第2話 第11戦闘機群イプスウィッチ中隊

 夜目が効かないことを昔から『鳥目』などと言って、悪気も無くちょっと誰かを揶揄やゆしたりしたものだが、実のところそれはまったくの濡れ衣で、鳥は人間なんかより余程目が良いという。


 フクロウ、ヨタカにゴイサギ、それにキーウィなどなど、夜に生きることを選んだ変わり者がいることもけっこう知られているし、そうで無くとも宵っ張りな鳥達は沢山いるようだ。陽が落ちても耳をすませば、暗い遠い空から夜行性でも無い水鳥の声が聞こえてきたりもする。


 夜は私達が盲目になって見つけることが出来ないだけで、夜闇の中でナイトフライトを楽しんでいる鳥達がいるようだ。


 そして随分とながいこと、空は翼を持つ者たちだけのサンクチュアリだったが、空に魅入られた人類の諦めないひたすらな『探求』と『探究』……


 それが夢想の外で創り出された内燃機関とプロペラと……乞い願うヒト人が紡ぎ合わせたハリボテの翼とが渇望の出逢いを果たした時に…飛禽よりも更に高く、そして何倍にも速く、遥かに遠くへ飛んで行くことが出来る騒々しい鉄の鳥を飼うに至った。


 そして更なる航空力学の発展と新たな飛行機の開発が何より強く望まれた理由、それは人が生み出し繰り返す災厄……戦争だった。





 1940年6月10日、フランスはドイツの猛攻を抑えきれず遂には首都をドイツにあけ渡し、政府は田舎町のボルドーへと退いた。


 ドイツの勢いを見てやがては海峡に達すると予想していたイギリスは、本土南東海岸各所に広く飛行中隊を展開して、ドイツから領空を守る為の防衛線を着々と築きあげていた。


 そして翌11日、夜の闇の中で、鳥が群れ飛ぶ遥か高空で、人知れず一機のスピットファイアが雲を引いていた。


 時折りその新たな愛機の挙動を確かめ遊び、最高速度から少しばかり強引に上昇し、下降し、パイロットは接合された機体のパーツがキシキシと立てる音を楽しみながら熱く粘りつく空気を引きずって旋回する。


「はは……っ、ふむ、悪くないなっ!」


 エンジンはスロットルを操作する左手に懸命に応え、機体は操縦桿の動きに遅れまいと必死にアルミニウムの身体を捻る。パイロットはその手応えを存分に味わいながらイギリスのコルチェスター上空を北東に向かって、スピットファイアは風に弄ばれる木の葉の様に舞いながら消えていった……





 イングランド東部、内陸に切り込んだ港湾のそばにイプスウィッチという街がある……古くからの伝統と新たな文化が常にせめぎ合ってきたこの街は、1500年以上という長い歴史の中であらゆる様式の建物が混在し、この街特有の景観と時間の流れを創り出している。


 しかしこの地方都市も例外無く戦争の余波に巻き込まれ、街外れの飛行場には大戦の情勢をかんがみて、本土を防衛するために6機のスーパーマリン社スピットファイアと5機のホーカー社ハリケーンが既に配備されていた。


 すぐそばに隣接する建物には本部と宿舎が設置されて、指揮官以下の指令系統とパイロット、整備士その他を含めると41名が常駐してその任にあたっている。


 官民一体となって支援されていた空軍は他の必要な人員などを現地で調達し、食事係などは近所のおばちゃん達が活躍していたらしい。


 そして地方の料理を味わった夕食後には夜間任務の為のブリーフィングが毎日行われている。パイロット総勢10名、下はオスニエル・アーキン少尉の20歳から上はフレッド・アーキン少佐が27歳、ちなみに2人は赤の他人である。


 そしてこの10名を取りまとめているのがクラレンス・ピアース、階級は中佐で37歳、独身貴族を気取って久しい男だ。


「今夜の非番はハロウズ、アルドリッジ、オルドリーニとクリオーネ、それとF・アーキンにラングショーの6名だな。哨戒はケインズ、ラスキン、コールマン、O・アーキンの4名…たっぷりとエンジンを回してチェックしておけよ、他の者は宿舎を出る場合は行き先を明記しておくように…」


