第13話 恐速の魔女 6

 出遅れて上昇を始めたとしても後方からかぶせたMk5はスーパーチャージャーの力を生かして差を詰めていた。既に必中の間合いである。あとは魔女の背中を『射線』に捉えるだけだった。


 アトキンズをエース足らしめているのは彼の操縦技術と見た目の無鉄砲さだけでは無い。


 彼は離陸前の点検でつい照準器のチェックを忘れてしまう。つい忘れてしまうのは照準器を使わないからだ。そして何故使わないのかと言うと必要が無いから…彼には自らの手が握っている武装の射線が『見えて』いたという。


 その時の調子にもよるが、どんな動きをしていても体勢に応じた射線がアタマの中に正確に描き出されていたと言うのだ。だから敵機が射線のイメージと交差するタイミングを見計らってトリガーをしぼればよかった。


(あ…やば……っ)


 彼女の直感がそうささやいた、今にもスピットと目が合いそうだ。


 危機を感じた魔女はやや左に傾くとそのままあおって宙返りに入る。でもそのまま綺麗な弧を描くにしては速度が不十分…と言うよりは明らかに減速して急に機間が詰まった。このままではループの途中で推力が破綻してしまうだろう、いやあくまで飛行機の場合は…だが。


 逆の立場だったらどうするか?アトキンズは操縦を身体に任せて幾つかの選択肢をアタマに巡らせていた。そして彼女が見せた準備動作を見て眉間にグッと力が入る。


(いやまさかなっ……知ってるのか?)


 彼女は円の頂点に差し掛かるとガクッと推力を失って惰性を伴って降下する。更に横滑りを始めたあたりで確信をもったアトキンズは機をやや右に倒して斜めループに移ると、同じ様に頂点でスピットをワザと失速させた。そのままフットペダルを巧みに操作しながら強引に横転、機の天地を戻しながら空中でドリフトし、横滑りを利用しながら方向を変えて推力の回復に備える。


 まるで時間差で見る鏡写しなスピットの動きに流石の彼女も目を見張って驚くがゴーグルの奥のその目尻は楽しそうに下がった。


 しゃに向かい合う形になった2機はそのまま互いに譲らず高度を下げながら絡み合い、高速のままロールとスラロームで上下と左右を入れ替えながらもつれ合うような曲芸を見せた。既に空中戦と言うよりは技の見せ合いの様相となっている。


 初めは緊張感を持って成り行きを見守っていたハロウズもアトキンズの機動に感嘆し、繰り広げられる空中ショーを楽しんでいる。


(しかしなんだっ?さっきのっショートカットは??というか少佐は……決められるのにワザと見逃した……?)


 ハナから魔女をへこましてやろうという腹づもりなどアトキンズには無い。だったらハロウズが彼女に追われていた時に一撃離脱で上から強襲すればカタはついていた、むしろ戦闘であるなら必ずそうしていただろう。


 並ぶカタチになって互いに後ろを取ろうとするふたりの軌跡は、何度も交差し横転してはもつれ合って、まるで見えない糸をつむいでいるように見えた。


 繰り返しくりかえし、もつれてはほどけていた2人の軌跡も近づいていたイプスウィッチを前にすると、どちらからとも無く揉まれていた激流から顔を出して息継ぎをする様に、今は満足そうに隣り合って浮かんでいた。


 時間切れである。


「ゴーグルもしていたのか…ということは風を防ぐカラクリは無いのか……?いや全ては防げない、ということかな?」


 ふたりはようやくお互いに顔が見えるほどの距離にいる。アトキンズは名乗る代わりにゴーグルとマスクを外して敬礼をした。もしかしたら魔女の顔を拝めるかもしれない、そんな期待も持っていたが彼女はアトキンズの敬礼を見るとその場でコマのようにクルクルと数回まわって見せた。


「な…っ?!」


 そして彼に小さく手を振ってから今度は『棒っきれ』をあおってクルリとバック宙をキメると、ストンと垂直に落ちていきそのまま姿が見えなくなった。


「!!…なんだよ、やっぱりもっと『自在』に動けたのか……!」


 きっと彼女は好きな場所で空中で立ち止まったり、そのまま後ろへ後ずさったり……もしかしたら空に浮かんで寝そべって本でも読みながら無意に時間をむさぼったり、そんな事も出来るかもしれない、出来たならばとねたましくさえ思ってしまう。


 そしてそんな自分を見つけてしまうと、アトキンズは自分に呆れるばかりで苦々しく笑った。


(まったく……まあそれでもたしかに、何にも頼らずに飛ぶことが出来る彼女が正直言って羨ましいな…まてよ、あの棒っきれが無ければ飛べないのかもな……?)


