第18話 サンドバッグと稽古
「で、なんにもないんだけど?」
俺は再びラボの訓練場へ来ていた。
昨日は雷牙がいたわけだが今日の訓練場は真っ白の広い空間だけだ。立っているだけで頭がおかしくなりそうなほど特になにもない。ないからこそ頭がおかしくなりそうだ。
「ちょっと待ってなさい」
豊美の言葉の数秒あとに人の形をした物体が突然目の前に数体現れた。
体型はこの間戦った黒の男や紫の女のものに似ていた。
「ロボの使用者は最低限の戦闘訓練を積んでいると思った方がいいわ。少なくとも黒の男の京樹に関してはこの施設での成績はあまりよくなかったけど経験を積んでいるわ。前回は不意打ち的になんとかなったけど次は備えて戦うことになるだろうからしっかりと鍛えてあげるわ」
「お前は止めたいのか、そうじゃないのかどっちなんだよ」
「この間も言ったけど、どうせ止めても行くんでしょ? それに向こうが襲撃してこないとも限らないじゃない」
どうせ止めても行くというのが信頼されているのか実力行使を避けたいだけなのかはわからない。だが俺は止められても行くつもりだ。
そして、相手が約束を守ってくるとも限らない。
「でもこれはなんだよ」
豊美はそれには答えず不敵な笑みを浮かべるだけで済ませた。
「始めるわよー」
豊美の声に俺は渋々人形を前にして構えた。
「あんまりだ!」
「逃げてちゃ勝てないわよ」
豊美の方を見るとうんうんと他の2人もうなずいている。
それはわかる。わかるのだが。
戦闘訓練が始まった。
多対1の戦闘となることも予想されることから初っ端から人形が複数体出ていたのだが、全く規則的に動きやしない。
まるで本当に人が中に入っているのではと思うほどの動きで取り囲まれボコボコにされた。
今はそこからなんとか抜け出して全速力で逃げていた。
「ほら、能力を使ってなんとかしなさい」
「なんとかったって」
現在進行形で逃げることに能力を使っているつもりだがどうやらそういうことではないらしい。
後ろから追いかけてくる数体の人形。数のほどは正確にはわからないがざっと見えるだけで3体はいそうだ。黒の男と紫の女なら2人だと思うのだがどうしてこんなに多いのか。
このまま止まればまたにじり寄られてボコボコにされるだけだ。
一体ずつなら、そう思い俺は振り向いて右端の1体に狙いを定めて地面を蹴った。そして十分近づいたところで拳を突き出した。
反省したが一体を吹っ飛ばして追いついてくる前にどうにか対処すればいけるという算段だ。
だがしかし俺の予想は叶わなかった。俺の拳はいとも簡単に受け止められた。
そんな。
「いたっ。痛い。痛い」
握られた拳で持ち上げられサンドバッグのように殴られる。
こいつら人形だし動くサンドバッグってこいつらじゃないのか。サンドバッグって話じゃなかったか。くそう。こうなったら。少しズルい気はするが仕方ない奥の手を使うしかなさそうだ。
「豊美。君は可愛いからきっと僕のことを助けてくれるんだよねぇああああああああああ」
戦闘と関係ないことをしたからか俺の拳を握る力は強くなり、殴る拳の威力もまた強くなった。
俺はそれから一方的に殴られ続けた。
「あんまりだよ」
「調子に乗るからですよ」
「弱かったー」
「傷心の俺にその言いぐさはないんじゃないか」
未だ照れたようにして顔を隠している豊美だけなにも言わないが、俺は散々に殴られた挙げ句結局まともに一発も入れることができずに豊美の治療を受けたあとだった。
スーツを纏ったあとは痛くないことに慣れていたがあのサンドバッグはいったいなにが詰まっているのか。
サンドバッグの中身は気になるがそれよりも未だに体育座りでうつむいている豊美の存在が気にかかり俺は沙也加と舞香の非難の声をすり抜けて隣りに座った。
「どうしたんだよ」
「別に」
「お前もしかして可愛いとか言われ慣れてないのか?」
「別に!」
「そうだろ。裕也も言ってたぞ可愛いって」
「本当に思ってるの?」
「え?」
「本当にそう思ってるの? って聞いてるの」
「なんだよ。思ってるよ。思ってなきゃ可愛いって言わないだろ」
「そぉなんだぁ」
再びうつむく豊美。
俺は立ち上がり外ではないが尻を払った。
このままではらちが開かないと思い沙也加と舞香の元へ戻った。
昨日もそうだったが可愛いという言葉に弱すぎやしないか? 俺だって別に普通の男児だ。普段滅多に言わないが可愛いと思う女の子なんていくらでもいる。豊美や沙也加や舞香のように。
こんな様子だと豊美が知らない男にホイホイついていきそうで不安になる。よく今まで無事だったのが不思議なほどだ。