 しかしキャプテンであるピアース中佐の指示もそっちのけで、この時全員の興味は部屋の隅に控えていたひとりの女性に注がれていた。


 軍服では無く白いブラウスにタイトな白いスカート、そんな女性らしい平服の優しい顔立ちの美人で、そして小柄で少し長いブロンドは後ろでまとめ上げ、やや緊張して引き締まった表情がとてもキュートに見える。歳はそう…20台半ば、くらいだろうか?


「ああ…分かったわかった、先に紹介しておこう……ミス・ライランズ、こちらへ」


「は、はい……っ」


「おいっミスだってよ」

「おお…独身だな?」


「静かにしろっオオカミどもっ!」


 他の兵種とは違い、パイロットはその特殊性から新兵でも20歳を越えるものが殆どで妻帯者も多い。しかし独身であれば、今まさに男盛りの者ばかりである。


「ミス・ライランズはスーパーマリン社でスピットファイアの開発に携わっているのだが……実は今夜、もうひとりこの隊に加わるパイロットがいる。正確には明日付けでの着任となるが彼はアール・アトキンズ少佐、知っている者もいるだろうがあのっ…義勇軍少佐のアール・アトキンズだ!」


 私の曽祖父であるアール・アトキンズはパイロットで飛行機に関わるあらゆる仕事をしていたらしいが、志願者を募って組織された予備兵組織、いわゆる国防義勇軍にも籍をおいていた。


 そこで曽祖父はパイロットとしてのウデを更に磨いて、大戦が始まると瞬く間にエースとしてその名を馳せるまでになったということだ。


「中佐、アトキンズ少佐とお会い出来るのは楽しみですが、これから…という事は夜間に到着するのですか?しかも…予備の機体はありませんからもしかして、陸路では無くて夜間飛行…少佐の乗機じょうきで、ですか?」


「そうだ、明日中の到着でかまわないと告げたが彼は夜間に飛ぶのが好きだと言ってな。出立の連絡は受けたからもうそろそろ到着するはずだが……まあこちらとしては問題も無いし許可をした。だからこの後の哨戒任務中に上空で出くわしても絶対に誤射などするなよっ、いいな!」


 人家も少なく天地も分からぬ暗闇の中、無線電波による誘導がせいぜいで現代の様にレーダーによる管制誘導もGPSも無く、自分の目と感覚だけが頼りだった当時の夜間飛行は昼間とは比べようもなくリスクが高かった。任務でも無いのに普通は避けるべき夜間飛行を好むと聞いてパイロット達はざわついた。


「はは…了解です、まさか本土上空で誤射なんてするわけがありませんよ。ええと…それで?」


「それで…?ああ、ミス・ライランズのことだな?お前達の気が散るものだから話す順序が逆になってしまったのだったな、まったく……それでだ、アトキンズ少佐の『乗機』であるスピットは実は開発が進められていた新型の『Mk5』なのだが、正直開発に時間をかけられない現状では実戦を想定したデータがまだまだ足りないそうだ……」


「マっ、マーク5ですかっ!?」


「おおー!」


「話しには聞いていたけどな……じゃあテスト機か!?」


 戦時下とは言え、今のところはまだ穏やかな本土勤務で呼び戻された男達は少々刺激に飢えていた。


「そこでだ…スーパーマリン社のテストパイロットでもある少佐にはここで実務をこなしながらそのデータの収集と改良、そしてテストをさせて欲しいと同社からの要請があった。つまりミス・ライランズはその担当というわけだ」


「え?それは、あの…この先も、ずっとですか??と言うことはですよ……ライランズさんは我々と同居人になるのですか?」


「バカを言うな…!お前らみたいなハイエナとひとつ屋根の下に置くわけないだろう!?彼女にはちゃんと滞在する為の家が用意されているっ、もっともキサマらには絶対に教えんがな!」


