第34話 第五バビレーヨ〔図書館にて〕
その日、ウィルは一人でサルタン皇立図書館を訪れていた。
毎日本ばっかり見続けていても疲れるとのことで、その日は3人とも自由行動としていた。メルとラグナは繁華街のほうに出かけるといって颯爽と出て行ったが、ウィルはといえば、本探しではなく純粋に図書館を見て回ろうと思い来たのだ。そもそも本が好きなので、図書館は暇潰しにはもってこいなのである。
「しかし大きい図書館だな、国中の本を集めているとも聞いたこともあるけど、あながち嘘でもなさそうだな」
そう呟きつつ所定の手数料を支払うと、やはり足は自然と自らの勤める鉄道や交通の本が置いてある場所へと向かっていた。
「ふうん、カグル~シナーク間の鉄道は新暦772年開通ね。俺の産まれる14年前か。『元より沿岸の海産物輸送の為の鉄道整備を進めていたところに、鉱山発見の報せがあり、建設が急がれた』か。沿線に鉱山なんてあったかな?」
たまたま手に取った"イグナス鉄道史"という本に記されたその文に、ウィルはふと違和感を覚えた。本好きな上に、気になったことがあると一応調べてみようというのがウィルの性分だ。
そんなわけで交通関連の書架から街や経済関連の書架に移ったウィルだが、鉱山があったという記述がある本は一向に見つけられずに、知らず机の上には本が積みあがっていた。
「あれ? おい、ウィルじゃないか。何やってるんだこんなところで」
頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこには見知ってはいるがそこにいるとは思いもしない人物がいた。
「お、ネスか。お前こそ、こんなところで何やってんだよ」
「俺は数少ない仕事の途中さ。もっとも本数が少ないもんだから折り返し待ちが長くって、それで暇潰しに国内最大と名高い図書館に来てみたってわけだ。んで、なんか読書用の机に本を積み上げてる勉強熱心なのがいるなと思ったらお前だったわけだ。それで、あのシナークの非常戒厳措置の騒ぎ以来姿を見せなかったウィルが何でここにいるんだ?」
そうネスに聞かれて、ウィルは一瞬返事に困った。
何も疚しいことをしていたわけではないが、自分の身に起こったことがあまりに非現実的すぎて、どこから話したものか一瞬言葉に詰まったのだ。
「うーん何と言うかなぁ……まぁ突拍子も無い話だと思うけど、まずあの日にお前と別れた後家に帰ろうとしたら、その家が無くなってた」
「は?」
だよなぁ、とウィルは思った。ネスの立場で同じ事を言われたら、自分もきっと同じ事を言う。
「家が無くなってたってどういうことだよ」
「なんかあの辺りに軍の基地を作るからって言って、勝手にぶっ壊したらしい」
「何だよそれ……で、その後どうしたんだ? そうなら最悪駅にでも寝泊まりすれば良いだろうに」
その後のことをどう説明したものか、少し間を開けてウィルは答えた。
「読売見てるか?」
「え? そりゃ暇なもんで少しは見てるけども」
「いつだったか"竜を捕らえた者に賞金"って記事が出たろ。覚えてるか?」
それをネスが忘れる筈も無かった。
「ああ、覚えてる覚えてる。結構職場でも話題になって、捕らえられたら金貨6枚だってんで一生遊んで暮らせるなって大盛り上がりさ。ってまさかウィル、お前……」
「待て待て、もしそうならこんな所にいないさ」
何となくネスの言いたい事を察したウィルは、慌ててその続きを制した。
「この先の話は秘密だぞ? 詳しい事は言えないけど、本物の竜に会ったんだ。ただその後にゴタゴタに巻き込まれてな、しばらくシナークに戻れそうにも無いんだ」
「ほう……めちゃくちゃ気になるが、その雰囲気だとあまり詮索するのも悪そうだな。あの後上役にイルカラはどこ行ったって何度か聞かれてな、俺だって心配してたんだからな?」
「それは申し訳ない。まぁこの通りピンピンしてるから。
ところで会社で俺はどうなってるんだ? もう籍は無いとは思うが」
それを聞くとネスは一転、真剣な顔をしてウィルを見た。
「こっちが聞きたいぐらいだ。どんな魔法を使った?」
言ってる事の意味がわからずウィルは思わず聞き返した。
「どういう事だ?」
「どういう事って……何ヶ月経っても連絡が取れないから、一度お前は退職扱いになりかけたんだぞ? それが少し前にええと、確か第一皇子のお妃様の名で"エルストス=イルカラという者は、本人が望めばいつでも復職できるよう用意されたし"と手紙が来たらしい。それで一転、今のウィルは休職扱いさ。
