第68話 ギュゲスの指輪 2

「ギュゲスさんなんて知らないがその話は何というか……」


「不愉快?でしょうね、これは昔々に伝えられた伝説のひとつ、ただのお伽噺とぎばなしだけどね」


「お伽噺か……おそらくその話はその、俺でも聞いた覚えのあるクロイソスを中傷する為に敵対する誰かが創作したんじゃないか?」


 しごく真っ当なアトキンズの考察にフレヤは小さく頷いた。


「かもね。ホントに、話そのものは取るに足らない幼稚なもの。だけど、この話の中に登場した指輪そのものに注目した人物がいたの」


「ん?まさか、その人は指輪の存在を信じたとか?」


「ふふ、プラトンさんは知っているでしょう?」


「ああ、すごく有名な…たしかギリシャの哲学者…だったよな、って?その人物ってのはプラトンなのか??」


 フレヤは楽しそうに首を振った。


「プラトンにはグラウコンという兄がいてね、グラウコンはプラトンの師であったソクラテスにギュゲスの話を引きあいに出してこう質問した。『人に気づかれずとも不正を行なって栄華を極めた者と、正義を貫き結局は何も得られなかった者を比べると、どちらが幸福で良い人生を送ったといえるのですか?』ってね」


「!、その質問は……っ」


 アトキンズにはその意図が分からなかったフレヤの問いかけ。


「そう、私がローレルさんに初めて会ったあの時に、同じ質問を彼女にしたわよね?」


「ああ、したな。俺には何を聞かれているのかもよく分からなかったが……」


「そう?まあ、それを含めての質問でもあったけれど、グラウコンはこの質問の理由をソクラテスにこう言っているの。『良い評判は社会の中で利益を得るためのものであって、つまり不正を行わないというのは社会に強制されているだけで個人の正義には何の関わりも無い。もしも社会に咎められず何にも縛られない神のような『力』を手にすれば、全ての人間は『正義』よりも『不正』の方が得になると知っているのだから指輪の『力』を使わない人間などいない。誰もが本心では使わない者こそ馬鹿者だと思っているでしょう』とかなんとか……」


「む…ううむ……誰にも気づかれない、罰せられることの無い『力』か……」


 グラウコンの問いかけにアトキンズはアタマを抱えた。


「だからローレルはあんなことを……」


「彼女は公的な社会に対する答えと私的な答えを即座に答えたわね。質問の理解力と回転の速さ、異常な記憶力に知識と探究心。彼女に近い人はそこそこにはいるけれど……」


 もの心がついた頃から人を観察し続けてきたフレヤはまるで、淡々と精神科医のようにローレルの能才とそれらの才覚を測る。


「使い方によっては、少なからず世界を変えるほどに彼女の『力』は強い」


「それは大袈裟おおげさ、とも言いきれないんだよなあ……しかし俺よりもローレルを高く買っているんだな?それとも俺が慣れてしまったのか……ああそれと、ローレルの耳の良さは野生動物並みだ」


「それね……私は、もしかしたら彼女の頭の良さはその耳に起因しているのじゃないかと思うのだけど……」


 フレヤがそう言うとアトキンズがれた眉のかしらを更に持ち上げた。


「え…なぜだ?」


「人間はほら、胎児の頃から音を聞いていると言うでしょう?」


「ああ……本当かどうかは知らないがな」


「彼女の耳の良さがどれほどかは知らないけれど、おそらく他の人とは比べものにならない量のものを聞いて育って、彼女の脳は普通の何十倍…何百倍も考えてきたんじゃないかしら?考えざるを得なかったんじゃないかしら?」


「言葉も知らない頃からか?」


「いえ、光に満ちた世界を目の当たりにする前から……」


 フレヤはカップに口をつけて喉を潤した。アトキンズは漠然とした話しに迷って心もとない面持ちである。


(話しの成り行きと言えばそうだが……それとも上手くはぐらかされたか?)


 それに話はローレルの話題にそれてアトキンズの問いはうやむやになりかけた。


「そ、それで?話は戻るがその…プラトンの兄貴の質問にソクラテス先生は何て答えたんだ?」


「!、ああ…話しがそれてしまったわね?」


 フレヤはそう言って指輪を指で遊ばせた。


「哲学者であり、神学者でもあったソクラテス先生はローレルさんのように答えるわけにはいかなかったでしょう。彼はグラウコンの主張にこう答えた。『ギュゲスの指輪を使う者は己の欲の奴隷となるが、使わない者は合理的に自身をコントロールできるから幸せである』とね」


 アトキンズはまた釈然としない顔をした。


「ふうむ……」


「でもこの話で『指輪』は悪しき『力』の象徴とされていることに気をつけないと。だから私は…私達はこう付け加えたい。どんな『力』にも多様性があるってね」


「つまり『力』はただの道具で罪は無い、と……?」」


「ありきたりだけどそれは真実よ。でも人はすぐにその真実を見失ってしまうでしょ?」


「ふむ……」


「そして気を許して自由にさせていると、宿主をガツガツと喰らい尽くして成り代わろうと隙をうかがっているモノでもある」


「なるほど……」


「『力』は自分のものではあるけれど自分自身とはまた別のモノよ、ソクラテス先生は『合理的に自身をコントロール』という言葉にこの真実を込めたんじゃないかしら?」


「そうなのか……?まあ、小難しい話はローレルと…キミに任せるよ」


 そう言ってアトキンズは肩をすくめた。

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