第26話 赤面
「うおおおおお」
「ぐああああああああああ」
「はあああああ」
「だああああああああああ」
相変わらずふっとばされるのは俺の方。だが飛距離は少しずつ縮んできている。
不満そうな豊美の顔がそれを物語っていた。
「もっとスカッとさせてほしいわ」
「俺は別にぶっ飛ばされるために殴られてるわけじゃないから?」
「そうなの?」
「当たり前だろ? 俺に稽古つけてるってこと忘れてない?」
「全力で来いって言ったのはそっちじゃない」
それはそうなのだが。
豊美は手加減なしを続けて今に至る。それのおかげなのかは不明だが祈りの精度も少しずつ高くなっていると思う。
これも日頃の行いのおかげか、それとも反応速度の上昇が原因なのか、はたまた舞香の気まぐれか。
「さ、そろそろ、最後にしましょう」
気づけば日も落ちているのだろう。
ここにいては外の様子がわからないのが玉に瑕だが、それは集中できるということでもある。
どんなことでもメリット・デメリットを併せ持っているものだ。
活かし方を考えてこその人間。
俺は構え豊美も構えた。
戦いの始まりを知らせるゴングの音が鳴る。
豊美に同じ手は通用しない。
俺は斜めに走り距離を詰めた。
反応速度は豊美の方が上。つまり、下手に突っ込めばそれだけで手痛い一撃を受けて動けなくなる。
「どうしたの? 来ないの?」
俺はスピードを落とし、立ち止まり背を向けないようにするだけの豊美に位置を変えて向き直った。
飛んだり跳ねたりしながら動き回り高速移動をするようなことは試したが翻弄なんてできなかったのだ。
だから俺は豊美の周りを円形に走りながらゆっくり距離を詰めた。
一歩一歩。
「来ないなら。こっちから行くまでよ」
右へ行け。
俺は強く祈った。早めに、そう。これまでの接近してからではなく、遠くから。
そして、豊美は走り出した。
「はああああああああああ!」
「うう」
悔しそうに涙ぐむ豊美。
豊美のそんな珍しい反応に、俺としては動揺を隠せないが正直気持ちは晴れ晴れしていた。
初めての一撃。
見当違いの方向に走り出した豊美に向けて、またも全力の拳をぶつけるのは気が引けてしまい、スキのできた左脇腹に威力を殺した拳をぶつけた。
気合は入れたが吹っ飛ぶようなことはなかった。
「相変わらず不必要なところで紳士ですね」
「俺はそんなつもりはなかったけど反省してます」
「……うう」
よほど俺の対応がこたえたのか。それとも俺に負けたことがこたえたのか、さっきから豊美は体育座りでいじけた様子だ。
「なあ、そろそろ話してくれよ」
「……やだ」
「舞香からも何か言ってくれよ」
「豊美。どんまい」
「……うう」
「違うのー?」
舞香でも駄目だったみたいだ。
「沙也加も言ってやってくれ」
「私もですか?」
「頼む」
「豊美ちゃん。次があるよ」
「……うう」
「あれ?」
2人はどうも励ますことに慣れていないのか豊美を元どおりにはできなかった。
あとは俺がどうにかするか。
「なあ、そろそろ機嫌を直してくれよ」
「私だって、いじけててこんなんじゃないのよ」
「じゃあなんだよ」
「……うう」
「あ、多分わかりました」
「なんだ?」
「豊美ちゃんは男の子に優しくされ……」
「わあああああ」
「おいうるさいぞ。聞こえないじゃないか。男の子になんだって?」
「君たち! 訓練場の利用時間を過ぎてるぞ、最後だからと言っていたから待ったが、いつまで待たせるつもりだ?」
「あ、すみません。おい。帰るぞ、続きは家でな」
豊美が騒いだことで戦闘訓練と関係ないことをしていることがばれた俺たちは追われるようにして家に帰った。
利用時間とかすっかり忘れていた。
訓練場を出る時、
「じゃあ、今日はいいお肉が食べたいです」
沙也加は思い出したように言った。
「え?」
「豊美ちゃんのためにもいいと思うんでよ」
とっさにはなにを言っているのかさっぱりだったが優しさがどうのと言っていたことを思い出し渋々スーパーに寄った。
気づくと俺は優しさを表すためだけに俺の小遣いでいい肉を買っていた。
必要以上に預かってるお金を使うとなにも食べられない日ができてしまうため仕方なく俺の小遣いで買わざるを得なかった。
