第49話 【閑話】幸せは小さな家の中に

 前代未聞の皇位簒奪事件から1年が経ち、新暦805年のペイム4月を迎えた。


 元よりシナークを除いた市井にはあまり関係の無かった事件だけに、その話は徐々に話題にも登らなくなり、破壊されたシナークの関所街も少しずつ復興が進んできている。


 新たに皇帝に即位したローランドは最初の宣言通り、軍を拡充する為の予算を転用して国内の農業や漁業などの拡充及び補助。そしてそれらを加工したりする工場や輸出入の為の交易路の整備などに使った。


 それもあってウィルの勤めるハーグ鉄道公団の業務規模は拡大の一途をたどり、シナークの街も騒動の前より活気溢れる交易都市と変わっていった。


 *


「点呼、貨物254行路、アム・オゥトム午前10時25分、シナーク東貨物駅を発車。終点のサルタン・ヤレスト市場駅には――実車15両、換算25両、機関車は――」

「はいお疲れさん。貨物は魚と交易品なので、特に魚は温度管理をしっかりとお願いします。交易品の荷造りも点検の上で――」


 決まりきっていながら毎度言う事が違う始業点呼を終えると、ウィルは今日の相方の運転士と共にこれから乗る貨物列車に向かった。列車に乗る運転士や車掌、旅客専務車掌の中には自分の家族や知り合いを列車に乗せる人もいて会社も黙認している。

 ウィルも今日は2人を車掌車に乗せて、一緒に皇都サルタンへ向かう予定なのだ。


「お待たせ、そろそろ出発だからまぁその辺に座っててよ」


 ウィルは列車の最後尾に連結されている車掌車に乗るなり、中に乗っていたメルとラグナにそう言った。


「列車に乗るのなんか久しぶりだからなぁ、なんか緊張しちゃうなぁ」

「本当に? ウィルと一緒だからじゃ……」

「あーうるさいうるさい! そういう段階はもうとっくに過ぎたの!」

「過ぎたのかー、へー、ふーん、ねぇその話もうちょっと詳しく……」


 ラグナは茶化すし、メルはそれに対して言い返すつもりで墓穴を掘る。ウィルは苦笑しながらそれを眺める。1年経っても変わらない、平和そのものだ。


 3人は騒動の際にお世話になった、ミラム達に挨拶に行くためにサルタンに向かっている。ミラムはルフィアと共にユラフタスとの仲介役となり、これまで民間でしか行われてこなかった取引を国で管理するという大役を担っていた。イグナス人の中には少数ながらユラフタスへ格下意識を持っている人も多く、調べてみれば不公平な取引で商いが行われている所もあった。それを是正し、正しくお互いに利があるように導くのが専らの仕事なのだが、そんなわけでなかなか多忙で事件以来会えていなかったのだ。


 ウィルの友人であるネスのような旅客列車の車掌は、走っている間には放送をしたり集改札をしたりと忙しなく、もし知り合いが乗っていたとしてもろくに話す時間は無い。

 しかし貨物列車の車掌は、駅を通過する時の安全確認と途中駅での荷物確認が仕事だ。旅客専務車掌より俸禄は安いが、楽で話す暇もあるというわけだ。


 *


「そう言えば列車で思い出したけど、ウィルが作ったトロッコあるでしょ?」


 貨物列車が動き出して間も無く、ラグナが口を開いた。


「あぁ作った作った、ちゃんと動いてる?」

「バッチリね。ただあの後少し伸びたんだけど、あの線路を分岐させる方法がわからないって言ってたから、またウィルに来て欲しいって頼まれたんだけど……」


 ラグナは申し訳なさそうに頼んだが、むしろウィルには好都合だった。


「あぁ、それなら別に構わないよ。久々にアムスにも会いたいし、メルも来るだろ?」

「もちろん、いつでも良いよ」

「じゃ近いうちに久しぶりに、ラグナの所にお邪魔させてもらうか」


 ウィルがそう言うと、ラグナは嬉しそうに笑った。最初はユラフタスの損得勘定で接近したようなものだが、事件を通して3人はまるで昔からの親友のような付き合いになっていた。


