挑む理由
「今日はありがとう。……助かりました」
エレナは丁寧にお辞儀までしてシンに感謝を伝える。
無事に森から帰還した頃、街はすっかり夕焼けに包まれていた。道中、二人は距離を測るように会話した。
同じ年齢であること、同じ街で暮らしていること……共通点は幾つかあったが、中でもお互いに驚いたのが、お互い軍に入るつもりであったことだ。
「もうあんな無茶はするなよ」
シンがそう言うが、エレナは頷かず、答えない。
痺れを切らしたシンは、エレナに聞いた。
「……また戦う気なのか」
エレナは頷き、自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「この力があるから……絶対に負けない」
「どうしてそんな__」シンはあきれた顔をしてエレナに視線を向けるが、その表情を見て口を噤んだ。
鬼気迫る。酷く真剣な面持ちで、自分の手のひらをじっと見ていた。すると、氷のかけらがどこからともなく発生し、カチカチと音を立てながら拳ほどの塊になる。
エレナが手の力を抜くと、その氷は重力に従って地面に落ちた。
「だから私のことは放っておいて」
彼女はシンにちらりと視線を投げた後、背中を向けて歩き出した。
シンはその背中に手を伸ばそうとするが、途中でそれをやめて見送った。
#
__数ヶ月前。
エレナは天啓を受け、〝氷を司る者〟になった。今は氷を生み出す、生み出した氷を操る、触れた者を凍らせるといった力に限られるが、熟練することで辺り一帯を氷漬けにし、凍らせたありとあらゆるものを操ることや、氷の雨を降らすことさえもできるらしい。
強力な能力を得て、彼女は安心をしていた。街の小さな道具屋を営み自分を何不自由無く養ってくれた母親にようやく恩返しができると。軍に入って実力を認められ出世することも、〝氷を司る者〟であれば夢ではない。
また、軍に入らずとも〝ハンター〟として魔物を狩り、その報酬を得ることや魔物の素材を売却することでも一般の人と比べものにならぬほど豊かな生活がしていける。
今度は自分が母親を楽させる番だと、そう強い意思を携え、エレナは今日も魔物を狩りに森へ来ていた。
立入禁止区域の手前の比較的低級の魔物が生息する地域に、〝銅の首飾り〟をつけたエレナはいた。その銅の首飾りは、物心がついた頃から共に時を過ごしている、彼女にとって宝物のようなものだ。
今まで闘いとは無縁の生活を送っていたエレナは、時折母の手伝いをしながら、街の同年代の子どもたちと遊ぶ、そんな平和な生活を送っていた。
そんな生活を送る中、どこか焦燥感を覚えていた。このまま母の手伝いをするだけでいいのか、遊んでいていいのか、毎日頑張っている母の為に何かできないのだろうか……。
たった一人の家族。寝る前、細い腕で自分を撫でる母の優しい表情に、時折泣きそうになることがあった。
幸せになってほしい。強くそう願っていた。
〝氷を司る者〟。そんな大層な天啓を受けてとても喜んだ。
__母を絶対に幸せにする。
だから、今日もエレナは魔物を狩る。少しでも早く強くなる為、少しでも母の負担を軽くする為に。
「今日は……ここまでかな」
気付けば辺りは氷漬けになった魔物でいっぱいになっていた。
エレナはもう立ち上がることもままならないほど疲弊していた。強力な能力を持っているとはいえ、慣れない戦闘を繰り返して能力を酷使したら、こうなるであろう。