「……豊美のあの態度はどういうことなんだ?」
「……豊美ちゃんは薫くんの言う通り可愛いって言われ慣れてないんです」
「……そうなのか」
「かっこいいからねー」
無邪気に笑いながら言う舞香の声にピクリとする豊美。
本人はかっこいいより、可愛いがいいのか。
「それに男の人ほど可愛いよりかっこいいって言われてましたから」
「まあ強いし戦えるしな。治癒ってのも引っ張りだこっぽい能力だしな」
「いいから! 私のことはいいから! 今日はあんたの特訓でしょ! 危ない、流されるところだった」
「流されるってなににだよ」
「なんでもいいでしょ! あんたが弱すぎてサンドバッグが使えないなら仕方ないわ。直接稽古してあげる」
「お前が? 能力だって治癒だろ?」
「言ってなさい。そういうふうに男も女も私の能力ばかり見てそういうのよ。いい? 柔よく剛を制すのよ」
「は! 剛よく柔を断つんだよ」
俺は威勢よく言って立ち上がった。
「ごめんなさい」
「誤ったって遅いわ。さ、もう一回よ」
「あの、本当に許してください。勝つまでとか言ってからもう夜も遅いと思うので本当に裕也に対する言い訳が……」
「そんなの知らないわ。調子に乗ったあんたが悪いのよ」
俺は散々に今度は投げ飛ばされていた。
一度も投げ飛ばすことなく。
3人に挑み3人に投げられた。
「豊美ちゃん。休憩も大事だし今日はこの辺に……」
「まだよ。私の鬱憤がはらせてないもの」
「おかしいだろ。俺の特訓って話はどこいったんだよ」
「知らないわ」
「知らないわっておい。ふざけ……」
「来ないならこっちから行くわよ」
「おい聞け、それにまだカウントだって始まってなぎゃああああああああああ」
俺は少し豊美がかっこいいと言われすぎる理由がわかった気がした。
戦えるとかそういうレベルの実力差じゃなかった。
構える余裕すらなく急に視界が上下反転し、ぐしゃりと地面にうちつけられる。
生身だったらと恐ろしくなるが今の勢いだと起き上がったら襲いかかってきそうだ。
寝ててもいつまでも寝てんじゃないわよって襲いかかってきそうだ。
どうしたら。
即座に立ち、構え、豊美を見つめた。
とうとうカウントが終わり自動的にゴングが鳴った。スタートの合図の前に攻撃を仕掛けてくるのがありなルールでやっていたらしい。
なにが私が稽古をつけてやるだ。もうこうなったら神頼みだ。
この体勢、豊美が右へ行ってくれたら俺は勝てる気がする。右へ行ってくれ。俺は祈った。ギリギリまで豊美が近づいてくるのを見ながら。
「え!?」
驚くような豊美の声。そしてちらりと沙也加たちの方を見ていた。
すきあり。
豊美は俺の祈りと同じように俺から見て左側へ重心をずらして走っていた。
あとは俺がこの右拳を豊美の左頬へ。
「すきありぎゃああああああああああ」
とうまくいくことなく俺は今度は殴り飛ばされていた。
ロボを身につけると基本的にだれでも身体能力は向上するらしい。それなら俺の能力はいったいなにに活きてくるのか。本当にいらない子みたいになってきていて焦りが募るが俺はこの短時間で身につけた受け身により衝撃を分散させ着地した。やっと成功した。
起き上がると凄まじい勢いで俺の方に神頼みを怒りにくるのかと思ったがテレパスでない豊美は何故か舞香の方へ行っていた。
「舞香。能力使ったら訓練にならないじゃない。お兄と呼んでるやつがやられてるからってそれはないわ」
ぽかんとした顔の舞香と沙也加。
俺もまたぽかんとして急いで豊美たちのもとへ走った。
「おい。なんだよ。ちょっとしたミスを人のせいにするなよ。疲れてるんだろ?」
「あんたは運良くあと少しで一撃入れられそうだったからそんなこと言ってんでしょ」
「違うわ。そりゃ運よくあと少しで一撃入れられそうだったがそうじゃないわ」
「まあ、いいわ。この子の能力を使われた感覚と同じ感覚があったのよ。さっき重心がずれた時の感覚が」
「だから気のせいだろ?」
「舞香はやってないよー」
舞香は突然怒鳴られたからか目に涙を浮かべて上目遣いで豊美を見ていた。
「ええ。そんな動作はしてませんでしたし」
沙也加までもがそれを補強するように言った。
「じゃあ、だれが?」
またも謎。視線は宙を舞う。
「俺の能力が強化されないことといい。舞香の能力が勝手に使われていることといい。ロボのことはわからないことだらけなんだな」
その日はとうとう豊美の気が済んだのかこれにて終了となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます