第14話 本当の勲章

「でも見たかったなあ、あの魔女が追い詰められた姿なんて想像できなかったからなあ……何度も何度も負かされたんですから。あの紅い実の汚れがなかなか落ちなくて……」


 アルドリッジがちゅうにそんな想像を眺めているとアトキンズがたしなめるように言った。


「彼女は味方だろ?」


「!」

「!?」


「みんなの口ぶりからすると当然気が付いていたんだろう……?」


 すると一様に苦笑いを浮かべた。


「彼女が演じていたのは間違いなくメッサーシュミットのBfだった、しかも完璧なコピーだった。それに空戦中彼女はBfの性能の枠からはみ出すような動きは絶対にしなかったし、しかも攻撃してくるのはこちらをちゃんと正面に捉えた時だけだったろう?」


「は、はい…たしかに。でもメッサーにこんな動きが出来るはずがない、あっちも負けたくないから2、3割りは『盛ってる』に違いない、そんなふうにも……思いこんでました、まあ…負け惜しみですかね?」


 自分の頭を撫でながら恥をしのんだハロウズもようやく何かが吹っ切れたように笑った。


 アトキンズは部屋に用意されていた珍しいティーアーンを見つけると紅茶の茶葉をティーポットに三さじ放り湯を注いで置いてベンチに腰掛けた。


 ※『ティーアーン』は湯を保温しておく為の金属製のポットで大きなトロフィーや優勝カップの様な見た目をしている。昔から貴族などに好まれた高級品。


「コピーのモデルになった相手はかなり手練れのパイロットだろうな、ドイツ空軍には経験豊富なパイロットが数多くいる、眉唾は否めないがエースの撃墜数が3桁を軽く超える者が多いのも知っているだろう?その中でも優秀な者はやはり卓越したパイロットで自分の操縦する機体を完璧に理解している。俺も何度か追い詰められて逃げ回ることしか出来なかった経験があったしな」


 ※ドイツは撃墜数のカウントに自己申告を採用しカウント方法にも違いがあった。真偽は分からないがパイロットの虚偽であろうと思い違いであろうと戦果が上がることに越した事はなかったのかもしれない。ドイツ空軍のトップエースの撃墜数は200を超える数字が並ぶ。


 上には上がいて当たり前だ。僅かながらアトキンズの実力の一端を見ることが出来たハロウズには驚愕ではあったが、やはりそれが『現実』なのだろうと彼の言葉に納得した。それでも、


「それはっ、その…今の少佐のウデでも、ですか?」


「?!っどうかな……多少の経験は積んだし、乗っていた機体もその時々で違うしな……でも戦いの上での実力は飛行機を操る技術力とイコールじゃ無い、やっぱり経験だよ。敵より早く判断する、相手より早く動き出す。どんなチャンスも見逃さない眼とアタマを鍛える。『クリフ』は少しムキになって相手に合わせ過ぎるところがあるんじゃないか?」


 ハロウズを見て微笑むと入れ立てのお茶を含んだ。痛いところを突かれて他の2人に笑われたハロウズはまた苦笑いをした。


「相手に合わせていたら常に後手に回ることになる、相手の選択肢を減らして先回りすることが出来ればウデはあまり必要無いよ。自分がどうするか、では無くて相手がどうしたいのかを考えた方が手順としては正しい…パイロット同士なんだから何となく分かるだろう?」


 しかしそれが出来れば苦労はしない……


「ううむ」

「……」


 ハロウズが考え込むとアルドリッジも一緒になって腕を組んだ。


 コンコン…コンコンコンコン……


「?!」

「んっ?」


 アトキンズの講義が一区切りしたところで控え室のドアが急かすようにノックされた。しかし全員が違和感を感じたのはどこの基地でもパイロット控え室のドアをノックするような者はいないし、このドアには鍵も付けられていない。


「開いてるよ!」


 オルドリーニがその訪問者に返事をすると、


「失礼します、少佐?アトキンズ少佐っ!?」


(あ…やっぱり)

(だよね)


 顔を覗かせたのはローレルだった。アトキンズは彼女の顔を見て、


「どうした、血相変えて?そのドアにノックは要らないよ、ちょうどお茶をれたからどうだい?」


「あ…ええ、じゃあ頂きます、走ってきたからノドが……じゃなくってっ!」


(ぶっ……)

(くく……っノリがいいなぁ)


