氷の少女




__天啓からおおよそ三ヶ月。日々のトレーニングや魔物との戦闘により、〝Lv.4〟になったシンは、町を出る前の準備をすべく道具屋を訪れていた。


レベルが上がることで何かが大きく変わることはなかったが、身体能力は多少上がっていた。特に走る、跳ぶ、といった行為は変化を感じられているようだ。


しかし、彼は三ヶ月間ほぼ毎日修練を行っているにもかかわらず人智を超えるには程遠く、同年代と比べれば多少身体能力が高い程度のものだ。戦闘向きのスキルを持った人間と戦えば、簡単に負けるであろうことは明白だった。


「今日も薬草二十個でいいですか?」


常連となった道具屋の、店員の女性は、シンの為に取り置きをしていた薬草をカウンターに置く。疲れなのか、はたまた何かあったのか、いつもと比べると元気の無い彼女にシンは気付く。


よく見れば、目元が赤く少々晴れているように見える。


普段であれば濃い茶色をしたセミロングの髪を後ろで纏めて、溌剌とした雰囲気で『元気が取り柄です』と顔に書いたような女性なのだが__。


髪を下ろし、無理をして作ったような笑顔が痛々しい。しかし、十五の自分が二回り近く歳上の女性に、何かあったのかと問うことは失礼だとシンは考え、いつも通りに返事をする。


「はい。……あ、やっぱり四十個で」


いつもの二倍の銅貨がシンから店員の女性へ渡る。


代わりに薬草を受け取ったシンは去ろうと振り向いて歩き出すが、店を出る前に振り返って、意を決したように口を開いた。


「どうかされたんですか?」


シンは、顔色を伺うように見つめる。


「え? ああ……いえ、どうもしてないですよ」


ハッとした顔をして、取り繕うように笑顔を見せる。


「そうですか」と、シンは踵を返す。その背中を見送る女性は、残念そうな、それでいてホッとしたような複雑な表情で、「ありがとうございます」と軽くお辞儀をした。




#




街から程近い森の中。低級の魔物が棲息する比較的危険度の低い地域。平時であれば風吹く度に木枝が擦れ合う音が聞こえる静かな環境。


いつもシンは木漏れ日が差すポイントにハンモックを設置して訓練の合間に一休みをしていた。


冬に入ったといえど、まだまだ雪が降る気配はない。シンは普段の狩場よりも奥へ進む。


時折現れる魔物を剣で斬る。微々たる量の“経験値”を稼ぎながら目指す先は、まだ足を踏み入れた事のない森を横断する川の向こう。


を隔てる川に架かる古ぼけた橋を渡ると、一般の人が足を踏み入れるには危険なエリアとなる。


『立入禁止』と立てられた看板を前に、まだ早いと引き返していた彼だったが、この所レベルが上がらないことに思い悩んでいた。


そして、一つの仮説がシンの頭を過ぎる。


レベルが上がった時はいつも、楽には勝てない相手と戦い、勝利した時だ。


Lv.2に上がったのは、自分の胸ほどの背があるオオカマキリに辛勝した、天啓からひと月ほど経ったあの時。


Lv.3に上がったのは、それから数日後の人喰い花との戦闘。溶解液で鎧も剣もボロボロに溶かされながら、石を武器にして逃げ回りながら戦い、何とか撃退したあの時。


Lv.4に上がったのはつい先日。街の外れで子どもを拐おうとしていた盗賊の男を斬った時だ__。相手は油断していたのか、一振りで致命傷を与えた。身柄を憲兵に渡した後の話では、死ぬほどの傷ではないとのことで安心したが、殺めることなくレベルが上がったことは一つ発見だった。


楽に勝てる魔物をいくら斬り伏せても、レベルは一向に上がる気配は無い。思い出すだけで吐き気を催すような激闘に勝利した時にだけ、レベルが上がっている。


それに加えて、そこまでの戦闘ではなくても、悪人……もしくは“人間”であれば、レベルを上げるトリガーになるのだろうか……。




シンは見慣れた看板の前で、立ち止まった。


“立入禁止”


