第66話 ギャラルホルン 2
ケインズとラスキンの耳ではせいぜい風の音しか拾えない。というかそれが普通なのだが。
「ホントにエンジン音なんかしました?まあ、だとすればソイツは……」
ラスキンが言いかけたがローレルが耳の向きを少し変えて言った。
「あ!もう一機っ、ん…でもやっぱり機種が分からない……」
「ウソでしょっ?どこ?何処にっ?」
ローレルは音のする方を指で差した。
「!、多分、一機目はハリケーン!」
「マジでっ?」
「ウソ?」
ローレルの指の先にあるものは薄い雲のかかった青い空。2人は目をジッと凝らして固まった。
「ん……?」
「なんだ、ハリー?何か見つけたか?」
ケインズはローレルが指差した方向に小さな黒い点を見つけた。
「あれだろ!いや、それよりもローレルさんの耳スゲェ、ホントに来たよ!」
「ええと……多分、次もハリケーンかな。でも何で……?」
ラスキンは段々と大きくなる一機目のハリケーンの影を見ながら言う。
「今日はね、内地の空軍基地から一個中隊が引越して来るんですよ。まあ、オレたちも今朝のブリーフィングで知らされたんですけどね」
「内地から?」
「はい、ハリケーンが8機、スピットが5機の計13機。あ、あと哨戒用にグラディエーターⅡが来るとか…」
独仏の事後処理が進んでいるであろうこの差し迫った時期の配置換えは、イギリス防衛線の配備状況がスパイなどによって敵国に伝わることをギリギリまで阻止するためである。
「14機も?」
「これで二個中隊体制ですね。中隊丸ごと引越してきます。特に地上員は増強されるでしょうね、補給車や作業車も……明日には完全な体制が整うでしょう。あ、それから今後は燃料も100オクタンに切り替えるみたいですよ」
もっとも簡単に戦闘機の機動力を上げる方法は燃料のオクタン価を上げることだった。そして戦力の増強は刻一刻と戦闘が間近に迫っていることを実感させる。
信じられないことに次々と聞こえてくる耳に馴染んだロールス・ロイスのエンジン音を聴いて、ローレルは言い知れない不安を感じて戸惑っていた。
戦闘機の咆哮はまさに、最後の戦の始まりを告げる角笛、ギャラルホルンが吹き鳴らされたことを意味していたからかもしれない。
夜更かしは慣れたものだが、フレヤは常日頃、目覚ましにも頼らず翌朝の8時にはスッキリと目を覚ます。ましてや店も休みなのだから義務感からも解放されて清々しい日曜を過ごしていた。
いつもの場所は店の入り口が見える3階の窓。わざわざ窓枠の高さにベンチを作り付けて営業中のさぼり場所にしていたおかげで、いつからかそこで暇を潰して過ごすのが習慣になっていた。
「あの子…大丈夫かしら?フフフ……」
ティーカップを
(でも、ショックが大きいほど……その価値はあったでしょう?クス…まだ酔っていなければいいけれどね……)
フレヤの真意がなんであったのかは分からない。案外と悪戯心に負けただけで本人にも大した目論みなど無かったかもしれないのかもしれないのだから。
何にしても昨晩のサービスはフレヤにとっては気分の良いものだったらしい。
「あら?」
そして高い所から通りを見下ろしていたフレヤは表通りから歩いてくるアトキンズを見つけた。彼女にとっては見慣れた光景である。
(まさか今日が日曜日だと気づいていないのかしら?まあ、ウチに来たとは限らないけれど……まさか?)
慣れているのはアトキンズも同じだったようで、メイポールの前を通る時には必ず3階の窓を見上げるのがクセになっていた。
「よお……」
アトキンズはこれも慣れた様子で手を挙げて微笑んだ。
「日曜日もそこにいるのか?せっかくの太陽だぜ、やっぱり活発になるのは夜なのか?バーテンだけに……」
「ふふん、大きなお世話ね……ちゃんと日曜日を満喫しているわよ?」
他愛の無いイヤミにフレヤが顔をしかめることは無い。『魔女の目』を使わなくてもその程度にはお互いの気心も解るようになっていた。
「いったい何をしに来たの、軍人さん?それとも散歩の途中?」
「ああ、まあ…もし会えたら、少し話しをしたいと思っていたんだが……ヒマか?」
「…………」
度々、フレヤは表層的な性格とは裏腹に、人を量るような思慮の深い目をする時がある。それは魔女の特徴的な共通点といえた。
「いいわよ。裏の階段を上がってきて」
「君の家に?店じゃあ無くて?」
「ええ、どうぞ……」
戸惑うアトキンズを尻目にフレヤは部屋の中へと消えた。突然のお誘いにさすがの彼にも緊張がのしかかってくる。
(今まで、彼女の家族を見たことがないが……やはり一人暮らしなのか?)
家族のことだけではない。魔女のこと以外で敢えてフレヤの個人的なことに踏み込まなかったのは、彼女の分析通り、彼の覚悟の表れだった。
まあ、それは置いておいてもフレヤが一人暮らしならば、そこへ男が踏み入ることはやはりはばかられる。そんな古風な男だった。
アトキンズがゆっくりと階段を上っていくと既にフレヤが扉を開けて待っていた。それだけ時間をかけて玄関に至ったことで、彼女もアトキンズの心情を察することができただろう。
「いらっしゃい」
逆にアトキンズの内面に踏み込もうとしていたのは彼女だったのかもしれない。
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