第35話 戦争の影 2

「おいっ、君!」


 アトキンズが近づいて声をかけると、若い警備兵は彼に対して緊張した面持おももちで正立し敬礼をする。なるほど階級を見ればまだまだこれからの一等兵、アトキンズの階級とネームバリューを前にすれば固くなっても仕方がない。


「君ひとりか?他の者はどうした?」


「は、はいっ、ええ…2名が不審者を追跡、リトルトン中佐以下数名は街の方へ…」


「街…?」


「はっ、それから陸、海軍には既に協力を要請済みです!」


「っ?!…俺は『不審者』…と言っただけなんだが……?」


 この時、港湾内にはイギリス海峡の監視の為に海軍が、もっと市街地に近い郊外には港を警備する為に陸軍がたしかに常駐してはいる。そしてイプスウィッチ飛行中隊は所帯も小さく人員も少ない。しかしこの段階で両軍に協力を願うのはいささか慌てすぎの焦りすぎに思えた。


「中には誰か?」


「はい、ニコルズ中尉とエンジニアの女性がいらっしゃいますっ、自分はおふたりを死守するよう命令を受けました!」


「!、そうか、ご苦労さん…でもこの扉を開けようとする俺を撃たないでくれよ?」


「はいっ!」


 アトキンズは扉の前に立っても急には開けず、大声で名乗ってからドアノブに手を掛けた。


「アトキンズだっ!入るぞ……!」


 そして中にいる人を驚かさないように、必要以上に静かに扉を開ける。ローレルがいるのならとっくに自分の声を、それどころか若い警備兵との会話も聞いていた筈である。


 格納庫に入った時、扉の正面に立っていたローレルとすぐに目が合った。彼女の無事を自分の目で確認出来た事で、アトキンズもようやく安堵あんどする。ニコルズはすぐ横の作業台にドカッと座りこみ、腰にはこれ見よがしに拳銃を刺していた、つまり彼はローレルの警護役をしていたワケだ。


「ローレル…無事だな?」


 こくりと頷く彼女は動揺していたのか少し身体を固くして無理に微笑んでいるように見えた。


「少佐……また、無理な着陸をしましたね…?ちゃんと聞いてましたよ……?」


 今、無理しているのは彼女の方だと分かっている、アトキンズはローレルに歩み寄ってポンと彼女の頭に手を置いた。


「なんだ?Mk5に余計な負担はかけていないぞ?」


「違います……強引に着陸したでしょう?」


「ああ…君はいつもそうして、ヒトより沢山のことを聞いて、ヒトより沢山理解できてしまう……怖かったろ?」


「っ!、へ、平気ですっ。ちょ、ちょっと…驚いた…だけで……」


 想像でしか無いがほんの一瞬でもここは騒然となった筈だ。小銃をたずさえた兵士が押し寄せ戦争を実感した筈だ。経験豊富な兵士であっても銃と戦争を前にして恐怖しない者はいない。ニコルズはそんなローレルのけな気な強がりをワザと笑い飛ばすのだった。


「がははは…っ!そいつはいらねえ強がりだな、嬢ちゃん!さっきまで不安で落ち着かなかったのが、少佐の声に気がついた時にはあんなにホッとした顔をしたじゃねえか!?」


「ちょっ、ちょっとニコルズさん……!?」


「おい嬢ちゃん、ここは強がらないと情けねえとか、こっ恥ずかしいとか…心配させねえように気を遣うなんて意味の無いことはしなくていい……」


「!」


「銃は怖いし戦争なんてイヤなもんに決まってるだろ、それは俺たち戦争屋が一番よく知っているんだよ。だからビビっているヤツにかつをいれる事はあってもバカにしたりなんかしねえもんよ。もしホントに怖くねえって言うなら……ソイツはイカレちまってるか、死にたがりのヤバいヤツなんだよ」


 ローレルがアトキンズを見ると『その通り』だと頷いた。そして彼女はポロリ、ポロリと溜まっていた憂色ゆうしょうの泥をこぼして訴えはじめる。


「はい、怖かったです…皆さんに守られて安全だと分かっていたのに……」


「そうか」


「不安でした……」


「そうだな」


「まるで対岸の火の粉がふいに落ちてきて、目の前でくすぶっているのに見ているしか出来ないような……」


「それを踏み消すのが俺たちだ」


「でも、ただ飛行機が好きな人だったのかもしれないし……でももし、スパイだったのなら…もうすぐそばに敵が近づいていることを感じるし、ここへ来た目的がMk5ならどこかで情報を……それに関しては一番怪しいのはウチの会社です。その次に確率が高いのがイギリス軍、そうでなければロールスロイスになりますが何しろヒントが少な過ぎて……それでも漏洩ろうえい元を捜すのはそれ程大変では無いですよ…………」


