10 「…………君は良くこんな話の後に笑えるねえ」


 まさかの提案に目を丸める。空腹の時に目の前でケーキが焼かれているような気分だ。主人の表情を見遣ろうと顔を上げると――ウェズリーは弱々しく笑っていた。眉を下げ、どこか葛藤しているような表情だった。

 その顔を見てそうだった、と思った。デヴィッドとこの青年には何かある、と感じたばかりではないか。そんな人物が遺した手紙をそう簡単に、それも今日会ったようなメイドの前で読むわけがない。霊園にはチラホラと人が増え始めていて、先程よりも人の声がするようになっていた。


「……はい」


 頷く他にも何か言わなければいけない気がしたがその気持ちを押し殺し、霊園を後にしようと歩き出した主人の後を追い掛けた。金色の髪をそよ風に靡かせて歩く主人は今回も馬車を使う気配が無い。

 黙って歩く事三十分。途中王立劇場の横を通った時、黒煙の街と呼ばれるに相応しく煤の臭いが濃くなった。この劇場にはルミリエでも立派な焼却炉がある事で有名で、近隣の家庭ゴミからパンフレットやチラシといった紙のゴミを一日一回昼過ぎに燃やしている。


 その時だった。ひひん! とすぐ隣の道で馬の鳴き声がし、真横に馬車が停車したのが陽を遮る大きな影の存在で分かった。何事かと思い、自分もウェズリーもはっと隣を向く。


「ハイディ伯爵……!」


 馬車から出て来た姿勢の良いその人を見て驚いた。黒いシルクハットを被った白髪の老人は、午前にも会ったハイディだったのだ。


「こんにちは、伯爵。観劇されていたのですか?」


 ウェズリーの質問に、紳士然とした格好のハイディがうむと頷く。


「ああ、私の贔屓の女優が出ていたんだ。帰ろうと思ったら、来週行くゲネプロの原作者が居った。これは挨拶をせねばと思ってな」

「それはご丁寧に有り難うございます」


 ジェシカが言っていた通り、この人は本当に演劇が好きなようだ。寡黙なハイディにしては珍しく、頬を緩ませてどこか機嫌良さそうにしている。


「ところでどこに行っておった?」

「祖父が眠る霊園に行っていました。そうそう、ゲール・アップルソン氏も来ていましたね」


 ゲールの名前を出すとハイディはほう、と相槌を打った。伯爵と劇場の支配人は当然知り合いのようである。ウェズリーもそれを知っててゲールの名前を出したのだろう。


「では今から帰りか?」

「ですね」


 そこで会話は終わったかと思えた。その場を後にしようと思ったが、姿勢の良い老人は何か言いたげな視線を自分に送っている事に気が付いた。リタは姿勢を正し一礼をする。


「そこのメイドは……午前、デヴィッドの屋敷で会ったな? 言っていた通り、ウェズリーの元で働いておるのか」

「はい。伯爵、その折は有り難う御座いました」

「ちょっと? 雇ってないんだけど?」


 ハイディと少し会話を交わしていたら、ふと不服そうに主人に言われた。こう言われるのは想定内だったので、ふふと笑みを浮かべて返す。ウェズリーの面倒臭い性格を気にしていないハイディに大物の風格を感じる。自分もハイディもウェズリーの発言を取り合わない事に気が付いたのか、主人は肩を竦め切り出す。


「では伯爵、僕は失礼致しますよ。ゲネプロには僕も行きますので、そこでまたお会い致しましょう」


 行くよ、といつも以上に機嫌悪く促され、カツカツと主人は道を歩いていく。あっという間に距離を離されてしまったので、リタも慌てて頭を下げ、ウェズリーの背中を追った。


「待て!」


 話はもう済んだと思っていただけにハイディにしては鋭い声が背中にかけられ、何事かと思い主人諸共足を止める。振り返った先には、本音を言いあぐねてるような表情を浮かべたハイディがいて、ぽつと言った。


「ウェズリー・キング。何か困った事があれば、私に言うと良い。私にはお前を手伝うだけの力がある事を忘れるな」


 近くに幼児が居たらこちらまで届いていなかった、と思えるくらい小さな声だった。ハイディが何の話をしているかもいまいち分からない。それは主人も同じだったらしい。真意を図りかねるように一度瞬いた後、小さく首を縦に振った。


