第12話 恐速の魔女 5
一方、ついさっきアトキンズを見送ったローレルはせっかく出したのだからとばかりに電源車をそのまま拝借して他の機体のエンジンチェックをしていた。
(もちろんハリケーンのエンジンだって診れますよー、まあエンジンなら何でも大丈夫だけど…スピットもハリケーンも同じロールス・ロイスのマーリンシリーズですからねー、フンフーン……)
エンジンに触れている時のローレルは実に楽しそうだ。それでもちょくちょく時計を見ては空を見回している。
(飛び立ってから1時間ちょっと……そろそろ戻るかな……?)
それでもまだスピットファイアのエンジン音は聞こえてこなかった。
2人のスピットはハリッチを過ぎたところで『観光』も終わり、あとはイプスウィッチに帰るだけとなった。ということは……
(!)
黙って真横に機体を寄せたアトキンズとハロウズの目が合った。既に模擬戦は始まっている、自分から先に動くのか?相手の動きを見てから対応するのか?否応なく緊張感と緊迫感が高まっていく……が、次の瞬間だった。
2人のスピットの目の前を認識出来るかという速さの何かが…まるで打ち上げた花火の様に真っ直ぐに昇って行った!
「な?!」
(!!)
アトキンズは目に力を入れて辛うじて謎の飛行物体を目で追い続ける、見上げて逆光に目を細めると、どうやらソイツは背後に回り込むように反転しようとしているようだ。
それを見てすぐにアトキンズは声を上げた。
「『ブレイク』だっハロウズ!」
「はっ?ああ…」
マイクに叫ぶよりも早くアトキンズはスロットルをぶち込んで回避行動に入っている。そしてすぐにスロットルを絞ると機体はドリフトするように向きを変えた。しかしハロウズはそれが模擬戦なのか飛行物体への対処なのか分からず、いくらか戸惑ってから操縦桿を倒した。
※『ブレイク』とは敵に襲撃された際に編隊を崩して回避行動をとれ、と言う指示である。
目の前を通り過ぎた『もの』が何なのかは…いや、何者なのかはその瞬間に見当がついている。とくにアトキンズは
(本当に出るとはなっ?)
『敵機』の姿を逃がさないようにやや上昇しながら右へループを描く。右を見上げて目で追うと『敵機』は旋回しながら反対へ逃げたハロウズ機に目を付けているのが分かった。
「なるほどっ、確かに棒っきれだ」
400メートルほどの距離を置いて目を凝らすと確かに棒のような物に跨って伏せた姿勢で飛んでいる。まずいことにハロウズは相手の位置を把握出来ていないかもしれない、『魔女』はハロウズの頭よりも少しだけ後ろの位置を維持しながら正面に捉えようとしている。
「マジか?たいしたものだが…」
アトキンズはすぐにハロウズに敵機の位置を叫んだ。
「垂直11時だクリフ!左降下して振り切れっ」
すぐさま反応してハロウズは更に操縦桿を倒すと同時にゆっくりと引いて旋回に入る。その間にアトキンズは魔女のアタマを抑えるように回り込みたい。
(考えてみりゃ哨戒中はペアで飛んでいるわけだから2機を相手にして負けが無いってことか?…………っ!!)
魔女はチラリとアトキンズ機を見ると更に加速した、機を寝かし降下してスピードを乗せるハロウズ機の側面を狙っている。
「ははっ、まるで戦闘機だなっ?」
ようやく魔女を確認したハロウズが更に反転して
突然顔の真横の風防に何かが当たって赤いペイントが弾けたっ。
「!…くっそ……っ」
魔女は巻き付けたストールの中でにやりと笑うと素早く方向を変える。
しかし、それで怒りが収まらないのは『撃墜』されたハロウズだ。彼はすぐに切り返すと『敵機』を追って第二戦を挑んだ。
さすがに遠まきに見ていたアトキンズからは何が起きたのかは分からなかったが、ハロウズが魔女を追うのを見て上昇し、2機?が見渡せる後方からサポートすることにした。いくら何でも模擬戦程度で混戦は危険だと判断したからだ。
ハロウズが奥歯を噛んでスロットルを全開にすると、それに応えてエンジンが
「今日は勝たせてもらうっ!」
その背中を照準器が捉えそうになった途端、すっと沈み込んだ魔女は一気に急下降に入った。
「ぐ……っくそ!」
その機動を離れて見ていたアトキンズは、そこに好敵手であるドイツ戦闘機、メッサーシュミットBf109の姿を重ねた。
「!っ…今の動きは……っ」
こうなるとハロウズは後を追いつつもグズるエンジンをなだめながら見送るしかない。
スピットは旋回性能ではBfに勝っていたが急下降時にはエンジンが息をついた。それはキャブレター式の弱点で、マイナスG…つまり重力の負荷が無くなると液体である燃料がエンジンに上手くまわらなくなり無理をするとエンジンが止まることさえあった。
そうなると『敵機』はスピットの動きを見ながら都合良く旋回して優位な位置を確保出来る。そしてハロウズはもがきながら2個目の『弾痕』を受けた。
「ち…くしょ…う」
明らかに着いた勝負にハロウズが下を向いた時、すぐ横をアトキンズ機が勢いを増しながら下降していった、驚いて頭を風防にぶつけながら目で追うとMk5は舵を襲撃者に合わせつつ上目で見ながら高度を下げ続けていく。
まとわりつく敗北感を振り払って今度は傍観者となったハロウズはアトキンズの動きに神経を集中した。
集中していなければ1秒もかからず100メートルを飛ぶ戦闘機に目が置いていかれてしまうからだ。
頃合いと見たのか徐々に機体を水平に戻すと共にスロットルを上げていき、機首が上を向き始めると一気にエンジンを回す。スーパーチャージャーを与えられたMk5のエンジンは上昇力がMk2よりも強化されている。
アトキンズはぐいぐいと引っ張り上げられ前方の魔女との距離が詰められていく。しかし詰め寄っても高度差を保って相手の下方を目標にしたまま200メートル位手前でスピードを落とした。
「あれは……スカートか?」
距離的には、人のカッコを確かめるにはちょっと遠い、でも自分の眼にかなりの自信を持つアトキンズには厚手の上着に女性らしいスカートが風でバタついているのが見える。それに多分、顔には何かをグルグルに巻き付けているように見えた。
そこで思わずアトキンズが確認したのは高度計だ。
(寒くないのか??)
今の高度は3000メートルあたりを指している。しかも高速で飛行しているのだから身体はとんでもない風速に耐え、風で下がる体感温度は軽く死ねるほど寒いはずだ。コックピットに収まっているパイロットでも結構な厚着をしているのに。
「やっぱり……ほうきじゃないんだな、棒…ただの棒っきれだよな?」
魔女への好奇心が勝って意味も無く眺めているあたり彼は少し集中力を欠いていると言われても仕方がない。しかし、初めて見る不可解な生き物にどんどんと興味が湧いてくるのも仕方のないことなのだろう。
それが魔女の彼女としては不可解に映った。すぐに襲い掛かってくると思っていたのに妙な距離からジリジリと近づいて来ている。
「?!」
この妙な
もしかしたらあのパイロットはこの距離でも当てる自信があるのかもしれない。それでも徐々に近づいて来るのは必中の間合いではないから、おそらく自分を正面に捉えようと動いた時がその時……
この距離でならこちらの動きに対応できるし、だから振り切ることも難しい。自分が下に逃げれば一斉射を浴びせればいいし、横に逃げても結果は同じ……
一撃必殺の距離まで何もしなくても自分の負け、なら……
(まったく…後ろに張り付くのはいいとしても、下から見上げるなんていやらしいわね……)
などと相手の動きからパイロットの技量と自分の負けパターンを彼女は想像しているが、実は正解である。
ただ本来、戦闘機の一騎打ちならアトキンズが陣取った位置はバックミラーやバックモニターでもない限りは相手から完全に死角となる。そんな時は速やかに方向転換して敵機を探すべきだが、背後に着かれて何秒もたてば動くべき方向を間違えると機銃の雨が降ってくるのだ。パイロットは狙われている恐怖に負けず正しい選択をしなければならない、飛行機ならば……
しかし彼女の視界は360度で死角は無い、その答えは……アトキンズの必中の距離までほんの少しのところで魔女が降下、するようなフェイントを入れてから一気に上昇に転じた。
追う方はフェイントだとは思ってもその動きを無視できずに
「おっとっ小憎たらしいなっ」
アトキンズは嬉しそうに口元を上げながら操縦桿を引いた。70度の上昇角度、それでも位置取りと距離間に変わりは無いが今度はスピットの動きが制限される。
「俺を『釣る』気か?」
彼女が下降に転じればスピットの弱点が顔を出す、そして振り切られるかもしれない。でもアトキンズにはここからどう動かれても体制が崩れる前に勝負を決める自信があった。
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