「…………佐っ、アット少佐!」


 『飛び合い』から集中したまま魔女との出逢いの余韻に浸っていたアトキンズをハロウズの声が呼び戻す。


「!、ああ…すまないなクリフ、ちょっとヘンなスイッチが入っていた」


「ヘンな…?そりゃあまあ、かなりな空中戦でしたからね……それよりもすぐに高度を下げて着陸態勢を取らないと……」


 もうイプスウィッチは目の前だった。


「悪い悪い、それじゃあ着陸許可を……」


「それはもうオレが済ませました、風向きも確認しましたからついて来て下さい」


「そうか、任せるよ」


 飛行機を着陸させる時には離陸と同様に向かい風を受けた方が安全かつ最短距離で着陸することが出来る。


 ちょっとしたイベントはあったが2機は無事にイプスウィッチに戻ってきた。命を削り合う戦闘の後とは違って、今日は何か心地良い戦いの残滓ざんしが心に残っている。しかしそれはエンジンを切って地を踏んだ瞬間にいつも儚く散ってしまうもので、そんな時はいつも『もう一度空へ…』そんな想いだけが強く心に残った。


 しかし冴えない顔をしているのはハロウズである。今日も連敗を積んで紅い弾痕が刻まれた、よく見れば小さな種が引きずってこびりついている、確かに何かの実のようだ。しかもその相手にアトキンズは互角以上の戦いを見せた、ハロウズはそれが何より口惜しかったに違いない。


「流石ですね少佐…」


 気落ち気味のハロウズはそれでも気張ってアトキンズの技術を讃えた。


「ん?ああ…面白い相手だったな。魔女を見たのも魔女と一緒に飛んだのも初めてだったよ」


 手袋や飛行帽を脱ぎながらパイロット控え室に戻るとオルドリーニ少尉とアルドリッジ中尉が思い思いに時間を潰して待機していた。だが当然、上官であるアトキンズが戻って来れば2人は立ち上がって入室を迎える。


 しかしそんな堅苦しい規律を好まないアトキンズは隠しきれない苦い顔をする。軍隊である以上必要なことだと分かっていても、この階級制度がどうにも好きになれなかった。


「ちょっと頼みがあるんだが……」


「?」

「……」


「この班のメンバーだけの時は俺に対する敬礼は止めてくれないか?まあ他の上官に礼を欠くようなことがあってはならないし節度が足らないと思われるかもしれないが……要は心の中で敬意を払ってくれればそれで十分だ」


 3人は顔を見合わせて戸惑っていたがすぐに頷くとハロウズ中尉がアトキンズの申し出に応える。


「分かりました、我々はそれを少佐の命令と受け取ります、そうすれば誰かに見咎められても言い訳が出来ますからね」


「ああかまわない、助かるよ。どうも上官扱いされると気持ちが悪くてな…年寄り扱いならかまわないんだが……」


「あはは…年寄りって、少佐はまだ20代ですよね?」


 まだ21歳のアルドリッジが笑いとばした。そしてオルドリーニが、


「少佐は上官でもありますがイギリス屈指のエースです、だからどうしても特別な目で見がちになってしまって……そう言えばどうだったんだハロウズ、少佐との初飛行は?お前、少佐に挑戦すると息巻いていただろう?」


 オルドリーニがニヤニヤしてそう聞くとハロウズはバツが悪そうに苦笑いした。


「いやー挑んだまでは良かったけど、その後に邪魔が入って……」


「邪魔……?邪魔ってもしかてしてっ?」


「ああ、また出たよ、魔女の彼女が……っ」


「え?!それじゃあアトキンズ少佐も彼女と闘ったんですか?」


 アルドリッジだけでは無くオルドリーニもその結果に目を輝かせた。この中隊では誰も彼女に勝てていない、もしかしてアトキンズならば……そんな『いちる』とも言える希望を彼に出会った時から抱いていたのだから。


