第三章 迫りくる足音

11 「……君は本当、良く笑うよねえ」



第三章 迫りくる足音


 朝は特に機嫌が悪く、面倒臭い小説家の元で働くようになってから三日経った。離れで眠り、朝食はオートミールを消費し、ウェズリーがデヴィッドからの手紙を何時読むか気にしている内に、んん? と眉を顰めたくなる事に気が付いた。

 それは主人はコーヒーをとても良く飲む、という事だ。コーヒーもオートミールと同じで、取りすぎると体に良くない。メイドとしては譲れない問題だ。だから今朝買い物に行った時、ついでに買って来た物がある。


「ウェズリー様、昼食後の一杯はコーヒーではなくレモネードを飲んでみませんか? さっきシロップを作ってみたんです」


 そう向かいに座っている主人に提案したのは、昼食を食べた後だった。こちらに合わせてくれたのか、「掃除中の人が一階に居たら物音がして眠れないよ」とぶつぶつ言いながらも昨日今日は十時までには起きてくれるようになり、昨日は三時には寝るようになっていた。


「なんで? コーヒーが良いんだけど」

「ウェズリー様は些かコーヒーを飲みすぎです! コーヒーもオートミールと同じで、飲みすぎるのは良くありません。それに小説家たるもの、常に新しい事を試すべきです」

「良く言ってくれるなぁ、最近口が達者になったよね。まあ一理あるか……酸っぱい?」


 鼻で笑った主人は、それでもどこか楽しそうに返してくれた。自分で言った通り酸味好きの主人は、小皿にピクルスを盛ると何時も何も言わず綺麗に食べてくれる。おかげで漬物作りにハマりそうだ。


「勿論です。では、準備して来ますっ」


 意気揚々とキッチンに向かい早速温めのレモネードを作り、どうぞ! と笑顔でカップを差し出した。ほのかな湯気と共に周囲に立ち込める爽やかな柑橘系の匂いに、気難しい老人が好物を前にした時のようにぴくっと頬をひくつかせた主人は、こほんっ! と一つ咳払いをした後、何食わぬ顔で腕を伸ばしてきた。

 カップを口に運び――本当に僅かに目を細めた後、ごくりと喉を鳴らした。それから間を置かず、無言を貫きながらごくごくともう二口、三口、とレモネードを飲み進めてくれた。この反応だけでも十分伝わってくる物がある。思わず笑顔が溢れていた。


「コーヒー飲みすぎだから、か…………君はよく考えるね。手作りとか、好きなの?」

「はい。料理や裁縫をしている時は楽しいですし、自分が作った物で誰かが喜んでくれるのが嬉しいんです」

「ふーん。ま、その気持ちは分からなくは無いかな。僕も誰かが僕の小説で喜んでくれるのは、悪い気がしないし」


 相変わらず回りくどい言い方をする主人にふふふっと笑うと、ふっと主人が何か考え込むように目を伏せた。


「……君は本当、良く笑うよねえ」

「そうですか?」

「そうだよ。僕は友人が多いわけではないけど、少なくとも僕の周りでは良く笑う方さ。まっ、良いんじゃない? 泣いている人が近くに居るよりずっと励まされるよ」


 そう言って主人は目を細めた。穏やかなその表情が見慣れない。おかげで妙に心臓の鼓動が早くなってしまった。


「あ……有り難う御座います。ウェズリー様、申し訳ありませんが私ちょっと買い物に行ってきますので、失礼致します」


 内心こちらが動揺している事など、主人は全く気付いていないようだった。それどころか「うっかり言ってしまった」とばかりに自分の発言を後悔してるようだった。そう、とぶっきらぼうに言い、何時もの執筆机に向かっていく。リタも一度深呼吸をした後、まだまだ残っている食費を入れた財布をしまった鞄を持ち、そそくさと屋敷を後にした。




 何時も使う青果店は駅の反対側にあるので、少しだけ歩いたが直ぐに到着した。評判のいい店なので、相変わらず人が多い。


「あら、リタさん!」


 酸っぱい料理との兼ね合いを考えていたら、不意に茶色の癖毛が特徴的な女性に声を掛けられた。女性にしては珍しいパンツスタイルにすぐに誰だか分かり、都会で学友にばったり会ったような感情が込み上がってくる。


「ジェシカ様……! こんにちは、引き渡しの時は有り難うございました。買物ですか?」

「ええ。評判のここのお店が近くになったから嬉しいわ」


 頬を緩めて女性は笑った。デヴィッドの屋敷の新しい主になったとはいえ、従者を側に置いていなかった私立探偵とこの店でばったり会っても少しも不思議ではない。


「メイドの間でも評判が良いお店なんです、ここ」


 自信を持って頷くと、へえ、とジェシカが興味深そうに目を細め何食わぬ顔で返してきた。


「それは楽しみだ〜。ふふっ、今日のご飯はどった物にするべがなぁ」


 流暢に紡がれたその言葉に一瞬思考が停止した。まさかこのリズムの言葉をルミリエで聞く事になるとは思わなかった。驚きに目を見張り、説明を求めるようにジェシカに視線を向ける。と、同世代の女性はふふふっと楽しそうに笑った。


「この前、故郷はムソヒって言っでたべ? 実は私もムソヒの人間なのよ〜。言いそびれでたんだけんど、実は!」


 朗らかに言ってくるジェシカに瞬いた。少しして喜びがじわじわと込み上げて来る。


「えっ、ジェシカ様も!?」

「はい。この街で同郷の者とお会いでぎて、嬉しっ!」

「私もですっ!! もー、ジェシカ様、なしてこの前言ってぐれねがったんです……?」


 嬉しくなって自然と笑みが零れてしまう。

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