そんなことより、あの美人と名高い皇太子妃がなんでウィルを名指しなんだ。どういう間柄なんだ。え?」
突然鼻息荒く詰め寄ってきたネスに困惑しつつ、ありがた迷惑なミラムになんて言おうかと内心考えたウィルだった。
いくつか情報交換をした後、仕事に戻ると言うネスと別れた。
その後も調べ物だったりなんとなくだったりで図書館を歩いていたウィルだったが、ふと壁の掲示板に目がいった。普段ならどこかの楽団の演奏会や劇団の公演などの宣伝が貼ってあるのだが、戦時中という事もあってかかなり量が少ない。しかしその中で気になる宣伝を見つけた。
「湯孔についての新発見、か。温泉以外に何があるんだあの穴に」
それはリメルァール科学高等学舎と言うところのある学者の研究発表会らしく、場所は図書館に併設されていた講堂だった。日付は今日、時間もこれから行くにはちょうどいい時間だった。
別にそういった研究に特別興味があるわけでは無いが、どうせ邸宅に帰っても暇なので見に行くことにした。入場料も無料という訳なので懐も痛まないというのも一つだが。
*
「以上の最新の観測機器を用いた結果から我々の研究では、イグナス連邦各地に点在する湯孔は、北方ワクリオン山脈の溶岩湖や溶岩噴泉付近の湯孔から地下で繋がっているとの結論を出しました。
しかし皆様ご周知の通りかと思いますが、実際に降りて確かめるには有毒ガスの濃度が高過ぎて不可能であります。そしてあの有毒ガスは可燃性、僅かな明かりを灯す事すら出来ません。しかしこの数字を見るに、地下で国の至る所に点在する湯孔が繋がっていると言う事は明らかでしょう」
若い学者の長々とした研究発表を、ウィルは若干の場違い感を覚えながらも聞いていた。
それもそのはずで、周りは学者風の人ばかりでただの好奇心で聴きに来ているような人はほぼいない。表情は様々ながら、皆が真面目な表情で聞いていた。
――湯孔が地下で繋がってる、ね。学者さんは考えることが違うというか、よくそんなことを考えたものだなぁ。
湯孔には立入禁止になっている場所も多く、それらは有毒ガスのせいだというのはウィルも知っていた。でもだからと言ってその有毒ガスが場所によって同じかとか、あるいは濃いとか薄いとかそんなことは考えたことも無い。だがなんでも知ってる方がいいと思い、割と真剣に講演を聞いていた。
研究発表会が終わると、ウィルは真っすぐミラムの邸宅に戻った。シナークの鉱山の話も気になったが、ネスと会う前、"新暦755年調査 鉱脈分布図"と書かれた本に「その他鉱脈:シナーク」と書かれているのを発見し、一応は満足したのだ。と言うよりこれ以上はわかりそうにもないというのもあったのだが。
予定外の研究発表会への参加で、邸宅に戻ったころにはすでに夕餉の直前ぐらいだった。メルとラグナは繁華街の方に行くと言っていたが、どうもミラムとルフィアも一緒に行ったらしい。公務とか無いのかと聞いたら「元々お飾りみたいなものだし、結構自由なのよ」と言われた。付き合わなければいけない護衛に内心で同情した。
「なぁラグナ、ユラ様から聞いたけどアロウ平原には竜を狂わせる石があるって?」
夕餉の後、ウィルはラグナを捕まえて尋ねた。
「あるわね。とは言え詳しいことはノーファン様にもわからないみたいだけど……それがどうかしたの?」
「ユラフタスの人か、あるいはイグナス人がその石を掘り出した事は?」
「私たちが掘り起こすことはあり得ないわね。イグナス人ならわからないけど……もしそうなら私たちの協力者を経て村に話が伝わっているはずだわ。それなら歴史書に何か書かれてるかも。でもどうして?」
「いや、前にユラ様に言われて以来ちょっと気になってて」
そう受け流したウィルを不思議そうに見ていたラグナだったが、やがて思い出したかのように声を上げた。
「そうだ。メルがね、買い物ついでにウィルに似合いそうな服を買ってたから、メルのところに行ってあげて」
それは楽しみだとばかりに、ウィルはメルの部屋に向かった。そういう服の似合う似合わないの感覚には疎いが、メルが選んでくれたのなら着ないわけにはいくまい。
ミラムの邸宅から聞こえる楽しそうな笑い声と共に、サルタンの夜は更けていく。
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