「そう言えばメル、あそこの貸し馬車屋で働き始めたんだって?」

「流石に知ってるかー。いつまでも甘えてられないからね、ペイル叔父さんの伝手を頼って働かせてもらうことにしたのよ」


 メルは年が変わってすぐ、ペイルの勤めるシナークの関所街の貸し馬車屋で働き始めた。あの騒動でシナークの関所街は甚大な被害を受け、馬車屋も建物や馬車が焼けたり肝心の馬が焼け死んだりもしたのだが、そこはペイルをはじめ店員の尽力や国からの補助でなんとか立て直している。


「そうそう、ウィルの口利きで新しい事業も始めたから割と忙しいんだよね」

「へぇ、あそこの馬車屋が新しい事業? 何始めたの?」

「"乗合馬車"って言うんだけど……」


 そう言ってメルは説明を始めた。鉄道が出来て"公共の乗り物"という概念が根付き始めたものの、まだそれは街から街への移動が主であり街中での移動は依然として徒歩が一般的である。馬車もあるにはあるが、それらを普段から使えるのはある程度の金持ちのみ。そうでなければ、それこそ値の張る貸し馬車屋で借りるのが普通なのだ。


 それを平民が使える値段で、ハーグ鉄道のように時刻表を元に運行する馬車をと言うことで、乗合馬車なるものが作られたと言うわけだ。


「へぇ、そんな物が出来たのねぇ。それでメルは? もしかして御者でもやってるの?」

「まさか! 私は会計よ、次期領主だからって経営の色々を叩き込まれたんだけど、まさかここで活きるとは思わなかったけどね」


 そう言ってメルは笑った。事件から半年ぐらいは両親の話になると昏い顔をしていたものだが、段々と心の整理もついてきたのか今はもうそのような事も無い。


 *


 列車の終点のヤレスト市場駅には、ロム・アヴォイム午後6時を回った頃に到着した。貨物列車は途中の駅で貨車を切り離したり繋げたりを繰り返すので、時間がかかるのは仕方ない。


 終業点呼を終えて詰所を出ると、外で待っていたメルとラグナと合流して夜のサルタンへと繰り出した。事件以降、皇帝に即位しルメイ16世となったローランドの采配により進められたユラフタスとの積極的な交易により、かつての"森の奥に住む気味の悪い民族"といった印象は徐々にではあるが薄れてきている。お陰で帽子などを被らずとも堂々と街を歩ける事が、ラグナにとっては密かに嬉しいことだった。


 繰り出したと言っても公衆浴場に行って夕餉を済ませれば、後はサルタンのユラフタスの隠れ家に投宿するつもりだ。ユラフタスとしてもイグナス連邦を監視する必要性がほぼ無くなった為に、こうした隠れ家も気軽に使えるようになった。宿賃も浮くのでありがたい。


 女性陣の要望で、3人は街中のある公衆浴場へと向かっていた。メルとラグナ曰く、ミラムさんの邸宅に居候していた時に見つけて、少々値段は張るものの良い香りの香が焚かれていたり、特に女性には美容に気遣った物が多いのだとか。


 居候生活をしていた時は最低限のお金でしか動けなかったが、今はウィルもメルも職があるのでその心配は無い。

 シナークの家でも湯浴みは出来るが、いかんせん小さい。そこは贅沢言えないのだが、やはり大きい風呂というのはそれだけで何かウキウキするものだ。


 *


「あ、ほらいた」


 ウィルが一風呂浴びて共有の休憩場所になっている広間に行くと、その広間の端から聞き覚えのある声がした。


「ウィルー!」


 名前を呼ばれて思わずそちらの方を見ると、明日会う予定だったミラムとルフィアがそこに居た。


「ミラムさん! ルフィアさんも、何でここに?」

「もちろん! 貴方達3人を迎えに来たのよ」


 そう言ったミラムは、任せなさいとでも言いたげな顔だ。心なしかあの騒動の時より元気なように見えるのは、きっと気のせいでは無いだろう。


「それにしてもよくここにいるって分かりましたね」

「あの騒ぎの前にメルちゃんが『今度サルタンに来た時はここで湯浴みする』って言ってたから、もしかしてと思って……あ、ほら噂をすれば来たわよ。ウィルくんの両手の花が」