この先は、低級の魔物だけとは言えない、人類の管理下ではない地域。


いつもは先へ進むことはないが、を実証するべく、今日、この先へ進むことを決めて訪れたんだ。



橋の先は半透明のカーテンがかかったように、ぼやけている。それは普段通りのことで、結界のようなものがあるらしいが、その先に見える景色が普段と違うことにシンは気付く。


「白い……?」


明瞭には見えないが、明らかに白い。


__雪だろうか。それとも、何かが起きているのか。


引き返すという選択肢は無い。このまま同じレベルで足踏みする訳にはいかない。


「いつもと違うからって後戻りしていたら、いつまで経っても進めない……」


自分に言い聞かせる。


軋む橋を渡り、薄い膜のような結界に触れようとした彼の手は、何にも触れられずすり抜けた。


意を決して、結界の先へ飛び込んだ。




先の景色が明瞭になる。


見渡す限り、一面銀世界。空は晴れていて雪は降っていない。それにもかかわらず積もった雪。きらきらと日差しが反射して、眩しい。


雪はさほど深くなく、歩く分には問題がない。しかし、戦闘中は足を取られる危険がある。


シンは周囲を警戒しながら進む。


天候を操るドラゴンの類がいるのか……それとも人間に似た姿をした、高等な知能を持つ奇怪な魔術を扱う悪魔か。自然現象とは考えられない雪に、緊張のせいか寒さのせいか、剣を握る手は震えている。


この量産型の鋼の剣で斬れるだろうか。引き返すべきか。そんな風に迷いながらも、歩み始めた足を止めることの方が今の彼には怖かった。


__ここで引き返せば、二度と足を踏み入れる勇気が出ないかもしれない。ずっと立ち止まったままになる。


シンはLv.3に上がってから、盗賊の男を倒してLv.4になるまでの二ヶ月弱の期間、無駄だということに気付かないようにひたすら低級の魔物を狩り続けていた。


自分を騙して、問題を先送りにしていたのだ。


しかし、このままでは訓練兵になってもついていけない。もう、三ヶ月しかないんだ。



「なんだこれ……」


森の奥へ進むと時折氷漬けになった魔物がいた。オオカマキリや人喰い花といった低級の魔物が多いが、その中にはグリズリーやレオパルトといった中級の肉食獣もいる。その二種の魔物は、一頭でも今のシンには勝てるかわからない相手だ。


足を進めるにつれ、氷漬けの魔物が増えてゆく。生きている魔物はいない。


すると、ほど近くからはっきりと、耳をつんざくような獣の雄叫びと、氷の割れるような音が聞こえた。



「__誰かが戦っている?」



シンは冷気を帯びた風に顔をしかめながら、音の方向へ駆け出す。


森の中では少し開けていて広場のようになっている空間。そこに大きな獣と少女が向かい合い、お互いを牽制し合っていた。


大きな獣は……キンググリズリーのようだ。一般的なグリズリーでも人間よりひと回り大きいが、その倍ほどの体格で王冠をかぶった姿は正に“王の風格”を感じさせる。


その爪は鋼を切り裂くほど鋭利で、牙はひと噛みで鎧を砕く。何よりあの体格で突進をされれば大木さえも薙ぎ倒される。


そんなキンググリズリーと対峙するのは、背中までの長さの銀髪を携える少女。戦闘に向かない普段着のような黒いワンピースが、色素の薄い真っ白な肌とコントラストになっている。




「アイススピア……」


小さく呟いた彼女が両手をキンググリズリーに向けると、手元から白いもやのような冷気が出る。それと共に円錐の形をした氷が、鋭利な先端を敵に向けた状態で十ほど発生する。それは浮いた状態で静止しているが、彼女の意思一つで敵に向けて放たれるであろう。


