第78話 ステキな人 2

 それはまだフレヤが幼かったあの頃。ようやく女と男の違いに気がついて、ふと父と母、つまりは夫婦というものの意味と理由をふわふわと思い始めていた頃だった。


 生まれた時は別々だったことをようやく理解して、それでも思いの通じ合ったふたりを見ていてフレヤは首を傾げた。この街にも、この世界にも沢山の男と女がいるのに……


「ねえ、ママ?」


「ん?」


「どうしてママなの?」


「え、ええっ?」


 突拍子もないフレヤの質問にふたりは母は目を丸くした。


「どうしてって?」


「どうしてパパなの?」


「??」

「!?」


 それは取止めの無い幼い疑問を全てごちゃ混ぜにした他愛のない問いかけだった。


 それでも人の本源を突く禅問答にふたりはクスクスと笑い合って娘の傍らに座った。


「人はねフレヤ、生まれてくる時は人の全ての半分しか持ってこれないの……」


「はんぶんだけ?フレヤも半分なの?」


「もちろんあなたは完璧よ!フレヤとしてはね。でも人としては半分……残りの半分はこの世界のどこかであなたを探している…違うか、あなたと出逢うのを待っているのよ」


 するとフレヤは尚更首を傾ける。


「パパみたいなひと……?」


「そうね……きっとパパよりももっとステキな人。あなたにとってはね……」


「パパよりも……?」


 母の言葉に驚くばかりのフレヤにリスベットは手を差し出して言った。


「手を出して、フレヤ」


 そして差し出されたまだ小さな手を握って見つめる。


「これは誰にも内緒だけど、あなたにはスゴいチカラがあるのよ?」


「ちから?」


「そう…あなたとの出逢いを待っているヒト達はね、こうして触れるとすぐに分かるの」


「……???」


 理解できずにもどかしい。そんなフレヤの顔に父はリスベットに言った。


「フレヤにそんな話しはまだ早いだろう?難しすぎるよ……」


 愛娘にそんな話しをされて切ない父は泣きそうになっている。


「いいえパウル、これは誤魔化しちゃいけないとても大切なことだから。今は分からなくてもいい、ちゃんと聞いてくれさえすれば、それで十分……」


 そんな母に優しく頬を撫でられながらフレヤは懸命に言われていることを考えた。


「どうして分かるの?」


「つながるからよ……」


「?……つなが、る??」


 もうフレヤのアタマの中は繋ぐモノで一杯だ。手をつなぐ?ヒモをつなぐ??犬がつながれてる……???


「ふふふ、そうねえ……フレヤはこうしてママやパパに触れているとホッとするでしょう?」


「……うん、する」


「どんな気持ちでいるのか、よく分かるでしょう?」


「うん」


「何を考えているのかがここに浮かんできたり……」


 そう言ってフレヤの頭を撫でた。


「ああ、うん」


「それにすごく近いかなー?近いけど、もっとその人のことが分かるの。でもこれは、他の人では起こらない特別な事なのよ?」


「ふうん」


「そしてあなたと繋がった人はね、どんな事があってもフレヤの全てを受け入れて、ずっと大切にしてくれるから」


「…………………………」


 フレヤはまた考え込んだ。まあ、考えると言うよりは言われた事を想像することしかできないのだが。


「今はいいのよ、フレヤ……それにね、最初に繋がった人があなただけのステキなヒトかは分からないのよ?」


「ええ???」


 大人の世界はよく分からない……と、幼いフレヤは顔をしかめた。


「何人の人と繋がれるかは分からない。たった一人かもしれないけれど、もしかしたら何十人もいるかもしれない。だからその度に、あなたは選ぶのよ?ずっと一緒に居たいと思った人をね?」


「じゃあ………………」


 うつむいてぐるぐると考えたフレヤは…

「ママとパパ……」


「っ!」

「!!」


 娘のひと言に父と母は背筋が伸びた。特にパウルは顔を崩して感動もひとしおでフレヤに抱きついて喜んでいた。


「フレヤっ……いいよいいよ、お前が嫁にいかなくてもずっと面倒みてやる!」


 もちろん目を細めてリスベットも言葉を詰まらせるが、やはり母は冷静である。


「そうね……今はそれでいいわ。あなたとはずっと一緒よ、フレヤ……」


 リスベットは優しく娘を抱きしめた。






 そんなフレヤも17歳になったばかり。普通なら好奇心盛んに色んな遊びと恋に夢中になって時間が幾らあっても足りないとボヤく歳頃。しかし人の裏も表も見て育つ彼女達は人としても早熟である。


 店も学校もお休みののんびりとした日曜日の朝、家族でお茶なんかを楽しんでいるとノックも無しに玄関のドアが開いた。


「おっはよー!遊びに来たよー、おねーちゃん!」


 ノルシュトレーム家を驚かせて飛び込んできたのは色々と有り余っている元気なセアラ11歳だった。


「あら、セアラちゃん。おはよ……う?」


 家族同然のセアラを全員が笑顔で迎えるが、リスベットはふと思い出してフレヤを見る。


「……て、フレヤあなた、ええと何君だっけ……忘れちゃったけれど、今日はデートに行くって言ってなかった?このあいだ……」


 『デート』と聞いて飛び上がったのは父のパウルである。


「で、デート……っ!?」


 しかし視線を軽く集めただけですぐに無視されて、その視線はフレヤに向けられる。


「ああ……やっぱり付き合うのは止めたの。セアラも遊びたがってたし……」


 安堵する父とは違って母はため息をついた。


「そう……毎度3回と続かないわねえ?まあいいんだけど……」


「母さんだって名前も覚えていないじゃない?やっぱり付き合っても何かつまらないし。セアラ、上に行こっか?」


「はーい!お邪魔しまーす」


 セアラは自分の家のように走っていった。ゆっくりと後を追うフレヤの後ろ姿にリスベットが声を掛ける。


「フレヤ」


「?」


「子供の様な恋をしなさい」


 突拍子も無い母の言葉にフレヤは目を丸くした。


「??……え?たしか母さん、私が小さい頃に早く大人になりなさい…って、言ってた気がするけれど……今は子供になれって言うの?」


「そうよ……他愛の無い、無邪気な恋をしなさい。心が弾んで楽しくて、でも、本当のあなたのままでいられる人を見つけなさい。ゆっくりとね……」


 この時、自信たっぷりに微笑んだ母の顔をフレヤは今でもハッキリと覚えている。母であり人であり、なにより女だったあの顔を……


「うん、そうね。ありがとう、母さん……」






 そして今は、アトキンズに握られた手を見つめている。


(母さん……やっぱり繋がっちゃったわ……)


 引き込まれる感覚と一瞬の高揚感。自分に対して開かれている実感。その大きさは相手によって違いがあって、アトキンズは果ても分からないほど広かった。そこに浮かんでいる安らぎは空にも似ている。


 そして何を想い何を見ているのかが分かった。どこまでも澄んだ空の色が見えた、心根こころねが解った。


(絶対そうだろうと思ってた。でも、何故か彼に触れることが怖かったのよ、母さん……)


 今でもその指には、アトキンズの温度が残っている……

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