第67話 ギュゲスの指輪 1

「どうぞ、入って。取り敢えずソファーに座って待っててくれる?」


 招き入れられたアトキンズはうながされるままソファーに腰を沈めた。テーブルには既にティーポットと飲みかけのカップが置かれている。


「私が飲んでいたお茶でいいでしょ?」


「ああ、急に押しかけてすまないな」


「今、カップを持ってくるから……」


 大きなリビングをくるりと見まわすと、扉が1つと奥へと続く廊下が左右にのびていた。片方はローレルがお世話になったバスルームと納戸に繋がっていて、もう片方の先には階段とダイニングキッチンがある。


 扉の向こうは客間なのだが、セアラがちょくちょく居候をしているうちに実質は彼女の別荘と化していた。


 そして3階にはバスルーム、納戸、フレヤの部屋を含めて4つのベッドルームがあった。どの部屋もタップリと広く作られた間取りである。


「ちょっとした屋敷だな……」


 しかしこの広い家には他に人の気配が無い。


「お待たせ……」


 すぐに戻ったフレヤが品の良いカップに紅茶を注ぐ。そんな何気ない所作に彼は魅入っていた。


「き、キミのご家族は……?」


 家に招かれればムリからぬ質問だがフレヤは少し驚いていた。


「家族?ああ……私は今、一人暮らしなの、両親は外国に行っているわ」


「?!、こんな戦時下に?!」


 思わずカップの紅茶をこぼしそうになる。


「ええ、だって…もうかれこれ10か月くらい経つかしら……」


「開戦前!、もしかして帰国出来ないのか?」


「ええ?まさか。たとえ父さんが一緒でもね、私達魔女には国境も警備も意味無いもの……」


 フレヤは得意気に天を仰いだ。


「そう、なのか…それなら一体、旅行?なワケないか」


「それは色々とね。それにしても、初めてじゃない?私にプライベートな事を聞くなんて……」


「!、そう…だったか?まあ、女性の家に招かれたなら家人の事を気にするのは普通、だろ?ましてや一人暮らしかもしれない君に招かれたしな。君も出逢って間もない俺をもっと警戒しないと……」


 気遣いからのお説教に驚いてフレヤは目を丸くした。それは思いもよらず心持ちが良かったからだ。


「くす……私が何者か忘れたの?」


「確かにキミは魔女だろうし、どれほどの力を持っているのか俺は知らないが、必ず火の粉を払えるとは限らないんじゃないのか?気がついた時には撃たれて撃墜された…一流のパイロットでもよくある話だ」


 彼の心配りはフレヤの『目』で見ても確かなものだった。


「ええ、そうね。『絶対』なんてこの世界には無いだろうしね。少し自分の力を過信していたかしら……?」


「お?ヤケに素直だな?」


「ご心配に対する礼儀よ。あとはホントに、たまには自分を戒めないとね?」


 そう言って彼女は胸を触って何かを確かめた。その仕草に思い当たったアトキンズからは好奇心というしずくがこぼれていた。


「なに?急に何か聞きたそうな顔になったけど?」


「ん?うむ……イヤ、いいんだ」


「何よ?プライベートな事ね?いいから言ってみて、答えたくないことなら言わないだけだから」


「ふうむ……」


 そう言われてもアトキンズは躊躇ちゅうちょしている様子だった。ただの好奇心がもしかしたらひどくデリケートなプライバシーに触れるような気がしたからだ。


 ただ、そういう物怖じをフレヤは好まない。というか感情が目で見えてしまう魔女かのじょ達にとって、相手の戸惑いが文字通り人並み以上に気になるのは仕方のないことだろう。


「まずは聞かなきゃ始まらない!それに応じるか、拒否するかは私の勝手でしょう?」


「たしかにな。でもそう言ってくれても…ふうむ、それじゃあ……あれは夜間では初めて君と飛んだ時だな…時間切れで君がスピットの翼に座っていたあの時だが……まあ、月明かりだけで何しろ暗かったから確かとは言えないが、君が首に指輪を下げていたように見えたんだ。今、君が『戒め』と言って触れたのはその指輪かと、思ってな」


 そう言われてフレヤは服の下に下げていたペンダントヘッドを再びおさえて視線を落とした。


「ふうん、よく見ていたのね」


「あの時は、月明かりを反射していたからな。実はそれが、後になっても妙に気になっちまって……」


「そう、ナゼ気になったのかは敢えて聞かないけど……」


 フレヤはチェーンを指に引っかけてその指輪を引き出して見せた。やはりそれは何の飾りも無いシンプルなゴールドのリングだった。


「やっぱり指輪…イヤ、指輪にしては随分と大きいサイズだよな?俺の親指くらいはありそうだ……」


「ええ、でもこれは間違いなく指輪よ」


 つまんで指先で遊ばせながら、フレヤは見惚れるほどに情の満ちたカオをつくった。


「この指輪には逸話があってね。遥かな昔にギュゲスという羊飼いがいたの……」


 そしてフレヤは丁寧に語り始める。




 ギュゲスはただの羊飼いでした。


 彼はある日、地震で入り口の開いた洞窟に入り、中で青銅で作られた馬の銅像を見つけます。


 馬の銅像の空洞には死体があって、その指には金の指輪がはめられていました。


 ギュゲスはその指輪を持ち帰って、よくよく眺めてから自分の指にはめてみます。すると信じられないことが起こります。彼の姿は透明になり、人の目には見えなくなったのです。


 これならどんな悪事をはたらいても誰にも見られることは無く、ましてや暴かれることも無い。


 王に家畜の様子を報告するという立場を利用するとギュゲスはその『力』を使って王妃に近づき、言葉巧みに彼女を寝とってしまいます。


 そして王妃と結託し王を暗殺すると自分が王に収まってしまいました。彼はたまたま手にした指輪の『力』によって栄華を極め、莫大な富を得て、かのクロイソス王の祖先となりました。




 フレヤの短い物語を聞き終えた後、アトキンズは眉をひそめた。

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