「いや…どうなんだろうな?カタチとしては引き分けなのかな……」


 そんなアトキンズの答えをハロウズは否定するように言った。


「いやっ少佐は本気で墜とすつもりが無かったでしょうっ?俺が見ていた限りでも2回はチャンスがあった筈ですっ。明らかに楽しんでましたよね?」


「ええっ!?彼女相手に遊んでたのか??」


 期待以上のハロウズの言葉にオルドリーニが聞き返した。


「ああ、最後のキレキレのシザーズもハンパじゃなかったが、特にあの…そうですよ少佐っ、あの宙返りをショートカットしたワザは何ですかっ!?」


 ※アトキンズと魔女が最後に見せたジグザグに回避行動をし、もつれながら相手を前に出し後方を取ろうとする戦術をシザーズと言う。


「あれは……Bfに上昇力で劣るスピットでも何とか宙返りでかましてやりたくて考えた、まあ…悪足掻わるあがきみたいなものなんだが……そりゃあ自分だけのモノとは思っていなかったが、まさか先に彼女に見せられるとは思わなかったよ」


「あ…あれが悪足掻き?!」


 目を丸くしているハロウズを見ても共感出来ない自分がオルドリーニはもどかしい。


「ええと……ループのショートカット?つまり?登った高度より小さく回る…とか?でもそれじゃ普通か…」


「いや違うって!そんな中途半端じゃ無くて天辺から降り始めた所で機体をロールさせながら横滑りさせてだな……」


 ハロウズが手振りを混じえて複雑な機動を必死で説明しようとしている。しかしそれよりもアトキンズには彼女が見せた『偶然』に思うところがあった。


(彼女があの技を知っていたということは多分……)


「あーもう…ここには機体模型は無かったっけ?」


 説明しているハロウズがじれ始めたのを見てアトキンズは自ら説明をする。


「別にループの時にだけ出来るってわけじゃ無い。スピットは急降下すると姿勢によってはどうせエンジンがグズるだろう?だったら逆にそれを利用してマイナスGになる瞬間に更に機体を右に傾けて失速させてやる。そうするとプロペラの回転で右に滑り始めるからそれをコントロールしてドリフトしながらついでにひっくり返してやる…さすがにそんな変化に照準がついてくるヤツなんか多分いないし、追い越さざる得ないからこっちは背後を取れるというわけだ。だからまあ、水平飛行からでも出来るがさっき言った目的とループと組み合わせるのがもっとも効果的だからああいうカタチになったのさ。もっとも戦闘で1対1のドッグファイトなんてまず無いし、速度とコントロールを失えば他の敵機のいい的になるからな。効率よく立ち回ろうとすれば『一撃離脱』みたいな戦術が一番良いわけだから実戦で使うことはまあ…無いだろう」


 ※『一撃離脱』は上空から襲いかかり一斉射を浴びせてすぐにまた急上昇で離脱、回避をする戦術である。多数の戦闘機が入り乱れる空中戦では執拗しつように追っかけっこをしている余裕は無い。周辺の敵機と目標の把握をしつつ高速で回避をする中で『お!アイツは撃てる』と見るやヒットアンドアウェイ!それが基本であった。


 と、アトキンズが理屈を説明してもアルドリッジはポカンと聞いているだけだった。オルドリーニはなんとか機動をアタマに描きながらその難易度にうなる。


「ううむ、理屈は解りますが…そんな僅かな時間の間にそれだけ複雑な操縦をこなすとなるとかなり難しいですね……何となく昨日少佐が失速から裏返った、機体を強引にひっくり返した動きと似ていますかね?」


「ううむ、似てはいるかもしれないが理屈は違うな」


「やっぱりこれは、一度見せてもらわないとっ、少佐!じゃないとオレのアタマには入ってきません」


 なら次回の僚機はアルドリッジになりそうだ。


「でも戦闘機…いや、飛行機があそこまで動けるものとは思いませんでした。実はアーキン少佐が魔女と戦った時にはあと一歩ってところで逆転されたらしいんです。その時は『妙な宙返り』でやられたとしか聞くことが出来ませんでしたが、ようやく謎が解けましたよ。俺は今まで…運が良かった……」


 何度か戦闘を経験し、その度に生き抜いてきた者は、少なからず自分が凡庸なパイロットでは無いと感じるものだ。自分は他のパイロットよりも上手い、特別な才能を持っている、だから生き残れるのだと。


 そう思うのは大いに結構なことだし、戦場に自ら赴く為には必要な自信だと言える。しかしアトキンズのように『もっと特別』で、明らかに秀でた者の存在を前にすると、そんな自信が霞んで思っていた以上に頼り無いものだったことに気づかされる。


 『運が良かった』…その言葉には直視したく無かった事実を目の前に置かれ、否応無く気づかされてそれを何とか飲み下したから出てきた言葉だ。


「『運』か……つまらないが俺たちには必要な才能だな」


 オルドリーニが呟いた。

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