第32話 色々な予想外、想定外
「何だったんだありゃ……確かあそこにいるのはイグナスの軍のはず、でもあれはどう考えても正規軍じゃない。どう言う事だ……?」
そうブツブツ言いながらシナーク現地司令部のある郊外の丘から関所街の方に歩いていたのは、ここ最近大量の肉を定期的にシナーク現地司令部に卸している街の肉の卸問屋。の、従業員に頼み込んで一緒に付いてきた、関所街の貸し馬車屋の従業員であるペイル=サルーンだった。
その貸し馬車屋は、最初にラグナがウィルとメルを連れてユラフタスの村に行く際に馬車を借りた所であり、そこの従業員と言うことはつまり、ユラフタスの協力者だと言う事だ。
ペイルは様々な疑問が頭をもたげていた。元々は、捕らわれた竜がいると言うシナーク現地司令部への偵察として向かったのだが、事前の情報とは違い、いたのはイグナス軍ではなくどこか得体の知れない連中だったのだ。
応対に出た男のイグナス語はやや片言だったし、奥の方からは明らかにイグナス語ではない言葉も聞こえていた。同行した肉の卸問屋の者も普段の人じゃない、雰囲気が怖かったと言っていたし、これは報告外の何か異常な事が起きたと見て考えるべきだ。
そう思いつつも今後の策を練りながら関所街の方に向かっていると、途中の道端で誰かが倒れているのを見つけた。急いで駆け寄って見てみれば、倒れているのは軍服を着たまだ若い男だ。
――イグナス軍の兵士だな、これはオルトゥスのものか。何かいい話が聞けるといいが。
そう思い近づくと、倒れていた若い兵士は急に起き上がって片膝をつき、腰に提げていた銃を向けた。
「誰だッ……!」
その兵士は恐怖に怯えた顔をしていたが、それでも気丈にペイルに銃を向けている。しかし震える手で向けられる銃口などペイルにとっては怖くも何ともないし、そうして睨み合っているうちに兵士はやがて糸の切れたようにガクッと腕を下ろし、そのまま地面に倒れこんだ。
「俺は関所街の貸し馬車屋のペイルだ。何があったか知らないが、とりあえずこれを食え」
そう言ってペイルは携行していたパンをその兵士に渡すと、一瞬その兵士は警戒した目を向けたが、余程何も食べていなかったのかすぐに貪るように食べて、あっという間に平らげた。
「ふぅ……ありがとう、ございます。ここ数日、マトモなものを食べてなかったもので」
少し後、その兵士はだいぶ楽になったようなので、ペイルとともに道端の石に腰掛けていた。
「礼には及ばんよ、ただこちらも知りたい事があってな。まず君の名前は?」
知りたい事があると言うと兵士は訝しげな顔をしたが、助けてもらった手前なのか名前は素直に言った。
「コウル、コウル=トクルスです」
「俺はペイル=サルーンだ。さっきも言ったが、シナークの関所街の貸し馬車屋で働いてる。ところでコウルよ、所属は?」
「は?」
そう言うとコウルという兵士はぽかんとした表情になった。
「は? じゃ無かろう、お前が着ているそれはオルトゥス魔法師団の軍服だ。俺も昔は軍属だったからそのぐらいわかる」
ペイルがそう言うとコウルは合点したような表情になった。
「そう言う事でしたか、失礼致しました。見ての通り、オルトゥス魔法師団です。所属は独立竜騎隊、階級は一等兵であります」
「別にお前の上官ってわけじゃ無いんだからそんなに畏るな。歩けるか? 肩ぐらい貸してやるから、とりあえず俺の店まで行こう」
そう言ってペイルは立ち上がった。
*
数日後にペイルはもう一度、シナーク現地司令部の方へ向かっていた。最初に行った際の報告は街に下りていたユラフタスの者に手渡されていたが、まだノーファンからの返事は無い。しかしシナーク現地司令部に何か大きな動きがあったことは間違いないと見ていた。そして、その動きを探るのがペイルの仕事なのだ。
そして何より、コウルから聞いた事が頭の中を駆け巡っていた。
突如出来たあの丘の上のイグナス軍の基地が、竜騎兵なるものを育成する為のものと最初に聞いた時には驚いたものだが、運のいいことにコウルはそこで竜の世話をしていたと言う。
ある夜に突然賊が押し入ってきて、手当たり次第に仲間を殺し始めたのだそうだ。抵抗しようとしたが、その賊は民間人らしき人を人質とし、その人質を盾にして次々と基地内を制圧していったのだそうだ。何か知らない言葉を話していたのでイグナス人じゃない! と興奮したように話していた。