彼女は大木に身体を預けて息を整え、母に預けられた薬草を使用して傷を癒す。
そろそろ帰ろうかと立ち上がった時、背後から怪しい音が聞こえた。
草を揺らす音。
「誰?」
咄嗟に振り返るエレナ。
その視線の先には、貴族に仕える執事のような風貌をした、細身の中年の男が立っていた。
「気付かれましたか。いやぁ、小耳には挟んでおりましたが、素晴らしい能力でございますね」
パチパチと拍手をしながら近づいてくる男。エレナは警戒するように手のひらを向け、「止まりなさい!」と少し震える声を上げた。
この状況に笑顔を崩さず一歩ずつ歩みを進め近づく得体の知れぬ男に、動揺のせいか後退りをする彼女。氷の円錐を生成し、先端を向けて牽制する。
しかし、一瞬で姿を消して、エレナの目前に姿を現した男は、生成された氷を拳で叩き割る。
「しかし、まだまだですな」
ピクリとも動かない作られた笑顔に、エレナは戦慄する。
「なによ__っ!」
半身を凍らせようと男に手を伸ばすが、またしても姿を消し、その直後に背後に気配を感じる。
「能力に頼ってばかりでは強くなれませんよ」
ひんやりとする何かを首に突き付けられる。それが鋭利な刃だと気付いた時、エレナは両手を上げて降伏した。
「何者……ですか」
彼女は降伏した姿勢のまま聞く。男は短剣を引いてエレナに跪いた。
「申し遅れました。リベルタ王国のデュラハン王に従える執事のジャミレスと申します。以後お見知り置きを」
整えられた口髭、額から左目を超え頬まで通る深い切り傷が印象的な執事。
「何の用でしょう……」
エレナの警戒は続くが、攻撃の態勢に移ることはなかった。闘えば負ける。結果がわかり切っており、抵抗する気が起きないのであろう。
「この度は貴女をお迎えに上がりました。__デュラハン王の御息女、エレナ様を」
「……ごそくじょ? 私が?」
ジャミレスは頷き、表情を崩さぬまま目を開いた。傷を携える左目の瞳は、紅く光っている。
「ええ。貴女はデュラハン王の御息女でございます。__とはいえ、妾の子ではございますが」
状況を飲み込めていないエレナは、額に手を当てる。
「どういうこと……」
「混乱されるのも無理ないでしょう。一つずつご説明差し上げます」
__ジャミレスが言うには、エレナはデュラハン王と妾の子らしい。そしてその妾は、エレナの育ての母の姉ミレナであると。
彼女が二歳になる頃までは王城に住んでいたが、ミレナが病死した後、今の母に引き取られた。
平たく言えば、王はエレナを捨てた。
「……お母さんは、本当のお母さんじゃないの」
王の娘であったことよりも、母の本当の子でなかったということに衝撃を受け、エレナは力無く座り込む。
「左様でございます。しかし貴女は素晴らしい天啓を受けられました。これからは王女として、王城で何不自由なく暮らしてゆけるよう王が取り計らってくださるとのことなのでご安心ください」
ジャミレスは喜ばしいことのように話すが、エレナにはその言葉を理解することができなかった。
「安心も何も……。今更王城で暮らせなんて。そんなの、無理です」
「混乱されているようですが、これ以上無い名誉でございます。これも王の計らいですが、貴女が王家に戻ってくださるとのことであれば、貴女をここまで育てた御母堂には生涯を保証する金品をお与えくださるとのことです」
