第76話 コードレター MK5
1940年7月1日
第10飛行機郡イプスウィッチ中隊の人員は3倍に増え、もの静かだった敷地内は一転して騒がしくなり、それまでは気にもならなかった機械と油、そして排気の臭いが鼻につくようになった。
敷地付近を巡回する警備兵も目につくようになる。とは言え人員が増えれば必然的に基地内の殆どの場所には常に誰かが居るようになったがそれはそれ、警備兵に緊張感は無いが一応真面目に職責を果たしていた。
「コリャ何だ……?」
自分の搭乗機を前にして呆気に取られているのはアール・アトキンズ少佐だ。
「MK5……?」
国章すら無かった彼のMk5の横っ腹には三重丸の国章を挟んで『MK5』という『コードレター』が誇らしげに書き加えられていた。つまりは『MK◎5』こんな感じで。
「MKなんてコードは知らんし……と言うかまんまかよ?」
※コードレターとは機体を識別するためのもので初めの二文字が所属部隊を表し、三文字目が機体番号で本来はこれもアルファベットで表記される。
「このコードレターには私も驚きました」
その声に振り返るといつの間にかローレルが肩を怒らせて立っていた。
「これじゃあ目立ちすぎです。理不尽です。ワザと注目を集めるような事をして……少佐に囮までおしつけるなんてっ!私は大佐に抗議します!!」
「囮……?ナルホド…そう見えなくもないか………」
「ええ?」
アトキンズは
「そういう意図は無いと……?」
「まあ多分なあ……戦闘の最中に相手を確認している余裕なんて無いだろうし、選ぶわけにもいかんしなあ……」
「その言い方だと少佐は識別しているんですね?」
「まあな。でも普通は、無意識に確認するのはどうしたって国章と機体だろう。上手いパイロットだと思えばコードレターを確かめたりするな。そういうパイロットからは新人を遠ざけたりサポートしてやらないといけないからな……」
「ナルホド…随分と余裕ですね?でもこれは……」
アトキンズの説明ではこのコードレターの説明にはなっていない。
「新型機を誇示したいってのも分かるよ。おかげで俺はヘマ出来ないってことだが、逆に活躍できれば敵さんもビビるだろうし結果的に戦意も下がる…てところかな?まったく、大佐殿は厳しいな。根っからの騎士だな、アレは……」
「そんな名乗りを上げて敵に突っ込むなんて前時代的なこと……それだけ少佐が期待されているのは分かったけど、そんなに上手くいきます?」
「もちろん逆に奮起する者もいる。でも少しでも自信の無い者をおよび腰にさせるだけで確かに全体の勢いは変わる。そこから総崩れすることさえあるのが戦争だよ。『恋と戦争は手段を選ばず』てな?」
と、ローレルは目を見張ってアトキンズのセリフに感心して手を叩いた。
「意外!まさか少佐の口から劇作家のフレッチャーの言葉が出てくるなんてっ」
「はあ?フレッチャーなんて知るか!たまにいるんだよ、そういうことを言うパイロットが……」
「何だ、そっか…感心して損しましたよ?」
「そんな事言われても何も出ないぞ。おれに教養を求めるのがハナから間違いだ」
残念そうに首を傾けてアトキンズを覗きこんだ。。
「でもパイロットってロマンチストな人が多いですよねえ?少佐だって実は……?」
「カッコいい、とか、空に憧れて…なんてか?」
「そうそう」
深々と頷いた。
「俺は、違うかな……」
「ふうん、違う……他にどんな理由があるんですか?」
「歩くより楽だから!」
「は?」
たった一言にローレルの脳はフル回転した。
「それって…物理的なものじゃなくて……感覚的な話ですよね?どういう意味ですか?」
しかし当のアトキンズも首を捻る。
「飛ぶのはもちろん好きだが、そうだな……単に飛んでる方が歩いているより気楽というか…飛ぶのは必然?というか、当然というか……?ほら見ろ、教養が無いから上手く説明も出来ん」
(歩っているより気が楽なんて、そんなヒト……)
しかしすぐに、まんまとフレヤに誘い出されたあの夜を思い出す。あの時の、店で接していた顔とは違うフレヤの表情が思い浮かんだ。
安らかで安堵に満ちたあの横顔を……
「まるで、魔女…みたい」
「え?!」
(あ!)
めずらしく口走ったことを自分自身で驚いた。
「いえっ魔女ってほら…自由に空を散歩していたり、ぽっかりと浮かんでいるようなイメージで……今の少佐の話が重なったものだからっ」
「そ、そうか……そうかもな」
一応おさらいをしておくと、ローレルは魔女の正体がフレヤだと知っているし、アトキンズがフレヤの正体を隠していることも知っている。しかも深夜のタンデムデートはナイショだとフレヤに念を押されたのだから彼女との関係の裏側は全て秘密に…という心理である。
そしてアトキンズは魔女の顔は見ていないという
2人はバツが悪そうに顔を見合わせて笑った。
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