ペイルからすればそれこそ外国からの侵略を装うために、わざと違う言葉で話している可能性が捨てきれなかったが、肉の卸問屋の者と一緒に現地司令部に行った際に感じた違和感が、まるでコウルの話を裏付けているようで、ペイルは反論できなかった。
コウルはと言えば、担当していた竜の様子が最近おかしかったので、逃げる前にあれこれとしていたうちに逃げ遅れてしまったのだそうだ。ペイルは竜の事については見た事はあっても門外漢なので、それも文に
話し終えたコウルは原隊への復帰を望んでいたが、それはペイルが説得してやめさせた。
逃げた理由が理由とはいえ敗残兵だ。位の高い者ならともかく、一等兵の扱いなど知れている。ほとぼりが冷めてから、あちこち彷徨ってた事にして復帰すれば良いと宥めた。
*
そんなわけでペイルは、再びシナーク現地司令部に向かっている。
前回は現地司令部出入りの業者と一緒に入ったので怪しまれなかったが、今回は単独行動だ。遠くから観察したり出入りの業者から話を聞いたりしたので、基地内のおよそどこに何があるかは把握している。
ペイルは一際大きい建物である竜舎の裏の死角になりやすいところから、夕焼けと共に辺りが暗くなっていくのに合わせてそろそろと近づいて行った。
近づくにつれて段々と基地内の音が聞こえてきたが、ふと遠くから砲弾の飛んでくる音が聞こえてきた。それを聞いた瞬間、ペイルの脳裏には軍に居た頃の記憶が駆け巡っていた。
ペイルは今でこそは馬車を貸してその賃料を収受する事とユラフタスの協力者として活動する事を生業としているが、かつてはイグナス軍に籍を置く軍人であった。中等舎を卒業するとすぐに軍学校に入り第一連隊に配属されてそれから20年、海の上の最前線で生きてきた。怪我して退役してからはその経験を買われてこの職業に就いているが、その軍の経験の勘が頭に警報を鳴らしていた。
――弾着、今ッ!
砲弾が何かに当たり炸裂した音が轟いた。
シナーク現地司令部の中からは何やら騒ぐ音が聞こえてきて、密かに接近したいペイルにとってはむしろ好都合だ。
そうしてそろそろと接近し、叫び声ぐらいなら聞き取れるぐらいの距離になって、ペイルは顔を顰めた。
――やはりイグナス語じゃない……? この発音は、ノータス語か!
シナーク現地司令部が襲撃されたと言うのは民間には発表されていなかったが、シナークの町では噂程度には話されていた。しかし当然どこの誰がやったかなどは、誰も知らなかったのだ。コウルが言っていた事は正しかったというわけだ。
そう思ってる間も絶え間無く、ノータス語の悲鳴と共に砲弾が飛んで行く音が聞こえてくる。
そんなところに飛び込むのは自殺行為に等しいので安全と思われるところでしばらく待っていると、やがてシナーク現地司令部を占拠していた何者かが徐々に移動を始めた。
ここぞとばかりにまず竜舎に侵入すると、中には興奮した様子で翼をばたつかせている竜がいた。足を頑丈な鎖で繋がれているので逃げもできないらしいし、その上数えると6頭もいる。ユラフタスが竜を使うのは知っており、本物の竜も遠巻きながら見た事はある。しかしペイルにとって、竜を間近で見るのは初めてだった。その美しさと圧倒的な魔力量にこれが噂のと一瞬見惚れたが、至近弾の音で我に帰った。
ペイルに聞いたより竜舎の中の状況が変わっていたが、そこは侵入者が何か触っているのだろう。世話をしていたと言う"ウヌン"という竜は、話の通り一部の羽根が変色しているように見える。隣の竜、かかっている名札を見るに"デュー"という竜に比べれば明らかだ。
やがて外からは再び声が聞こえてきた。一瞬、逃げたノータス人と思しき連中が戻ってきたのかと思ったが、聞こえてきたのは聞き馴染みのあるイグナス語だ。
イグナス軍が戻ってきたのかと思ったが、すぐにその可能性は捨てた。仮にも20年も軍に所属していれば、何かしらの作戦の一つや二つ立案した事はある。コウルから聞いた話では、敵は民間人を人質にして攻めてきたと言っていた。ならば同じ手で防衛戦を展開する可能性は高い。
いくら敵の殲滅の為とはいえ、民間人を殺害したとなれば軍の面子と存続に関わるし、それを想定できないわけがないのでイグナス軍という線は無い。ならば誰だ?