 そう言ってミラムは、複雑な表情をしているウィルをよそに風呂上がりのメルとラグナにまた手を振った。


 火照った体を冷ました後は、結局ミラムの邸宅にお邪魔することになった。聞けば泊める気満々で、前に使わせてもらった部屋も完璧に準備していたという。

 いつ用意したやら、公衆浴場の端に据え付けたミラムの馬車を見て、思わずウィルは笑ってしまった。


「普通の馬車になりましたね」


 その意味を察するや、ミラムとルフィアも笑った。


「あったりまえよ。あの馬車、あれで意外と装飾品は多かったから、全部引っぺがして売って被災者への補償に充てさせたわ」


 ふとあの馬車を思い返して、ウィルは苦笑した。


 ――あの馬車か、装飾も過ぎれば下品だって体現するようなモノだったな。


「そう言えばミラムさんは、今はユラフタスの人達との間に立つ仕事をしてるんですよね?」


 迎えの馬車に揺られながら、メルが聞いた。


「まぁざっくり言えばね。これまでは積極的に関わってこなかったユラフタスとの交易だけど、いざ本格的に調べてみたら色々と杜撰で驚いたわ。私も医学に聡いわけじゃないけど、それでもあれだけの効能のある薬草をよくまぁあんな値段で……とまぁそんなわけで、最近やっと落ち着いてきたのよ」


 そう言うと、ミラムはふぅと息を吐いた。


「確かにお父さんも楽になった、みたいなこと言ってました」


 ラグナが言葉を継いだ。


「うーん……やっぱりユラフタスの人から言われると、やってよかったと思うわね」


 そう言ってミラムは笑った。


 ミラムは仲介役を拝命すると、すぐにユラフタスが行なっている交易を徹底的に調べたそうだ。その結果、不当な取引や交易の無駄を色々と発見した。イグナス連邦においては各町にある公設市場を通して物品の取引を行うのが一般的だったが、何故かそこはユラフタスの出入りは禁じられておりその結果、個別の商店間でのやり取りしか出来なかったのだ。


 勿論ユラフタスの村にも何度か赴き、交易品の品質をなるべく揃えるように要望した。公設市場で売買される商品は当然物によって値段が付けられるが、それはそれなりに規格があって付けられるもの。ユラフタスの作る物には規格などある訳なく、それが無ければどのみち公設市場に並べる事は出来ないのだ。


 そんなわけで不当に買い叩いていた商店に警告したり公設市場に入れるように決まりを変えたり、ユラフタスの人達に理屈を説明したりとあれこれしているうちに1年はあっという間に経ち、ようやく久々の再会という訳だ。


 他愛もない話をしながらしばし馬車に揺られれば、もはや見慣れたミラムの邸宅だ。だがよく見ると端の方に建物の増築工事が行われており、邸宅にも心なしか人が多く見える。


「何やってるんですか? あれ」

「ほら、仕事を抱えたものだからこの家で仕事する事も多くなってね」


 そう言いながら馬車から降り、1年以上ぶりに邸宅に入った。


 *


 結局ミラムの家には3泊した。ウィルは片道仕事で帰りは自由だったしその後数日の仕事は休みを取った、メルも決算期のレプイム3月を越えたので仕事をあけても問題無いのだ。


 今の家に住み始めて1年以上経つが、ウィルにとって未だにメルと同じ家に帰るのが不思議だと思う事がある。長く一人暮らししていた事もあるし、いつか一緒になるにしても職場の先輩があっけらかんと話すように、想いを伝えてする事をして――色町にも行ったことは無いから勝手は分からないが――それからだと思っていた。


 それが竜だとか皇位簒奪だとか、およそ体験すると思ってなかった事を色々と体験して、今ここに至っている。不思議なものだ。


「ウィル、どうしたの?」


 どこか上向きだったウィルにメルが思わず声をかけた。


「ん? あぁ、1年経ってもお前と同じ家に帰るのがこそばゆいと言うか何と言うか……」


 ウィルにとっては何気無く本音を言っただけなのだが、メルにはだいぶ効いたらしい。


「な、何を今更……べ、別に私とウィルと一緒に住むのだって変じゃないでしょ、長い付き合いなんだし……」


 メルはそう顔をそらしたが、ラグナは通常運転だ。


「早くする事しちゃえばいいのに、それともお邪魔なら私帰ろうか?」

「大丈夫!!」


 2人の声が重なった。ラグナが面白そうな顔をしてウィルを見ていたのだが、メルは気付いていない。


 *


 ラグナはウィルとメルの家にさらに1泊して、翌日にはその乗合馬車に乗って関所街まで行って帰るという。

 家に帰るとラグナの「メルの手料理が食べたい」という要望に応えるべく、メルはすぐに買い出しに出かけた。数少ない友達からの頼みに火が付いたらしく、買い出しもなるべくウィルと2人で行くのだが今日の献立は秘密と1人で颯爽と出かけていった。