「今会社から連絡があってっ、改良されたエンジンをさっき送ったって、だから今日中に届くだろうって!」


 その言葉にアトキンズは身体を乗り出した。


「そうか!君のアイデアで改良したエンジンか?」


「はいっ!エンジンだけのテストはもう終わっているそうです。後は実機に乗せて飛行テストをするだけですっ。明日中…いえっ明日の午前中には載せ替えちゃいますから!」


「テストなんて、君の計算が間違う筈がないさ、そうか……間に合うかもしれないな……」


 話している内容とローレルとアトキンズのふたりがとても嬉しそうにしているすがたを見て他の3人の期待も膨らんだ。そして顔を見合わせてからオルドリーニが代表として、


「あの、改良されたエンジンとは何ですか?もしかして……」


「ああっ、マイナスGでの息つきを解消してスピットの弱点から我々を解放してくれるのは…このデキる子のアイデアだ!」


 ローレルの肩に手を優しく置いてアトキンズが彼女を賞賛すると、ローレルはピョコンと背筋を伸ばした。


 そして彼等がアトキンズの言葉の意味を理解した3秒後……


「ホントですか?ローレルさんの造ったエンジンはもうグズったりしないんですか?」


 アルドリッジも感心するやら驚くやら、他の2人の顔を見てローレルは急に照れくさくなった。


「い、いえいえいえ……エンジンは今までのロールスロイスのマーリンエンジンですけど……」


 てれてれしているローレルの代わりにアトキンズが説明をする。


「実は今更エンジンを変更することは出来ないから誰もが頭を悩ませていたんだが…彼女は画期的なアイデアで燃料の供給に手を加えたんだ。それはエンジンの一部だけの変更で済むから手間もコストもあまりかからない、今後の生産にも殆ど影響の無いアイデアだった。まあもっとも、ロールスロイスはさぞかし悔しがっているだろうがな!」


「それじゃあ…自己紹介で約束してくれた完璧なMk5というのが……?」


「そうだっ彼女のMk5だ!」


 ※ご本人の名誉の為に説明すると難題だったマーリンエンジンのキャブレター問題を解決したのがとある女性だったことは事実である。彼女の名前はベアトリス・シリング、王立航空機関のエンジニアであった。機械的な説明は割愛させていただくが、彼女のアイデアは画期的かつ簡潔で正式名称が付けられたにもかかわらず、『ミス・シリングのオリフィス』と敬意を持って呼ばれた。しかし余計な詮索だが『ミス』と言うことは当時は独身でいらっしゃったとか……?


「『私の』Mk5だなんてそんな……」


「いやでも凄いことだよ!これで急降下や背面飛行の制限が無くなればまったくの別モノ…生まれ変わるみたいなものだよっ」


 オルドリーニが褒めちぎるのも当然で、今までは直噴式のドイツ機にいいように逃げ切られ、呪いのようなスピットの弱点に歯ぎしりしていたパイロットにとってはまさに偉業と呼べた。そして彼女の努力も知っているアトキンズにとっては自分の事のように喜びもひとしおだった。


「君が成した事でパイロットが何人救われるか分からない、10人か…100人か、いやもっとだろう。それだけの仕事を君はやり遂げたんだ、勲章ものだよ……」


「あっ……!!」


 と、アトキンズの言葉に彼女は声を上げた。


「!!…なっ何だ急にっ??」


「あ……そのなんか、私…民間人なのに勲章をいただけるって……」


「っ?!」


 また急で驚きな報告に4人が目を丸くして言葉を失った。そしてハロウズが、


「お、おっと…………?」


 アルドリッジが、


「ええと、すごいです。本当に……勲章なんてジブンはさわったことも無いです」


 そしてオルドリーニが、


「おめでとうミス・ライオンズ、民間人でも功績を認められれば授与されるものだよ」


 アトキンズも驚きはしたがそれはイギリス政府に対してであって、ローレルの功績に勲章以上の価値があることは彼が一番理解していた。


「空軍の大将も粋なことをしてくれるな。おめでとうローレル、キミはただのエンジニアじゃ無い、君は我々戦闘機乗りの恩人となりMk5は誇りとなった、たかが勲章だが…胸を張って受け取ってくるといい」


 そう言ってアトキンズが静かに立ち上がるとすぐに察した3人もローレルに対して正立する。そしてアトキンズがゆっくりと誇らしげに持ち上げた右腕に合わせて、敬礼と賞賛を贈った。


「!!……あ…………」


 彼等の『感謝』と『誇り』に満ちた眼差し…それは確かに、勲章よりも重く、得難いものだった。そして彼女の心の中で姿を変えて、かけがえのない『誉れ』となった。


「あ…ありがとうございます……」


 絞るようにそう言うとローレルは紅く潤ませた顔で、こぼれる笑顔を見せた。


 この後エンジン換装の為にテスト機が即入院となった為に、結局はテスト終了迄の間、アトキンズは任務のローテーションから外されることになった。

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