竜舎の入り口から僅かに顔を出して周囲を見やると、武装した兵士が走っていくのが見えた。辺りはすっかり暗くなっていたが、砲撃によって炎上する建物や天幕はその兵士達を十分すぎるほどに照らしており、それを見たペイルは信じられないような物を見た気がした。
――襟のあの印はリハルト軍か!? 奴らめどこから……いや、イグナス語を喋っていたぞ。ならば一体どこの誰だ?
そう思ってる間にもリハルトの軍服を着た何者かは走り去って行き、一時現地司令部の中は無人となった。機を逃さず基地内に出ると、本当に戦争の後のような光景がそこには広がっていた。
耐性の無い人が見れば一発で嘔吐しそうな光景である。壊れた天幕、其処此処に転がる人間の部分。落ちていた本を拾って中を捲ると、それはイグナス語の辞典だった。いくつもある書き込みがノータス語で書かれていたので、恐らくノータス人がいた事は間違いないということだ。
その惨状の中をペイルは進むと、やがて一つの天幕に行き当たった。砲弾が直撃したのであろう。その崩れて未だに燃えている天幕からは、ペイルにとってあまり嗅ぎ慣れないが一度嗅いだら忘れられない特徴的な臭いが漂っていた。
――あぁ、人間の脂の燃える臭いだ。
過去、敵船から直撃弾を喰らった際の嫌な記憶を振り払いつつその天幕を見ると、燃え残りから見てコウルの言っていた人質らしかった。軍服ではない服の欠片などが覗いている。ペイルは懐から筆記具を取り出すと、わかる限りで死んだ者の名前を書いていった。
半数が氏族領の領主かその近親だったので、見覚えのある顔が多かったのだ。
――ボルサ氏族領の領主、ボルサ=ルヌスとその妻、ボルサ=カリーン。シナークの領主だったな確か。こっちは……クーレス氏族領のケール分割領の領主、ケール=オイラス。バース氏族領のバース=カルメタ。ルーデンバース軍港の領主までも……
そして次の人はと目をやると、そこにはペイルにとって見覚えのある、すぐ近くに立っている館の領主と妻が折り重なるようにして横たわっていた。
――ボルサ氏族領トバル分割領の領主、トバル=クロムスとその妻、トバル=アイナか…娘さんはユラフタスの方で何か用事があるようだったが、上手く逃げられただろうか。
そう言いつつ、ペイルはトバル家の一人娘の顔を思い出していた。関所街はトバル氏族分割区の領内ではなかったが、よく関所街にも来ていたし、トバル家が貸し馬車を用立てて欲しい時にはいつもペイルのいる貸し馬車屋だったので親交は深い。
初めて会った頃はまだ10歳で初等舎の2年生だったが、思えばその頃から魔法の素質があったようだ。ペイルは魔法は僅かに出来る程度だったが、当時のペイルよりも上級の魔法を10歳の娘が使ってるのを見た時には、世の中わからないものだと驚いたものだ。
確か今はシナーク魔法学園に通っていると聞いた、しかも首席だという。人の家の娘とはいえ、立派に育ったものだと思う。
ふと気がつくと、遠くでずっと鳴っていた銃撃戦の音が止んでいた。じきに敵も戻ってくるだろうし、そうなれば撤退あるのみ。
まだまだ見覚えのある顔はいたのだが、だからと言ってここで捕まるわけにはいかない。素早く鎮魂の祈りを捧げると、ペイルは急いでシナーク現地司令部を後にして関所街へと戻った。
*
「さて、ナック大佐はあぁ言ってくれたが、カイルは誰が黒幕と見る?」
カグル駐屯地の片隅、使っていなかった倉庫に机と椅子を運び込んで、コルセアとカイルは話していた。
シナーク現地司令部を預かっていたコルセアも、今は敗残兵呼ばわりされることもある。ならば民間人を盾にされてまともに戦えるのかと怒鳴りたい気分にも駆られたが、それこそラティール家の名と、何より短い間とは言え右も左もわからない竜騎兵育成に携わってくれた部下達の顔に泥を塗ることになるので黙っていた。
シナークでは周囲の目もあるだろうとコルセアの上官であるナック=ヤルハート大佐は、シナーク現地司令部の生き残りを全員、自らが管理するカグル駐屯地へと身柄を移送していた。
そしてコルセアとカイルはナック大佐からの命令と自らの名誉に賭けて、この一連の事件の裏を調査する事になったのだ。