「生涯を保証? 具体的には……」
「一万の金貨と、自宅と馬車でございます」
エレナは目を見開き、生唾を飲み込む。
無理もない。平均的な年間の収入でも、金貨一枚になるかならないかだ。それを一万、更に自宅となれば、母は何もせずとも優雅に暮らしてゆけるであろう。
__実の子でもない私を育ててきてくれた。そんな母に恩返しができるまたとないチャンス。
エレナには魅力的な提案だった。しかし、ジャミレスの次の言葉で我に帰ることになる。
「勿論、その暁には貴女とご母堂は赤の他人となります。以後、会うことは叶わぬでしょう」
「そんなっ!」
「そんな都合の良い話はありませんよ。まあ、戻るべき場所に戻る時が来た。それだけです」
エレナは口を噤む。もう二度と会えない。しかし、母はそれを悲しむだろうか。
「考える時間は……ありますか」
「三十日ほど。しかしなるべく早くご決断を。王の気が変わることも無きにしもあらずですから」
にこりと笑ったジャミレスは、それだけ言って消えた。
すっかり夕方になった森の中で、エレナは少し泣いた。
それから、ずっと昔に母__と呼んでいいかわからない、母の妹に貰った首飾りを取り、感情に任せて投げてしまった。
自分のトレードマークのようなその首飾りは、川を越えて立入禁止区域へ入る。
__しまった!
彼女がそう思った頃にはもう遅かった。立入禁止区域の先には、ぼやけてよく見えないが大きな魔物がいた。その魔物は物珍しそうにそれを拾ってさまざまな角度から見た後、雄叫びを上げたのだ。
__結界を超えて、その雄叫びはこちら側まで響く。
彼女は悟った。
今の自分では敵う相手ではない。
こちらに目もくれず、背を向けて駆け出した魔物を、ただ立ちすくみ見送ることしかできなかった。
__それからというもの、エレナは母と顔を合わせることが苦痛になっていた。
失くなった首飾りを隠すように首元に手をやり、目を伏せて逃げるように通り過ぎる。食事の時間はわざとずらし、母が寝静まった頃に冷えたご飯を食べていた。
__これから、どうすれば。
約束の三十日は、残り半分に迫る。母に会わないように早朝から森へ向かい、自棄になって立入禁止区域に入り魔物を狩る日々を繰り返していた。
首飾りは、見つからないまま。
そんな最中、彼女は偶然グリズリー達の巣__簡易的な集落にも見える空間を見つける。
そこにはグリズリー達が生活を営んでおり、その中心には一回り大きな体躯をして、冠を被ったグリズリーの王がいた。
グリズリーの王__キンググリズリーが腰掛ける大きな切り株の周りには、人間から奪い取ったと思われる金品の類が山積みにされている。
草木に隠れ、様子を伺っていたエレナは、首飾りはそこにあると確信した。あの時__首飾りを手に取ったのは十中八九グリズリーであろう。この森に生息する魔物であのような雄叫びをあげるのは、グリズリーしかいない……。
そう思った瞬間に彼女は駆け出していた。ここ数日の間に、グリズリーを難なく倒すことができていたことから、制圧できると考えたからだ。
飛びかかってくる巨大を次々と凍らせ、
__しかし、針で傷を負わせることはかなわず、刃は空を切った。
次の瞬間、エレナは右半身に強い衝撃を受け、弾き飛ばされるように数メートル転がった。
__それからは、逃げることの許されない戦闘状態に入る。
隙を見せないようにキンググリズリーに体の正面を向けながら、森の中を後退りする。木を背にし、死角を減らしながら。
ゆっくりと一歩一歩距離を詰めてくるキンググリズリーに、冬だというのに冷や汗を掻く。
敵う相手ではない。先ほどの一撃で思い知った。
いくら強力な能力を得たといえど、戦闘はまるで素人のエレナは、百戦錬磨のキンググリズリーに手も足も出ない。
後退りを続けた彼女はいつの間にか開けた場所に出てしまった。
エレナは覚悟を決めてキンググリズリーに相対するように向かい合うが、恐怖と負傷による痛みで手は震え、冷静ではいられなかった。しかしそれを悟られぬよう、いつでも迎撃できる体勢を取りポーカーフェイスを貫く。
キンググリズリーの雄叫びを合図に、彼女は攻撃の姿勢に入った。
__この後、彼女はシンと出逢うことになる。
#
キンググリズリーから命からがら逃げた日の翌日。シンはいつも通り森に入る前に道具屋に立ち寄るべく歩いていた。
少し遠くに目的の店が見えた頃、その裏手にある玄関から見覚えのある長い銀髪が印象的な少女が丁度出掛ける姿が見えた。
「__エレナ?」
独り言のように呟き、目で追う。俯き気味に、森の方へ歩いてゆく姿を見て、シンは顎に手を当てて考えるような仕草をした。
「今日は薬草20個でよろしいですか?」