 どうやら胸に詰まっていたのは不安だけではなかったらしい、可愛らしい弱音は三言だけで、溢れ出したのはローレル探偵の『見立て』である。


「ま、まあまあ…まあ落ち着けローレル……少しはアタマを休ませたらどうだ?どのみち不審者を捕まえることが出来れば、少しは何か分かるだろう……」


「ん、ううむ…でもぉ、もしかしたら私のせいで逃げられちゃったかも……」


「…?、なんでだ?まさか君が…いきおい不審者を捕まえようと飛び出したとか……?」


 するとアトキンズの見当違いにニコルズが呆れて言った。


「そんなわけあるかい!だとしてもオレが止めるに決まってるだろうが……?まあ、あれだなあ、さっきはちょうど間が悪くてなあ……」


 立ち上がったニコルズは身体をほぐしながら、事の顛末てんまつを語りはじめた……


「今日は朝からハリケーンの点検整備をしていてな、まあ、だからといってMk5専属の嬢ちゃんにそんな義務は無いわけだが、本人はこんなだから嬉々としてプロペラを外しだすだろう?」


「え……」


 すぐに何かを言おうとしたが飲み込んで、恥ずかしそうにローレルが下を向いた。


「それからエンジンをひと通り触ってからエンジンに火を入れるわけだ。それでそのまま、嬢ちゃんはしばらくエンジンの調子をうかがっていたんだが……何かに気がついて、嬢ちゃんは機体後部にいた俺に向かって何かを叫んでいた」


「ああ、それじゃあ…エンジン音が響く中で、例によって不審者に気がついたローレルが、親方に叫んだ…という事なのか?」


「いやまだだ、話しはまだある……」


 ニコルズはバツが悪そうに頭をナデた。それを見てローレルが言うには、


「初めに叫んだのは、私がMk5の音に気がついて少佐が戻ったことを伝えようとしたからです。でもその直後に、薄い壁の向こうでカメラのシャッター音がしたんです」


「つまり、ええと…つまりは格納庫ではハリケーンのエンジン音が反響していて、空からは俺の機のエンジン音がしていた。そんな中でも君は壁の向こう側で切られたシャッター音を聞き分けたのか……?」


「はい…エンジン音とシャッター音は全く音の質が違うでしょう?そういう音は拾いやすいんですよ」


「音質とか、そんな問題じゃないと思うが……でもまだ、何が『間が悪かった』のか分からないが……?」


 そう言われてローレルはカメラの音がしてきた壁を見つめる。


「私は壁側に立っていたから聞こえたんだと……とにかくMk5が戻ったとニコルズさんに叫んだ後、カメラのシャッター音なんてまったく意外な音がしたものだから、理由を考えながらニコルズさんに叫んだんです。『誰かが外で写真を撮っている』って……」


 しかしニコルズは首を振る。


「当然だが嬢ちゃんが何かを叫んだのは分かっちゃいても、俺には何を言ったのかなんて聞き取れやしねえ……それでまあ、ポチっとエンジンを切ったんだが、切ったんだがそのタイミングでなあ……」


「私が叫んでいたんです、『誰かが外にいるー』って……」


 ローレルは口に手を添えてその時の様子をアトキンズに見せた。


「そうしたらすぐに、外にいた誰かさんにも聞こえたらしくて走って遠ざかっちゃって……あ、見たわけじゃなくてそう聞こえたんですけど……」


「もともと柵もない田舎の駐屯地だからな……なるほど、ようやくわかったよ、お互いに先走ったと思っていたんだな?」


「え?少佐、も…?」


「んーまあな、上から見つけた時にちょっとガン見しすぎたかな、と……」


 3人は気まずさを共有できて苦笑いを見せ合った。もしかしたら不審者はとんでもない所に忍び込んだと思ったかもしれない。そういえば、すぐに逃げ出した不審者の彼、もしくは彼女の英断も大したものだが、アトキンズには不思議に思っていた事があった。


「そういえば、俺が下りてきた時にはとっくにひと騒ぎ終わった後だったみたいだが、俺が不審者を見つけて管制に無線で知らせてからせいぜい5分しか経っていなかった筈だ。前線の基地なら解るんだが、ここは戦地でも無い本土で、しかも待機状態の地方基地だ…ローレル、不審者が逃げてからどの位で警備兵がやって来た?」


「2分もかからなかったと思います。最初の2人の後、すぐにリトルトン中佐が3人を連れてやって来て、格納庫のゲートを下げて、入り口に1人配置してからオーツさんとグーチさんも連れて出て行きました。『聞いていた』限りでは2人が不審者を追いかけて、残りは宿舎の方へ走って行きました。あ、ニコルズさんは私に付いているからと残ってくれたんです」


 完璧な答えである。時系列も見ていたように良く分かった。しかし、やはりその対応の素早さには謎が残る。


「どう考えても早すぎる……しかも歩哨の彼が言うには陸、海軍まで駆り出したらしい…まるで予め知っていたようだ……」


 アトキンズは歩哨の一等兵くんの方を見た。

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