。その後も何度か出くわして多少は追いまわしたが、結局は数発当てただけ…小破にも満たん。できるならばヤツとはサシでの勝負をしてみたいものだな……」


 それは最も純粋はパイロットとしての欲求だった。戦争で無ければ相対することも無かったかもしれない、しかし、戦争で無ければ存分に技量を競い合えたかもしれない。


 一同は切なさも含めた複雑な心境を共有して押し黙った。

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