今日ほど沙也加からお金を受け取っておけばと思った日はなかった。
沙也加にもサンドバッグにも豊美にも勝ったはずなのにどうも釈然としない一日の終わりだった。
「まったくなんだったんだ? いい迷惑じゃないか」
豊美が風呂に入っているスキに俺は沙也加に尋ねた。
今日は肉で小遣いが消え去るわ、利用時間すぎてて怒られるわで散々だった。
「それは、きっとなんとなくわかってると思うんですけど、豊美ちゃんって男の子に優しくされたことがないんですよ」
「あれか、可愛いって言われなくて、きっと馬鹿にしてるっていう。あとは、かっこいいと言われやすいとか。豊美は褒められてるのに卑屈なのか?」
「そうじゃないんですけど……」
「かっこよくて。強くってみんなの憧れで、なんでもできるのが豊美だよー」
「すごいじゃないか。羨ましいぜ」
「まあ、舞香ちゃんの認識も間違いじゃなくて基本なんでもできて、能力も基本ながらどこでも必要で、使い方も優秀なだけに人に頼ったり、優しくされたりってところを私もこれまでにあまり見たことなくて……」
「なんだよ。あいつそんなすごいやつだったのか。そうか。それで責任感じて俺の世話もしてくれたのか」
「そうなんです」
「かっこいいよー」
「そうだな。男前だな」
意外な一面を知ったもののあんまり長話をして問いただされることも面倒なのか沙也加はそれ以上は話さなかった。
舞香にもお菓子による口封じをしたあたり、今日はここまでらしい。
俺たちの話を聞いていたかのように途端にペタペタと足音が風呂場の方から聞こえてきた。
「なによ」
豊美は風呂から上がり顔が上気していた。
強がりなのか出会い頭で睨みつけてくるが豊美なりに苦労しているのだ。
豊美が苦労を表に出さないことも周りに気を使ってだろうか。
「別になんでもないよ。今日もお疲れ様」
「なによ。ちょっと一撃入れたからって調子に乗ってんの?」
「違うだろ。俺は豊美を……」
「なによ。馬鹿にしてんでしょ。知ってるわよ」
俺はどきりとした。俺だけならまだしも沙也加までもが顔をひきつらせている。
まさか聞かれていた?
そんな顔していたらたとえばれていなくてもばれてしまう。
俺はおそるおそる口を開いた。
「な、なにを?」
「あんたの魂胆よ。どうせ企みあってそんなこと言ってんでしょう?」
ほっ、と息を吐いてしまう。そのことも馬鹿にされたと思ったのか、豊美は風呂上りの顔をさらに赤くしていく。
「おい。落ち着けよ。違うから。馬鹿にしてんじゃないから」
「じゃあなによ」
「俺はお前を心から大切に思ってるんだよ。この中で一番熱心に戦闘訓練の相手してくれたのはお前だろ?」
手加減はしてくれなかったが。
「そ、そうですよ。こう企んでたのは本当ですけど」
「おい」
「あ」
こういう時少しでも嘘がつけないと不便だ。
口を開けたままの状態で放心している沙也加。こうなったら銅像状態だ。
「やっぱりそうなんじゃない」
「違う……」
否定しようとすると豊美に睨まれてしまう。それはそうだ。沙也加が正直なこと言うから。
しかし、どう言ったものか。
「豊美を褒めてみようってことなのだー」
舞香を見るとニカっと笑った。俺の意図を組んだのか話がそういうことだと伝わっていたのか。
なにより助かった。
「そう。そうだよ。豊美のありがたいことを褒めてそして増長させて、もっとやってもらおうって企みだ……痛いっ」
「そ、そう。ふーん。ま、いいんじゃない? それくらいなら」
ほとんど言ってしまったようなものだったが、なんだか本当に褒められるってことに慣れてないのか豊美は怒りとは別の理由で顔を赤くしているように見えた。
その照れ隠しなのか俺を叩く手がどんどんと加速して、威力が強まってく。
「痛いって」
「あ、ごめん」
豊美は手を止めて俺を見た。
「そんなわけだ。だから今日もありがとうな」
「べ、別にいいのよ。これが仕事だから」
そっぽ向きながら言う豊美に思わず頬がほころんでしまう。ゆっくりできたらもっと感謝しよう。
「なによ」
「別に」
俺たちはそれ以上は説明することなくニヤニヤして豊美を見ていた。
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