道具屋の店員の女性は、昨日に引き続き笑顔の裏には隠し切れない悩みが垣間見える。躊躇をしたが、思い切ってシンは口を開いた。
「はい。……エレナさんと何かあったんですか?」
店員の女性は驚いたような顔をして、シンの心を見るように視線を交えた。
「エレナのお友だち……?」
「シンと申します。エレナさんとは少し顔見知りというか……」
「そう、ですか」
少し、間が空く。
「何かお力になれることがあれば……言ってください」
矢継ぎ早に話してしまいたくなる空気の中、シンは意識して落ち着いて話す。彼にとって、昨日が初対面とはいえエレナの様子が気にかかっていたことや、彼女の母親だと思われる女性がある意味顔見知りの、通っている道具屋の店員だということもあり、思わず首を突っ込んでしまったようだ。
「……いえ、大丈夫ですよ」
力なく笑った女性に、シンは踏み込み過ぎたと少し後悔する。__これではただの野次馬だ。
「すみません。おこがましいことを言いました」
数枚の銅貨を渡し、引き換えに薬草の入った袋を受け取る。
いつもの作業を行い、背を向けて店を出ようと扉に手を掛けた時、重く閉じていた店員の女性の口が開いた。
「あの。少しお時間よろしいでしょうか」
シンが振り返ると、女性は立ち上がって軽く頭を下げた。
カウンター越しに向かい合う二人。縋るような表情で店員の女性は話し始めた。
「最近余所余所しい態度で……。あと、昔渡した〝御守り〟を、最近見ないんですよね」
「御守りですか?」
「あの子が三歳になった誕生日に渡した首飾りです。魔除の水晶を入れたもので、肌身離さず着けていたのに……」
「首飾り……」
シンは顎に手を当てる。
キンググリズリーは確か、金品や宝石類を好む。キングの由来は、勿論グリズリーの王だということもあるが、宝石類を身につけ、人間の王のような振る舞いをしていたことも由来であったとされている。
エレナがキンググリズリーに挑む理由、もしかすると__。シンがそう考えていると、道具屋の扉が開く音がした。
「いらっしゃいませ。……あの、ごめんなさい、また今度」
店員の女性が言うと、シンは「いえ」と会釈をして道具屋から出ていった。
「何をお探しでしょうか__」
#
シンは森の奥深く、立入禁止区域を越えて歩いていた。
「……やっぱり」
彼は呟く。
彼の視線の先には、氷漬けになったグリズリーやレオパルト、更にその先にはエレナがいた。
「あいつ……また戦おうとしているのか」
シンはエレナの元へ駆け出す。
キンググリズリーは近くにいないようで安堵したのも束の間、エレナは前方に集中しているようで、背後から忍び寄る
シンはそのレオパルトよりおよそ十メートルの距離があり、エレナとレオパルトとシンはほぼ等間隔ほど離れている。
Lv.4になった彼の身体能力は十メートルほどの距離を一秒を切る速度で詰められるほどになっていたが、レオパルトの方がまだ速いであろう。
「気付かれる前に直前まで近付く__」
シンは地面を左足で蹴り、走り幅跳びの様に跳ぶ。〝一般人〟とは比較にならない速度。風を切る音か、気配か、レオパルトが背後を振り返った頃にはシンが目前にいた。
刃が獣の顔面を横断した。
「ギャッ」
鳴き、血飛沫を上げる。そのまま仰け反った胸にシンは剣を突き刺した。
エレナがその声に気づき、振り向いた。
「あなたは!」
浴びた血を拭いながら、シンは剣を鞘に戻した。
「背後から狙われていた。そんなんじゃ、キンググリズリーに勝てない」
諦めろと言うように、彼は言った。
「……勝てる。私に触れたらその魔物は凍る。あなたの助けなんてなくても問題無かった」
「チートかよ……」シンが彼女に聞こえないように呟いた後、続けて言う。
「昨日の闘いを見た限り、それでもキンググリズリーには勝てるとは思えねえんだけど」
ピクリと眉を動かしたエレナはシンの元へ歩み寄る。血塗れのシンとは対照的に、散歩に出てきたような綺麗な服のまま。
彼女は威嚇するような表情でシンに近付き、触れるほどの距離でシンの顔に手のひらを向ける。
「ここで死ぬか、私を放っておくか、どっちがいい?」
シンは顔がひりひりと痛むほどの冷気を浴びながらも、冷静なまま表情を崩さない。
「それ以外の選択肢は?」
「あると思う?」
エレナはシンのその表情が気に入らないのか、眉間にシワを寄せる。シンは顔を伏せてため息を吐いた。
「キンググリズリーを倒すの、一週間待てないか?」
シンはエレナの表情を盗み見るように、視線だけ上げて言った。彼女は考え込むような表情をした後、シンを睨むように言う。
「何のための一週間なの」
「そりゃ……絶対に勝つ為の一週間だ」
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