それを警戒するように、キンググリズリーは突進の構えをするが動かない。


両者暫し睨み合いをするが、痺れを切らして先に動き出したのはキンググリズリーだった。


「貫け!」


体勢を低くして駆け出したグリズリーの動きに合わせて、銀髪の少女が氷を一斉に飛ばすが、巨体に似合わない身軽さで横に飛んで避け、すぐに彼女に飛び掛かった。


__まずい!


シンは走り出そうとしたが、その光景に思わず目を見開き足を止めた。


キンググリズリーが少女に触れるかどうかの瞬間に大きな氷の塊と化したのだ。


少女はその場に座り込み、天を見上げて荒い呼吸をする。強力なスキルは、その力ゆえ体力と精神を使う。熟練すればそれは軽減されるが、彼女はまだ扱いきれていないのか苦しげな表情をしていた。


__


一安心……と思いきや、大きな氷の塊から不穏な動きと音がする。


パキパキ……と、氷にヒビが入る。


「え……」


さすがに想定外なのか、怯えた表情をした彼女は立てないまま後ずさった。



氷の塊は大きな音を立てて割れる。


「グオオオオオオオ!」


ダメージを物ともせず雄叫びを上げる獣。しかしその瞬間、シンが振った刃がキンググリズリーの左目を切り裂いた。赤い鮮血が舞う。


「逃げるぞ!」


シンは銀髪の少女の手を引いて駆け出そうとするが、彼女は立ち上がらない。


「まだ生きている! 早く!」とシンは急かすが、腰が引けているのか彼女は「無理……」と呟いた。


「掴まれ!」


お姫様抱っこ……とは言えない、ただ抱えるように抱き上げて駆け出す。


Lv.4になったからか、ただ彼女が軽いだけなのか、火事場の馬鹿力というやつなのか、シンにはわからなかったが普段と殆ど変わらない速度で疾走できている。


斬られて怯んでいるキンググリズリーの視界から隠れるように、ジグザグに木々の間を縫って駆ける。


暫く経って後方から怒りの叫びが聞こえるが、その声との距離に安堵を覚え、息を切らしたシンは銀髪の少女を抱えたまま座り込んだ。


「はぁっ……何とか逃げ切れたみたいだな」


先ほどまでの寒さが嘘のように、額に汗が浮かんでいる。


それから、いつまでもしがみ付く少女に「まだ腰抜けてるのか」と口悪く言い放った。


彼女はその言葉に腹を立てたのか、はたまた恥ずかしくなったのか、赤い顔になって振り払うようにシンから離れ、座り込む。


それから不機嫌そうに「うるさい」とだけ言って顔を背けた。




「なんであんな奴と闘ってたんだよ。強いスキルなのはわかるけど、お前あんまり闘い慣れてないだろ」


「お前って言わないでくれる?」


端正な顔を顰めて、銀髪の少女はシンを睨んだ。


「はあ……。今そういう話してないだろ」


「私は“お前”じゃない」


シンは心底面倒そうな表情をして、「名前は」と聞いた。


「あなたから名乗ってよ」


「コイツ!」


思わず身を乗り出して拳を作るが、呆れた表情をして座り直して、視線も合わせずに言った。


「シン」




「私はエレナ」


「そうか……んで、なんでお前は__」


「何回言えばわかるのよ」


お前って言うな。

エレナの顔にはそう書いてあった。


「……なんであなたはあんな奴と闘っていたんですか」


「あなたに関係はありますか」


「こいつ!」


またしても身を乗り出して拳を作ったシンは、思い直して溜め息を吐き、寝転んだ。


「……まあどうでもいいけど」


「じゃあ聞かないで」


その言葉にシンは少し眉を顰めて横目でエレナを盗み見る。少し淋しげな表情をした彼女の顔を見たら何も言えなくなって、視線を空に移した。


汗をかいた額は風をより冷たく感じさせるから、彼はさわさわと揺れる木の枝の音を聞きながら手の甲で汗を拭った。


どちらも何も発さない。


死地を生き延びた二人は、息を整え、心を安らげるために、並んで寝転び自然の音だけを聞く。


__そんな時間は数十分にも及んだ。


それからどちらからともなく、お互いが歩けるか確認をした上で立ち上がった。


シンの背中についた枯れ葉を、エレナは彼に気付かれないように摘んで落とす。


二人は森を抜けるべく、肩を並べて歩き始めた。

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