第7話 幸運のパブ 2
ひとりの帰り道もやはり急く気にはなれないアトキンズは、ついつい辺りを見回しては深く息を吸い込んでこの街の空気を楽しんだ。
(なるほど、散歩するには良い夜だし、良い街だな。ちらほらと人が歩いているのもうなずける……)
そして半分ほど戻った交差点でふと足を止める、いや…何かに惹かれて曲がった先を望み見ていた。
まだ寝るには早いしこの街にも興味が湧いてきた。もう少し歩いていたいし、せっかくだから土地勘をつけておこう…そんな軽い足どりで宿舎への一本道から外れてみる。
(へえ、この辺りの建物は随分と古そうだ)
街の外周になるこの辺りでは中心部に比べればそう建て込んでいるわけではない。
(おそらく軒並み200年は越えているだろうが、古くてもロンドンとは違ってすすけていないな……ええと、タイムスリップ…だっけか?)
最近どこかで聞いたそんな言葉が頭に浮かんだ。そうは言っても200年前の街並みに車が路駐しているはずも無いが……
「お?」
そしてどおりでこの辺りには路駐している車が多いわけだ。
「パブを発見……か?」
店にしては小ぶりで質素なドア、右の路地に面した壁にはすりガラスの窓が5つ、6つ。その灯りの漏れる窓から聞こえてくる客の話し声、ドアの前で上を見上げてようやく控えめなレリーフの看板を読むことができた。
「『メイポール』……メイポール…ああ、5月祭のあれか……」
『5月祭』は紀元前から続くとされる。起源は豊穣の女神や精霊に豊作を祈り祝う祭りで、メイポールはその祭りの象徴として、その中心に立てられる大きな『5月の柱』のことである。
「ううむ、ネーミングセンスは…微妙かな?パブにしてはまた随分とメルヘンな……」
その名前に腕を組んで少し考えると当然のようにドアノブに手をかける……というところでまた考える。
(初日から隊の連中と一緒か?まあ、しょうがないか……)
どちらかと言えば今日は静かに過ごしたい気分だが成り行きに任せてアトキンズは扉を押した。
予想していたよりも厚い扉が意外な重さで身体を押し戻してくることに少し驚いたが負けじとウデに力を込めると、開いていく隙間から漏れる『聖域』の灯りが暗い通りを照らして広がっていく。
(へえ…思ったより広いな、それに……)
客席の広さはそう…テニスコートより大きいくらいと言えば分かるだろうか?うすく着色された腰板と白い漆喰の壁はクラシックだが建物に比べれば新しく、電球色のやわらかい灯りで満たされた空間はパブにしては明るくて隅々までよく見えるほどだった。
そしてフロアのまさに中心の照明の下には2メートルほどの細く小さな『メイポール』が立てられて降り注ぐ灯りに照らされている。
「いや、小さっ…」
1歩2歩入ってまずは賑やかな店内を確認するが、宿舎とこれ程近いのに同僚達の姿が見当たらない。代わりに気づいた視線に目をやると、カウンターの中から店員の女性に無表情に見つめられていた。
それからフロアを動き回る店員の女の子がもうひとり、しかしこれはおかしい……
(見るからに美人な店員が2人……これを彼等が見逃す筈はないが…………)
見回しながら取り敢えずは酒を買おうとカウンターにゆっくりと近づいていく。
「誰かをお探し?兵隊さん……」
すぐに声を掛けてきたカウンターの店員は鼻筋がスッと通った彫りの深い色白美人で、美顔特有のキツさは無いのに見つめると瞳にやたらと力を感じる女性だ。
なにより適当に遊ばせている淡い…というよりも絹糸の様な澄んだ長いプラチナブロンドが目を引いて、何というかちっとも儚げでは無いがふうわりとあまり重さを感じさせない雰囲気があった。
「他の兵隊さんは来ていないわよ?」
そして変わらずに無表情だ。
「いや、別にかまわないんだ」
「ふうん…それで?飲むの?飲まないの?」
「おっと、じゃあアイランド系のスコッチを…あとビールをハーフで貰えるかな?」
「ふうん……オッケー」
「!?」
今のオーダーが気に入ったのか彼女は少しだけ口元が笑ったように見えた。
流れるようにグラスにウイスキーを注ぎ、サーバーから注ぐビールの泡をこぼしながら薄めに残す。そんな気持ちの良い動きは酒を旨くするものだ、アトキンズはその所作を楽しみながらポケットの小銭を探った。
「どうぞ」
目の前に置かれたグラスと引き換えに多めのコインをチャラリと置く。
「おつりはいいよ」
「どうも、楽しんで……」
良い感じだ。落ち着いた店の雰囲気も…ちょっと気になる愛想の無い店員も気に入った。そうか、バカ騒ぎ出来ないこの雰囲気をアイツらは敬遠したのかな?