 ……もっとも、この日はそれが一番都合が良いのだが。


 メルが出かけて、家の中にはウィルとラグナの2人になった。


「さて、ちょうど良くメルは出かけたし。はい、これ。頼まれてたもの」


 そう言ってラグナは、持っていた鞄の中から少し大きめの箱を取り出した。恭しくその蓋を開けると、中には薄っすら色が入りつつも銀に輝く3枚の羽根をあしらった腕輪が2つ入っていた。


「ほう、こりゃまた綺麗な……確かに"白銀鳥の羽根飾り"が高価なのも頷ける」


 ウィルは腕輪を手に取ると、しげしげと眺めた。同時にこれから自分がしようとしている事に、緊張もしてくる。


「それで? いつ渡すの?」

「俺が18歳を迎えてからだから……まだ3ヶ月は先だな」


 ラグナの質問に、ウィルは腕輪を持ちながら答えた。


「知ってるとは思うけどメルは……」

「分かってるよ。最近あいつ、街を歩く時なんかその辺チラチラ見てたし」


 国によって文化が異なる事はよくあるが、イグナス連邦の位置する大陸に共通している文化がある。

 婚前に行う文化だ。


 結婚はどちらかが成人していれば、相手は14歳を越えていればいいとされている。法律で決まりがあるわけでは無いが、それが暗黙の了解だ。

 結婚に至る前、婚約を決めた際にイグナス連邦では腕輪を付ける。とは言え紐を通して首から下げる人もいてまちまちだが、腕輪を渡すのが"結婚してください"という意思表示なのだ。


 ウィルもとっくに気付いてはいた。メルと最近街を歩くと、時々目線が腕輪を付けた人や首から腕輪をぶら下げている人、そう言った装飾品を扱う店に目線を向けているのだ。

 とは言えまだ早いとも思っていた。だいたい結ばれるのは皆20歳頃であり、18歳では責任能力が云々……と言うのは巷でもよく言われた事だった。


 だがそう思う度にウィルは思い返す。半年ぐらい前にユラフタスの村に挨拶しに行った際に、ラグナとその母親のトゥミから『早くメルちゃんを安心させてやれ』と言われたのだ。両親を亡くしたという心の傷を癒せるのは、ウィルしかいないとも。


 元より吝かでは無く、ただ時期尚早だと思っていただけなので、覚悟を決めて腕輪を作って欲しいとその際に頼んだのだ。特別価格にしてくれたことがありがたかった。足を向けて寝られない。


「でも本当に良かったの? フレイヤの羽根も入れて」


 ラグナはそう聞くと、腕輪を見た。あしらわれた3枚の羽根は全体的には銀に輝いているがそれは、メルの竜であるリッシュの金色、ウィルの竜であるアムスの鳶色、そしてラグナの竜であるフレイヤの青色がそれぞれ光っていた。


「入れないわけにはいかないな。ラグナにもフレイヤにも随分助けられたし、この方がメルも喜ぶかなと思って」

「はーいい旦那さん、私も貰ってくれないかなー」

「重婚は勘弁してくれよ」


 そう言って2人は笑った。


 *


 メルが帰ると炊事場に吸い寄せられるが如く向かい、「今日は腕によりにかけるからね! 楽しみにしててね!」と言うと、料理に没頭し出した。


 メルの手料理はお世辞抜きにかなりの腕前だったりする。と言うのもメルの母、アイナは結婚する前は街の料亭で働いていたらしく、女性としては珍しく調理場にいたのだという。

