第36話 戦争の影 3

 アトキンズはこの場で一番事情を知っていそうな一等兵にもっと詳しい情報を求めて外に出た。すると所在なさげにタバコをふかしていたアルドリッジが歩哨の彼と談笑していた。


「あっ、少佐!やっと出てきた…下りてきたはいいですけど、意外と平和そうじゃないですか?何か手回しも良かったみたいだし、リンカーンの話によると今朝タイミングよく警備強化の命令が出たらしいですよ?」


「今朝だって…?ふうむ……あ、君はリンカーンというのか……」


 一等兵は姿勢を正して再敬礼である。


「はい、ティモシー・リンカーンといいます!」


「それは立派な名前だな」


「はいっありがとうございます!」


「ところでティモシー、リトルトン中佐は警備強化の理由について、何か言っていたか?」


「いえ、おっしゃいませんでした。ただ我々は、ドイツの侵攻が止まらず、フランスにまで至ったからだと、納得していました」


「ふむ、まあ、たしかにな…」


 それはゆっくりと迫る日没の暗闇、そして狂気をはらんだ黒い霧を思わせる。


(もしも不審者がスパイで、こんな直接的な行動にでているのなら…いよいよ戦争の影がここまで伸びてきているのか……)


 故郷であるイギリス本国にその影が忍び寄る現実を実感すると、一等兵の話しを聞きながらアトキンズは口惜しい想いに浸っていた。


「しかし命令が出た途端にこの事件でしたから…はじめは訓練かと思いました」


「そうだな…もしかしたら抜きうちの訓練である可能性が、今でもあるが……」


 アトキンズは司令部のある宿舎の方を見た。


 戦争において情報は戦局を左右する。前線の基地は言うに及ばず敵のスパイ活動や監視は日常的で、ましてや古くから人種が入り乱れ、地続きだったヨーロッパでは一体どれ程のスパイが自分の国に入り込んでいたのか互いに把握しきれるはずもなかった。それは僅かな海峡に隔てられたイギリスでも同じである。


「吸います?少佐…」


 くうを見つめて考え込んでいるアトキンズにアルドリッジがタバコを差し出した。


「ん?いや、俺は吸わないんだ…ありがとう」


「そうか、そういえば吸っている姿を見てませんでした」


 アルドリッジは差し出したタバコを自分でくわえる。


「さて、我々はどうします?仕事は終わらせたわけですが…どうやら手の空いていた連中はリトルトン中佐に引っ張られて街の方へ行ったみたいですよ?」


「そうか…不審者が街に入り込まないように向こう側を警戒しに行ったんだろう、中佐もなかなか…いや、滑走路に誰も置いていかなかったことを考えると、大佐の指示かな?」


「どういう事です?」


「愛機くらい自分で守れってことだ、この状況で駐機している戦闘機を守らないなんて、司令官以外は判断できないだろう?拳銃は持っているな?」


「ええ、何ならオレのMk2にトンプソンが載ってますけど?」


 ※トンプソン・サブマシンガン。アメリカで開発された歩兵用機関銃。第二次大戦中は連合国などにも広く配備され活躍したが、マフィアなどにも好まれイメージを悪くした残念な名銃。製造開始から100年経った今日でも製造が続けられている。


「トンプソンっ?!敵地任務でも無いのに必要ないだろうっ?」


「そう…なんですけどアイツが無いとどうも落ち着かなくて……そう、お守りみたいなものですよ」


 敵地上空で撃墜され脱出、もしくは不時着した場合に備えて、パイロットは任務の際は最低でも拳銃を携帯するよう教育される。銃はたったひとりで敵地に放り出された時には自分の身を守る頼みの綱でもあり、アルドリッジのように短機関銃、あるいは小銃を備えておく者も少なくなかった。


 しかしこのイプスウィッチでは必要無い!本土防衛の防空任務を考えても過剰防衛である!!上官としても却下である……


「それは自由だが拳銃で十分だ。トンプソンはそのまま仕舞っておけよ」


「そうですね。まあ、幸い使う機会は無かったですけど…コイツの方が付き合いは古いし……」


 アルドリッジは飛行服の下から拳銃を取り出した。それは官給品でアトキンズにとっては懐かしい銃だ。


「エンフィールド・リボルバーか……」


「付き合いが古い、なんて言っても3年くらいですけどね。やっぱり少佐もコイツですか?」


「いや、俺は……」


 アトキンズは格納庫に入る前に納めた銃を再び抜いてアルドリッジに見せた。


「!、ミリタリー&ポリスじゃないですか!?オレはじめて見ましたっ。あのっ、触らせてもらっても…?」


「ああ、まさかとは思うが…撃つなよ?」


 ※アルドリッジのエンフィールド・リボルバーは英軍で採用されていた拳銃で、素早い装填と廃莢が可能な中折れ式が特徴である。対してアトキンズのミリタリー&ポリスはアメリカのスミス&ウェッソン社製のリボルバー、後にM10とナンバーが振られ、形を変えながら現在でも生産されている。


「分かってますよ……おおっ、コンパクト!」


「手の中で収まりがいいだろう?無理なく構えられるところも気に入っているが、実際の撃ち合いで有利なのはエンフィールドかもな?」


「どうでしょうね?機銃ならそれこそ何万発と打ってますが、銃の撃ち合いなんかしたこと無いし……でも確かにしっくりして良いですね?オレもM&Pを探そうかな……」


 アルドリッジは何度も握り直してその感触と重さを確かめていた。今にも試し打ちをしそうな顔にアトキンズは滑走路を指差して言う。


「とにかく歩哨に着くぞ。滑走路の半分から向こうを頼む、俺はこっち側を見張る。それからカッパを着た方がいいな」


「はい……しかし本当に歩哨は必要ですか?」


「アルドー、君は今…試されているぞ?」


「はい?」


 彼は首を傾げた。


「それにしてもハロウズ中尉とオルドリーニ中尉はどこにいるんですかね?控室にもいないし……」


「大方リトルトン中佐に引っ張られていったんだろう。多分任務までには戻るだろうが、もし間に合わなければもう一度俺たちが飛ぶぞ?」


「分かりました。まあ天気が悪いからそんなに乗り気にはなれませんが」


 2人はパイロット控室でカッパをかぶると小雨の降り続く中で歩哨に立った。


 そしてタイミングを測ったように管制室の電話が鳴った。


「はい、管制室」


「レイヴンズクロフトだが…」


「はい、大佐!」


 管制官は座りながらも姿勢を正した。


「アトキンズ少佐らは着陸後何をしているかね?」


「はい、格納庫を確認してから歩哨に立っております」


「そうか、分かった」


 それだけを確認するとニヤリと口元を上げて電話を切った。

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