「ええー?」


 落胆する隊員に犬を追い払う様に中佐が手を振っている横で、ライランズは赤らめた顔に手を当てて苦笑いをしていた。


「紹介は以上だ、ミス・ライランズ…何か言っておく事はあるかな?」


「え?で、では私からもご挨拶を…よろしいですか?」


「もちろんだ」


 初めて聞いた声に隊員達が静まりかえった。そして彼らの視線が一斉にライランズに注がれる。


「えー、改めまして…スーパーマリン社のローレル・ライランズです。私はスピットファイアの開発チームのメンバーです。私の専門はエンジンですが、スピットのことは機体も含め大体は理解しているつもりです。一応の立場はアトキンズ少佐のMk5からのデータ収集ですが、皆さんがご自分のMk2のことで何か聞きたいことがあれば遠慮なくおっしゃって下さい。この際だからここのMk2も全部チェックしたいと思っています…なので、よろしくお願いします」


 ローレルはどんな反応が返ってくるのか、少し不安に思いながらかるく会釈してうつむいていると、彼等は一斉に立ち上がり姿勢を正して敬礼を揃えた。


「っ!!」


 ついさっきまでの軽薄さを微塵も残さず、自分に例外なく礼と敬意を示す彼等に目を丸くすると、したこともない敬礼を慌てて返す。アトキンズとも違う、兵士というものを初めてハダに感じてローレルは止めることも出来ずに身震いをした。


 しかし彼女がその余韻に浸っている中で年長でもあるフレッド・アーキンが真剣な面持ちで言う。


「中佐、ライランズさんに質問してもよろしいですか?」


「ん?なんだ?」


 ピアース中佐はうなずくローレルを確認してから答えた。


「まもなく量産の噂があるMk5のテストが今だに繰り返されているということは、実際には開発が間に合っていなかったということですか?」


 経験の豊富なフレッド・アーキンは編成されたひとつの班を任されるベテランである。彼だけでは無いが不安のある戦闘機に乗りたくないのは全員一致の意見だろう。しかも実を言えば彼らの乗るMk2は失敗作と言われ、各地では今だにMk1が主力として使われている。それがイプスウィッチに配置転換されたと思ったらあてがわれたのがMk2、その時彼らはさぞガックリと肩を落としたのだろう。


 そんな事情もあったせいか彼らも新型機に対しては少し疑心暗鬼になっていた。


「それは……」


「待ちなさいミス・ライランズ、おいフレッド、自分と、何より彼女の立場を考えろ、それはともすれば機密に関わる質問になるだろう……」


「いえっ、いいんです中佐………あの、Mk5は確かに…まだ改善するべき部分があるのは確かです。でもそれは、性能の更なる向上の為で…現状でも実戦には十分耐えうる機であること、そしてMk1以上の活躍を期待できる飛行機であることはテストをしていたアトキンズ少佐も太鼓判を押して下さいました」


「少佐が……?」


「それに……直接皆さんにお会いして気合が入りましたっ、皆さんがMk5の操縦桿を握る頃には必ず、完璧なMk5をお渡しできるように頑張ります!それで今は、許して下さい」


「おおっ!」

「しゃあーっ、楽しみにしてます!」


 その答えにフレッドも納得して頭を下げた。


「失礼しましたミス・ライランズ。私も期待して待ってます」


「はいっ!」


 拳を握って見せるローレルに安心するとピアース中佐は話しを続ける。


「それじゃあもういいな?あと、アトキンズ少佐の着任に伴って編成を変える。オルドリーニ、ハロウズ、アルドリッジの3名は彼の下に着け、第3班とする。いいかっ?しっかりとついて行けよ、置いていかれることが無いようにな……新たな編成とシフト表は明日貼り直しておく、伝達事項は以上だ、解散」


 解散…その言葉でいつもなら隊員達はバラバラと散って行くのだが、当然今夜はそんな日常とは様子が違った。

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