夜長姫と耳男 坂口安吾

ノエル

彼は言われるがまま、蛇を採ってくる馬そのものになった。

わたしは、馬面をして眼光の鋭い、「耳男]と名付けられたその男が奥の庭に連れて来られたのを見たとき、身震いするほどの傲岸さを感じた。

彼には尋常な精神の者ならもつことのできぬ剛毅さ、なんといえばよいのか、怖さというものを恐れぬ慢心と、己自身が生来にもつ小心さをひた隠しにしようとする反抗心とでもいえばいいのだろうか、なんとも言葉には言い表し得ぬ固陋さがあった。

彼は、その勝ち気な眼差しで私を見つめ続け、あたかも蛙を射すくめようとする蛇のように、わたしの面からその眼を逸らそうとはしなかった。

わたしはその眼の執拗さに眩しさを覚えるとともに、心の底からなんとなく微笑ましいものがこみ上げてくるのを感じ、その鼻をへし折ってやってみたくなった。この男なら、あるいは、わたしの夢を叶えてくれるかもしれない。わたしは思った。なおも歯を食いしばるようにしてわたしを見つめる彼に、なにがなんでも、この男を言いなりにさせなければ、わたしの夢は満たされないとまで感じるようになっていた。

このときわたしは十三になったばかりで、初潮はまだなかった。だが、これまで誰ひととしてわたしを女として屈服させる者はいなかった。この者の心には、これまでの男にはない土性骨ともいうべき剛毅さと、眼に見えぬ怒気が蓄えられている。まずは、その慢心の鼻をへし折ってやらなければ、わたしの言いなりにはならぬであろう。

はて、如何したものかと、ありうべき奸計を想い巡らせているとき、その男が「耳男」だと知らされたお父さまが、「なるほど、大きな耳だ」と感心したように言い放った。それをきっかけに男は顔を真っ赤にし、額と言わず、首筋と言わず身体全体から一斉に汗を噴き出し始めた。よほどその言われ方に腹が立ったのであろう。

義ならぬ機を見てせざるはなんとやら――。わたしは即座にお父さまの言葉に重ねて「本当に馬にそッくりだわ。黒い顔が赤くなって、馬の色にそッくり」と間合いのよい半畳を入れた。男はしばらく呆然とした表情で、その場に突っ立っていたが、それまでのようにわたしを見続けていることに耐えられなくなったのだろう。一閃の身震いのあと、一目散にどこかへ行ってしまった。

おそらくは、これで、男の鼻を明かしてやったことにはなろう。わたしは思った。わたしはさきほど覚えた微笑ましさが舞い戻ってきたのを感じて内心、ほくそ笑んだ。なあに、あの男はこのまま逃げて行きやしない。きっとこの家に帰ってくる、と。

案の定、男は帰ってきた。

日の暮れに邸に戻る男を目撃し、誰何した者の話を聞くと、山の雑木林にわけ入り、滝の下で長い時間、岩に腰かけていたという。そのことだけでも、あれはあれで、彼には相当な衝撃があったことは否めないだろう。


  ◇◇◇


わたしがあんなことを言ったものだから、あの男は皆から「ウマミミ」と呼ばれるようになった。男のあとにやってきた二人の匠を召して、お父さまが告げた。

「ヒメが十六の正月までに御仏のお姿と厨子を作ってほしい」そして二人の機織り女たちを引き合わせて、「ヒメの気に入ったミホトケを造った者には二人のうち、美しいエナコをホービに進ぜよう」と。

ウマミミは、その女のどこを気に入らぬのかは知らぬが、その言葉を耳にした途端、エナコを嘲りの籠った眼で睨みつけ始めた。やがて、それに気づいたエナコのほうも憎しみの籠った眼で彼を睨みつけ、「私の生国では、馬は畑を耕すために使われているのに、こちらのお国では着物を着て手にノミを握り、お寺や仏像を造るのに使われているのですね」と憎々し気に口にした。

馬と言われるだけでも侮辱的なのに、男にすれば聞き捨てならぬ蔑みの言葉だったのだろう。怒気の籠った声でつぎのように言い返した。

「オレの国では女が野良を耕すが、お前の国では馬が野良を耕すから、馬の代りに女がハタを織るようだ。オレの国の馬は手にノミを握って大工はするが、ハタは織らねえ」

それを聞いたエナコは静かに立ち上がり、ウマミミの後ろに回り、その長い耳の先をつまみ上げたかと思うと、右手に持った懐剣でその耳をそぎ落とした。

「もう一ツの馬の耳は自分の斧でそぎ落して、せいぜい人の耳に似せなさい」と言うと、エナコはそぎ落した片耳の上部を男の酒杯のなかへ落して立ち去って行った。このやり取りはわたしをとても愉快にさせたが、それでもまだわたしを満足させるものではなかったのは言うまでもない。


  ◇◇◇


それからややあって、わたしはお父さまに頼んで、男の度胸と慢心のさまを試すことにした。ウマミミの耳をそぎ落としたエナコに沙汰を申しつけることを頼んだのだ。

それも耳をそぎ落とされた男の手によって殺めさせる。それが目的だった。まことあの女を恨んでいようものなら、簡単に殺すことができよう。もともとはわたしの気に入る御仏を彫った者に与えられるはずの生贄のような女だ。己の手によってあの女を殺める権利があるのは、耳をそがれたあの男にとって至極当然のことに違いない。