「覚えておきます。では」


 短く言い、今度こそハイディも己の馬車に戻っていった。ピシッと音を立てて扉が閉まり、その数秒後に馬車は自分達とは反対方向に進んでいく。


「……なに、あれ」

「さあ……? ウェズリー様への遠回しなファンコールでしょうかね?」

「どうだか」


 再び足を進めて先を歩いていく。不思議な人物に不思議な事を言われたからか、屋敷に行くまで無言のままだった。が、海岸通りに差し掛かった時、ふと主人が口を開いた。


「そうそう、夕飯……と言うか食事について言っておきたい事があるんだけど」

「はい」

「君は屋敷の台所を見たから分かると思うけど、僕自炊しないんだよね」


 主人が何を言わんとしているか読めぬが、はい、と首を縦に振る。やはりあの綺麗な台所では何も生み出されていなかったらしい。今晩から自分が立つ場所になるので、まずは掃除しないとな、と思った。


「でも君、料理作りたいでしょ? きっと」

「はい、良くお分かりで。許して頂けるならそうしたいと思っております」


 その問いに即座に頷く。主は決して言おうとしないが、一応自分はウェズリー・キングのメイドだ。主人の料理を作るのが仕事である。


「作ってくれるなら別にいいけど。その前にさ」

「その前に?」

「オートミールを買い溜めしてあるからあれも消費しないと」


 一瞬隣を歩いている金髪の青年が何を言ってるか分からなかった。秒針が首を傾げる程の沈黙の後、ようやく反応出来た。


「…………はい?」

「オートミールだって、オートミール。燕麦を加工した食品。君一回離れに行ってたから見たと思うけど、箱がいっぱい積まれてなかった?」

「それぐらい知っています! 箱……」


 主人の説明に反論しつつ、言われた事について思いを巡らせる。箱以前に色々な物か離れには散らばっていて、母親が留守中の子供部屋みたいだった。そう言えばあの乱雑とした部屋の中、炭と思しき箱がたくさん積まれていた事を思い出す。もしかするとあの箱の事だろうか。


「ああっ! あれ炭では無かったんですか!?」


 合点がいきリタは納得半分驚き半分で大きな声を上げる。


「そ。料理をするのも何を食べるか考えるのも面倒臭いし時間が勿体無いしで、僕毎食オートミールを食べてるんだよね。だから離れに半年分くらい買い溜めしてて。それがあの箱」

「……は、はあ……ま、毎食ですか? 飽きないのですか?」


 頬を強張らせ震えそうになる声を抑えて質問をする。だから台所が綺麗だったのか、と思う。袋から出してお湯でふやかすだけで、後はコーヒーを飲むだけくらいしか使わないのなら、早々汚れもしないし手入れも簡単だ。

 確かに料理を作るのには時間が必要だが、毎食は些か極端すぎやしないだろうか。だからウェズリーは顔色が悪いのだと腑に落ちる。そんな偏った食生活をしては、幾ら健康に良いオートミールとて毒にもなる。


「ふんっ、飽きないよ。別に嫌いじゃないし、……偶に牛乳にしたりシナモンを入れたりするし」

「それ誇る事ではありませんからね?」


 鼻を鳴らした主人が狩りから帰ってきた青年のような表情を浮かべて言うので思わずツッコミを入れた後、視線を外して「はあ」と溜め息をつき頷いた。


「つまりオートミールを消費しつつ昼食や夕食は私が作れば良いのですね?」

「そう言う事になるね。まあ僕は今みたいに一食くらい抜かす時も多いけど」


 はい、と覚悟を固めるように頷く。デヴィッドは孫とは逆に規則正しく三食食べるタイプだったので、初めは慣れなさそうだ。


「あ、後僕酸っぱい物が好き。覚えておいてくれてもいいよ」


 相変わらずの回りくどい物言いにもすっかり慣れてしまい、「了解致しました」と笑って答える。気が付けばもう黒い屋敷の前だった。


「…………君は良くこんな話の後に笑えるねえ」


 ウェズリーは横目で自分を見遣って感心したように呟いた後、すぐに前を向いて黙って先を歩いていってしまった。

 少々多めに食費を置くなり執筆に集中しているウェズリーを後に、リタは夕飯の食材を買いに出かけた。

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