第77話 ステキな人 1

 基地の物々しさも街の外れという場所柄のおかげか、思ったほどには住人達を不安にさせることは無かった。それに元々この防衛戦に対する士気は兵士、国民共に高かった。


 それでも僅かながらメイポールからは客足も遠のいていた。変わらずにここへやって来る常連たちは降り掛かる逆境がたとえ戦争だろうが、日常と言えるこの店でのひと時を変えさせられることが許せない…タフで押しつけを嫌う生粋のイギリス人達である。


 いつにも増して店内は街の寄り合いの様相で、否応なく聞こえてくるのはこの戦争の話題と、この店を心配する常連の声だった。


「メイポールはどうするんだい、セアラちゃん?こんな事になってやっぱり……店は閉めるのかい?」


 テーブルでシガーをくゆらせていた中年の紳士がセアラに声を掛けてきた。


「さあ……フレヤさんからはまだ何も聞いてませんよ」


「そうか……フレヤ君だったらおそらく、戦争なんてお構いなしに涼しい顔であそこに立っていそうだがね……」


「……」


 そう言って笑うと紳士はカウンターに立つフレヤを見ていた。セアラは何も言わずにそのフレヤを眺めて思う。


(まあそう……1人だったらそうだろうな。…………それにしても今日のフレヤさんは何となく……何か悩んでる?物思いにふけってる、みたいな……?)


 表情からは読み取れない些細な心の機微が彼女達の目には映る。人によって細かな差異はあるが、長く共に過ごしてきたフレヤとセアラはお互いの気持ちが大概は分かってしまう。


(でもなかなか尻尾を掴ませてくれない……)


 そして見透かす様な目をして見つめると、フレヤに勘づかれてフッと笑われるのであった。






 アトキンズはローレルの直談判を思い止まらせて世間話をしながら実はタイミングを見計らっていた。


「そういえば、君のご両親は元気なのか?」


「ええ?何です、急に?


「いや、まあ……」


 天才はすぐにピンとは来たものの彼女はワザとらしく握りこぶしを作って見せた。


「……ま、まさかっ!正式にウチの実家にご挨拶に来る御用事がっ?!それはちょっと段取りが急すぎやしませんかっ??!!」


「ああ…そうだな、急すぎだしそもそも違うな!」


 こちらの思惑に気づいてもこうしてよくワンクッション差し込んでくるのがローレルのパターンである。


「ねえ少佐?私の今の居場所と言えば……このイプスウィッチか、今は戦闘機を開発している会社か、それとも実家のロンドンか、結局は安全な場所なんて無いんですよ……まあ、巡り合わせとは言えこれは私が望んで歩いてきた道だから後悔はしていません。だから私はここに居ます……」


 そしてむしろ誇らしげに微笑んだ。しかし戦争はそんな決意も簡単に吹き飛ばしてしまうことをアトキンズは知っている。


「いいかローレル、おそらく先ず攻撃されるのは海軍の艦船と輸送船。それから空軍基地と海軍基地、兵器工場、そうやって手前から戦力を削って最後は首都のロンドンが狙われるだろう。だからここにいるよりは君の会社のあるサウサンプトンに戻るべきだ。君は戦闘員じゃ無く民間人だし、新しいスピットファイアの開発を続けるという仕事もある。だからできれば君のアパートで…君の両親には疎開してもらって一緒に過ごすことが一番なんじゃないのか?」


 アトキンズに問われて、しかしローレルは胸を張って言った。


「お父さんには……私もサウサンプトンに来てくれるように言ったんです。でもお父さんは、ロンドンに爆弾が落ちてくるのなら尚更、医者がここにいないと……そう言って笑っていました」


「そ、その志しは尊敬するが……」


「お母さんもそんな父だから一緒になったんだと思うし……そんな親に育てられた子供ですよ?私は……」


 セアラは微笑んで決意のこもった眼差しでアトキンズを見つめた。逃げることは卑怯では無いし留まっていることこそが間違いなのにアトキンズには彼女を説得できる理由が無かった。


「しかし……」


「誰のせいにもしません。私は自分の意思でここにいます。そのかわりもうここにはいられないと思ったら、それともやっぱり両親に会いたくなったらその時はすぐに逃げ出しますよ?」


「そんなつもりも無いクセに……」


 言い返せない自分にアトキンズは頭を抱えた。


「なら…ひとつ約束してくれないか?」


「約束……?」


「そうだ。今後、この基地内に警報がなったらすぐに宿舎に戻ること。そして警戒体制が解かれないかぎりは基地に近づかないこと。いくら君でも戦闘中に出来ることは無いだろう?」


 アトキンズはこのイプスウィッチに来てから一番の真剣な顔をして言った。


「……分かりました」


「それから……本当は戦闘の後はこの滑走路に来て欲しくないんだが……」


「え?」


 アトキンズは今はまだキレイな戦闘機達に目をやった。


「隠し立てするつもりは無い。しかし戦闘直後の帰還機の姿は……君は見ないほうがいい」


「!?」


 そしてうれう胸のうちを声色に変えて言った。


「君も頭では分かっているかもしれないが……戦闘機は相手を破壊する為に造られた兵器だ。君はコイツらの本当の…いや、もうひとつの姿をその目で見ることになるぞ?」


 それを取り敢えず、今は受け止める。


「分かってます。どんなスピットの姿を見ても……私は後悔しません。だから大丈夫ですよ?」


「……」


「それに少佐がそこまで言うくらいだから改めて覚悟ができました」


「……そうか」


 『そうか』……にがく笑ってアトキンズにはそうとしか言いようがなかった。






 メイポールのカウンターの中でいつも通りに仕事をこなしているようでも、今日のフレヤはちょっと気がそれているようにセアラには見えた。


「どしたの、フレヤさん?何か気がかりな事でもあるならいつでも言って?役には立たないかもしれないけど、聞くだけなら得意だから!」


 実に頼もしいが頼りにはならなそうだ。


「んん?何でも無いわ。ちょっと母さんを思い出していただけ……」


「リズ叔母さま?ふうん……でも寂しそう…では無いんですよね。むしろ何だか、ちょっとテンションが上がっているような……?」


「っ!。だから……ちょっと思い出に浸っていただけだから、心配しなくても大丈夫!ありがとね」


 自分の気色を読み取ろうとするセアラをたしなめて微笑んだ。


「ふむ……でもそろそろ叔母さまにも会いたいですよねえ……?」


「ええ、そうね」


 セアラをやり過ごしたフレヤは自分の手を見つめていた。

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