 そんな歴戦の猛者のような人から料理を教われば、当然腕前は上達するというわけだ。


 果たして料理はと言えば、ラグナの胃をがっちり掴んだ。それはもうがっちりと。すでに掴まれているウィルがもう一度掴まれなおされるぐらい。


 しかし団欒の時間と言うのは、長いようで短い。このままこの時間が永遠に続けばいいのにと思いながら、刹那的にそれは終わっていく。

 寝具に潜ってからも続いた笑い声の絶えない話し声はいつしか寝息に変わり、あっという間に朝となった。


「ラグナもう帰っちゃうのかー」


 そう残念そうな声をあげるのは、当然メルだ。


「って言っても来月だか再来月には、今度はウィルとメルがこっち来るんでしょ? そんなに離れるわけじゃ無いんだからぁ」


 そう言うラグナも、メルの手をぶんぶん振って別れを惜しんでいる。


「じゃ私は行くけど、こっち来る詳しい日が判ったら連絡してね。あと……」


 そう言うとラグナは、改めてウィルに向き合った。


「甲斐性見せなよ?」


 そうとだけ言うと、返事を待たずに歩き去ってしまった。メルは何のことやらわからないと言った顔をしている。


 そして1人いなくなっただけだというのに、家の中が随分静かになったように思えた。


「帰っちゃったね、今日まで休みだけどこの後どうしようか」


 メルがそう言うと、ウィルはまるでそうすると決めていたかのように答えた。


「じゃ、夕方ちょっと付き合ってくれ」


 ウィルがさらっと言うと、メルはちょっと驚いたような表情になった。と言うのも、どこに行くという事を言わずにただ「付き合ってくれ」と言うのは珍しかったからだ。


「うん? いいよ、どうせ暇だし。昨日張り切りすぎちゃったから頑張る気も無いしね」


 そう言って笑ったメルが、この時は厭に可愛く見えた。


 *


 その日の夕方、ウィルとメルはシナークのはずれにある海水浴場に来ていた。

 イグナスは決して暖かい気候というわけでも無いが、国の中でも南に位置し数少ない海水浴場を有するシナークは、夏になれば涼を求める海水浴客でかなりの賑わいを見せる。


 とは言え今はペイム4月、それも夕方ともなれば海水浴場には散歩している人ぐらいしかいない。


「海水浴場かぁ懐かしいなぁ、小さい頃はよくウィルと一緒に来たっけ」


 そう言いながらメルも付いてくるが、ウィルは適当に相槌を打ちながらも口を真一文字に結んでいる。


 やがて海水浴場の端に来ると、そこから先はごつごつとした岩場になっている。と言っても歩けないわけではなく、単に歩きづらいという程度だ。


「この先に行くの?」

「そうそう。ほら、こっから先は足場悪いから」


 そう言って差し出された手を、メルは何の疑いも躊躇も無く取った。その手の温みを感じてウィルは一層緊張したのだが、メルはそれに気付く事もない。


 岩場の少し高くなった所まで来て、ウィルは唐突に足を止めた。


「ここだ」

「え、ここ?」


 メルが戸惑うのも無理はない。そこはただの海沿いの岩場であり、他には何も無いからだ。


「ここは俺の秘密の場所でな、メルにも話した事無かったんだが……まぁ取り敢えず見てみろ」


 そうして促されるままに海の方を見て、メルは思わず感嘆の声を上げた。


「綺麗……」


 そこにはただ、世界があった。そう言うしかない。

 海鳴りと共に地平線に沈む夕陽は、それまで見たどの夕陽よりも綺麗に見えて、メルは思わずそれに見惚れていた。


「メル、こう改まって言うのもなんだが……」


 その声に夕陽から目を離してウィルの方を見たメルは、その手に持っているものを見て思わず目を見開いた。


「それって……!」

「こういうありふれた場所しか思いつかなかったんだが……メル、俺と――」


 *


 途中で夕餉を済ませてあの小さい家に帰った2人は、何となく気恥ずかしさを感じながらも、どちらからともなく一緒の寝具にくるまった。

 ウィルの仕事柄、別々に寝る事が多かったが、この時ばかりはまるで吸い寄せられるように。


 翌朝、外から僅かに漏れ聞こえる雑踏の中で2人は目を覚ました。起き抜けにしっかりと手を繋いでいた事を知覚したが、何となく感じていた気恥ずかしさは無く、むしろお互いがお互いの事を心の底から信頼し合えたという多幸感に満ち満ちていた。


「……おはよう、メル」


 そう声をかけると、隣で寝ていた幼馴染が体を起こした。眠気まなこの目をこすり、しかしウィルの方を見て、満面の笑みを浮かべて……


「おはよう、ウィル」


 幸せは小さな家の中に、朝起きる度に訪れる。


 ――――――――――


 アネクドート編はここまでです。続きとなるロレンス編は、日を置いてから投稿します。

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モーノ・モンドン・レーガス ~蒼穹を舞え、誇り高き竜よ~ あまつか飛燕 @Hien-Amatsuka

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