そんなことを考えながら適当なカウンターに陣取った。
彼の酒量は人並だがスコッチが好物である。口に含んでその刺激と香りを楽しみビールでリセットしてはを繰り返す。
(おっ!と、この潮加減は絶妙に……!?)
海の香りがふくよかで塩味さえ感じる、自分の好みに見事に合わせられたアトキンズは驚いた顔で彼女を見てしまうとそれに気づいた彼女はしたり顔で口元を上げてゆっくりと近づいて来た。
「気に入った?」
「ああ、まいった。このウイスキーは一体……いやでもさっきのボトルには銘柄が入って無かったな?」
彼女はさっきのボトルを取り出してくると目の前に置いた。
「そりゃそうよ…これは1年間、波打ち際に保管しておいてもらった特別製……わざと若い原酒を選んでね」
「な……?何てこったっ、じゃあここでしか飲めないのか!?」
更に驚いた顔を見せると彼女は最高に勝ち誇った表情をした。
「そのとおり……ふふん」
そして鼻で笑うとわざとらしく棚に納めてしまう。
「う、ううむ…初日にとんでもない店に当たっちまった」
「初日……?」
「ああ、ついさっき着いたばかりなんだ」
「ふうん……」
するとアトキンズの背中を見通すような目をしてから、
「じゃあ夫婦で?」
「ぶ……?!」
突拍子も無い質問にビールが喉で止まった。
「んぐっ…はあっ?いやいやいや…独り者ですけど?それに結婚していたとしても夫婦で赴任してくる奴はいないだろっ?」
「ふうん、そう…女の『匂い』がしたから……気にしないで」
「ええ??」
思わず自分の腕の辺りを嗅いでみても触れてもいないローレルの残り香などあるはずもない。アトキンズの不可解そうな顔を見ると彼女はくすりと微笑んだ。
(妙な女だ……)
「あなた、パイロットでしょう?」
「ああそうだ。て、君はあれかな?占い師もやっているのかな?」
「?、ふむ……そうなの?」
「???」
謎めいた存在感をまとう女に遊ばれている気分になっていると射抜かれるような視線を感じて無意識のうちに振り返させられる。
見ればもうひとりのフロアの店員が自分のことを見ていた。カウンターの女より若そうな彼女は、目が合うとにこりと微笑みで返してくれたがしかし……
(うむう…………なんだ?量られているような、値踏みされているような……)
彼女は美人と言うよりはショートヘアの誰が見ても可愛らしい女の子だが、カウンターの彼女と同様に妙に威圧感を感じさせる雰囲気を持っている。
そしてカウンターに向き直ると、さっきの美人はいつの間にかレジの前で意外なほどほがらかな笑顔で酒を出しているじゃないか?
(ふうむ……一見は警戒されるとか?でも嫌われている風でも無い……)
好みの酒と謎解きをのんびりと楽しみながら目だけを動かして店の空気も味わっていた。
(基地の人間が見当たらないところを見ると兵隊は嫌いなのか、な……?)
そんな事を思い、他の客の話し声に浸り、しばらくはこのパブの雰囲気を楽しむ。そして最後のひと口をあおるとグラスをカウンターに置いて静かに立ち上がった。
「あら、おかわりかしら?」
少し離れていたカウンターの美人がレジへ向かおうとするところを手で静止する。
「いや、いいんだ、これで帰るよ。今日は顔見せということで…」
「ふうん、てことはまた来るの?」
「?……ダメなのかな?あんな美味い酒を出しておいて?」
そう言うと彼女は眉を上げておもむろにふんぞって腰に手を当てた。
「かまわないわよ、でも今度来る時にはあのボトルは空になっているかもね?」
「んな?!あれは最後の1本なのか?」
「ふふん、まさか!まだ樽には『売る』ほどあるわよ」
「ああ、そう……」
彼女は楽しそうに人を喰った薄ら笑みを浮かべたかと思うと少し目をキツくして言った。
「来てくれるのはかまわない、けれど次からはその軍服を脱いで平服で来てくれる?」
「!、ふむ…やはり軍人は好きでは無いのかな?」
アトキンズの問いかけに彼女は視線を落として表情を消した。
「べつに………ウチのドレスコードよ」
「ドレスコード?まあ…そんなことでいいならいくらでも従うよ、ここではバーテンダーがルールだからね」
「そう……よかった」
見慣れてくると無表情な中にもちゃんと感情を含んでいるように見えてきた。ちなみに今のは『微笑み』かな?
「すぐにこの街での楽しみが見つかって幸運だったよ……ああそうだっ、その『メイポール』には触れてもいいのかな?」
「え?ええ、いいけど…なぜ?」
「んん…なんか幸運を貰えそうだから、かな……?俺はパイロットなんでね」
見つめられて答えを待つこと瞬き二つ、また微笑んでくれたような感じがした。
「そう……どうぞ『ふれて』ちょうだい。でも『さわる』じゃなくて『ふれる』って言い方…良いわね?」
「そう、か?」
「くす……」
結局終始『バーテンダー』に主導権を握られっぱなしだったが悪くない気分だった。この街にも少し馴染んだ気がして宿舎に戻る決心もついた。
そして今日の仕上げにアトキンズはこの店にきた証を残すようなつもりで店の真ん中に立つ小さな『メイポール』に触れてみた。
(また随分と小さなメイポールだな、しかしイギリスじゃああまり柱は立てないが……確かドイツとかフランスとか、あっちのやり方じゃなかったかな?………ん?!)
握るのに丁度良い太さのその柱は触れていると体温の様な熱を中に感じて、指先から入り込んでくる何かが手の中で迷うように動いている感触がある。決して嫌ではない『それ』はゆっくりと指を離すにつれ、また指先からするすると抜けていく……
(??????)
さわさわと感覚が残る手のひらを眺めて、いぶかしい目をしながら今度は反対の人差し指を近づけようと……
「どうかしたのかい?兵隊さん…」
見れば不審なアトキンズに声をかけてきたすぐ横のテーブルの年配夫婦が不思議そうに見ていた。
「ふふ、そのポールに何か感じたのかしら?」
さらに老婦人は何か物知り顔でにっこりと笑っている。
「え?ああ、いえ…何でもないです。いやあ仲がよろしくていいですね?」
アトキンズはその場を取りつくろってそそくさと出口へ向かいながら記憶の中を探った。
(いや…何だ?この感じは何か……?)
何故この奇妙な出来事を自分は自然に受け入れたのか?
(どこで?何で……?ううむ)
何故ならこの感覚を既に知っているような気がしたからだ。
アタマでは記憶と感覚の回廊を彷徨いながら体を出口へと向わせていると、ニヤリとほくそ笑む顔が彼の広い視野の端に見えた。
「?」
そこに立っていたのはバーテンダーの彼女だったが、でも顔はニヤついておらず、すまし顔でアトキンズに向かって小さく手を振っている。と、それにつられて今眺めていた手を振ってみたが意外と気恥ずかしい思いに驚いた。
(お…こういうのは何かこそばゆいな……)
そしてそのままその手をドアにかけるとようやく店を出た。
(ううむ、面白い店だったな。どうも歓迎されていないような、そんなことも無いような………互いに様子見、と言ったところか。まあいい、さあて……戻って寝るかー)
『よそ者』が店を出た後、それまでの一部始終を見守っていたフロア担当の彼女はニヤニヤしながらカウンターに近づいて来た。
「珍しいですねえー、オーナーが兵隊さんに話しかけるなんてえ……まあねえ、結構『特別』な感じの人でしたけど……何ですか何ですか?何か気になっちゃう感じ??」
「何バカなこと言ってんのよ?特別とか言っても…そこそこ感覚は鋭いみたいだけど、腕の良いパイロットなら当然でしょ!?それに、想いを寄せてくれる女もいるみたいだしね。まあそんなことはどうでもいいけど、『墜とし』甲斐はありそう……」
ショートヘアの彼女はオーナーの『悪い顔』を見ると呆れてクギを刺した。
「ええ?またあ……また怒られますよ?私まで肩身が狭くなるんですよー、それにあの人が戦闘機乗りかも分からないのにぃ……?とにかく、程々にして下さいねー!」
「はいはい、でも彼は……絶対に戦闘機乗りよ」
「あ、はあー、ダメだこりゃ……」
まるで悪びれない無邪気な『オーナー』の顔にムダな忠告だったと思い知らされ、彼女はカウンターにへたり込んだ。
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