ところが、男は携えてきた斧を、じかに土の上に坐らされ、後手に縛められた女の首を落とすためには使わず、その縛めを解くために使った。ここで少し目算が狂った。このとき、男がその女の首を刎ねてくれていたら、相当な満足感を味わえていたろうに……。

男を邸に連れてきた使いの者が、したり顔な笑みを浮かべて言った。

「ほほう、エナコの死に首よりも生き首がほしいか」

これを聞いた男の顔に血が上っていくのがわかった。どこまでも強情で、わかりやすい男である。

「たわけたことを。虫ケラ同然のハタ織女にヒダの耳男はてんでハナもひッかけやしねえ。東国の森に棲む虫ケラに耳をかまれただけだと思えば腹も立たねぇ。虫ケラなんぞの死に首も生き首も欲しかアねえや」

男は首を伸ばし、胸を反らして誇らしげに叫んだ。

そうと聞いてはますます面白い。わたしは侍女に簾をあげさせ、縁の前の土に畏まる男に問うた。「お前、耳を斬り落されても虫ケラにかまれたようだというのね」

もちろん、つぎに控える余興を成功に導くための囮言葉だ。

案の定、男は「この女を虫ケラだと思っているから、死んでいようと生きていようと、どちらの首もマッピラでさア」と豪語した。

こうなればこっちのもの。わたしはエナコに向って言った。

「エナコよ。耳男の片耳もかんでおやり。虫ケラにかまれても腹が立たないそうですから、存分にかんであげるといいわ。虫ケラの歯を貸してあげます」と、お母様の形見の懐剣を侍女に渡した。

エナコは侍女の捧げ持ってきたそれを右手にもって、ウマミミの後ろに回り、残った耳もそぎ落とした。あれだけ強がりを言い、わたしの制止を期待していたであろう男の両目に大粒の涙がこぼれ落ちそうになっているのを見届け、わたしは後ろを振り返りもせず部屋に戻った。これでもう、あの男はわたしに逆らうことはあるまい……。


  ◇◇◇


それから三年が経ち、わたしはウマミミが造った像を見た。それは、一言でいえば「モノノケの像」だった。木像なのに、それは血が浸み込んだようなどす黒い赤色をしており、見れば見るほど身震いが出るほどの凄みを帯びた弥勒の像だった。もっとも、それを弥勒菩薩の像だと思う者はいなかったろうけれど……。

ああ、それから何年が過ぎたことだろう。それとも1ト月ほどでしか経っていなかった頃のことなのかしら。疱瘡が流行り出して、村の人たちが次々に死んでいった。わたしは耳男の造ったバケモノの像を厨子ごと門前へすえさせた。そのバケモノはいつの間にか、邸の門前から運び降ろされ、山の下の池のフチの三ツ又の俄か造りの祠の中に鎮座するようになっていた。

わたしは時折、高楼にのぼっては村の様子を眺めたわ。

村はずれの森の中に死者を捨てに行く葬列を見るのが楽しかった。死者を運ぶ者の姿やバケモノの祠の前で狂い死にする村人の姿を見ると、わたしは一日充ち足りた気分になった。やはり死に行く者の姿を見るほど楽しいことはない。自分自身で死にゆける者の自由さは何物にも代えがたいものに違いないわ。

毎日、人が死んでいくのを眺めては、わたしは微笑みを絶やすことはなかった。毎日が充実していたわ。そうしてあることを思いついた。

男の小屋へ行ってわたしは言った。「耳男よ。裏の山から蛇を採っておいで。大きな袋に一杯よ」

あまたの蛇を生き裂きにして小屋の天井へ吊るし、鑿を入れた像にそれらの生き血を浴びせながら咒いをこめていた耳男の姿を想像し、その当時の姿を再現したいと思ったからだ。その日、男は大きな袋にいっぱい蛇をつめて戻ってきた。

「明日は朝早くから出かけてよ。何べんもね。そして、ドッサリとってきてちょうだい」わたしは嬉々として言った。「陽のあるうちは、何べんもよ。この天井にいっぱい吊るすまでは、今日も、明日も、明後日も。早くよ。のんびりしないでね」

わたしは少しずつ少しずつ、わたしの夢が実現しつつあるのを感じ始めていた。あのウマミミが完全にわたしの言いなりになったのを確信したからだ。そう、彼は野良を耕す馬、つまりは言われるがままに蛇を採ってくる馬そのものになったのだ。

毎日毎日、日光の下で人が死んでいく。

「耳男よ。ごらん! あすこに、ほら! キリキリ舞いをしはじめた人がいてよ。ほら、キリキリと舞っていてよ。お日さまが眩しいみたい。お日さまに酔ったようだわ」

わたしは欄干から下を見下ろしながら耳男を手招きして、前方を指差した。

邸のすぐ下の畑に、年老いた農夫が両手をひろげて、空の下を泳ぐようにユラユラとよろめいている。まるで案山子に足が生え、左右にくの字を踏みながら小さな円を描いているようだ。そしてその姿はバッタリ地面に伏して四つん這いをし始めた。もはや立って歩けないのだろう。わたしはワクワクして、その農夫が死に絶えるのを今か今かと待ち受けた。

そのとき、耳男が近寄ってきて、わたしを抱き寄せた。彼はわたしを振り向かせると、情けないような、申し訳ないような、奇妙な笑みを浮かべてわたしを見た。つぎの瞬間、わたしの左胸をなにかが貫いたように感じた。多分、これでわたしは、自分の夢が叶ったのを知ることになるのだろうと思った。


出典 https://www.honzuki.jp/book/216874/review/260965/

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