「まず第一の襲撃、ノータス語を話していたという者らですが、これがノータス人に扮した何者かなのかそれとも本当にノータス人なのか。ノータス人ならば目的は何か、国として関与しているかと言ったところですね」
カイルが自らの意見を披瀝すると、コルセアは「その通りだ」と言って1枚の封書を取り出した。
「これは先日ノータス王国に送った確認を願う手紙の返答の写しだ。今朝届いたもので、まだサルタンの上層部の人間しか見ていないらしい。俺もナック大佐に計らってもらったんだ」
「ノータスはなんと言っているのですか?」
「俺が言うより見てみた方がいいだろう」
そう言ってコルセアは封書をカイルの方に放った。
「では失礼ながら。えーと……」
手紙の内容はこうであった。
『此度の貴軍に大量の死傷者が出てしまったことを、まずはお悔やみ申し上げる。
貴軍の基地に対する侵略行為の件であるが、ノータス王国とは何ら関わりの無いものをご理解願われたい。またノータス王国として、真相究明に尽力を惜しまないものである。
余談ながら、我がノータス王国内の過激派であるヨナク宗派が、現在行方がわかっていない。一つの情報になれば幸いである。
ノータス王国
国王 ノータス=ロファル=アルタリオス』
「国王印まで押してある上に、国内の情勢まで書いて寄越してくるとは……ノータス王国の主導では無さそうですね」
読み終わった手紙を置くと、カイルがそう言った。国内情勢の、それも最悪は外交取引に利用されかねない事まで書いて寄越してくるのは、ノータス王国の本気さが知れた。
「しかしヨナク宗派と言えば、あのリメルァール攻撃の際の主犯格だろ? リメルァールは工業都市として名高いところだからわからんじゃ無いが、なんで国内でも秘中の秘になっている筈のシナーク現地司令部を知っていたんだ」
コルセアの言葉にカイルは頷いた。
「全くです、誰かが情報を漏らしたとしか思えません。しかしそれを言うなら二度目の襲撃も疑問が残ります」
「その通りだ。二度目の方は沖にリハルトの国旗を掲揚した船がいたと言う目撃情報があるが、それは本当にリハルト公国の物なのか。襲撃したのはリハルト人なのか。そこも含めて確認したいところだな」
二度目の襲撃の話も、シナークからほど近いカグルには既に話は伝わっていた。もっともそれを知るのは上層部の人間とコルセア達のみで、下士官クラスの兵士には情報は伏せられていた。
「コルセア大尉、観閲式の時に私がした話を覚えておられますか?」
カイルにそう言われて、コルセアはその時に聞いた話を思い出した。あの時は馬鹿馬鹿しいと一蹴出来たが、今となってはその仮説がより濃厚になってきたようにしか思えなかった。
「モロス皇子が皇位簒奪を狙ってるという話だったな」
「そうです。ヨナク宗派に接触できて、かつリハルトにも何かしらの干渉が出来る人物などそう多くはありません。
私なりの、その、飛び抜けた推論ではありますが、例えばモロス皇子かその関係者がヨナク宗派に接触して基地を奪わせる。ヨナク宗派はリメルァール攻撃の主犯格です。不敬ではありますが、モロス皇子はその際の対応を誤って人望を失った。怨んでいてもおかしくありません。
その後にリハルト兵に扮したモロス皇子の息のかかったイグナス人を送り込めば、モロス皇子から見て怨みのある相手を抹殺できて、かつすぐに戦える竜を手に入れた事になります。
もし本物のリハルト兵ならば、例えばリハルトと密約を交わしていたとか。もし密約があるならば、交戦中であるにも関わらず派手な戦闘があまり多くないのがその証左かと」
相変わらずカイルは無茶な推論をぶちまけてくるな、とコルセアは思った。しかしそうならば辻褄が合う事が多いから馬鹿にできない。
「仮にそうだとして、それをどうやって証明する?」
「まずはシナーク現地司令部に出入りしていた業者から当たってみようと思います。もしかすると第一の襲撃の後ぐらいなら、まだあの基地に行った者がいるかもしれません」
「わかった、そちらは任す。俺も軍の上の方、ローランド皇子派の方にそれとなく聞いてみよう。しかしカイルよ」
コルセアはそこで言葉を切ると、じっとカイルを見た。
「イグナス軍憲章の一つ、"軍人たるもの、
「勿論です。私も酔狂でやっているわけでは無いですし、この軍服も見栄や飾りで着ているわけではありません。私は私の名誉にかけて、この襲撃の謎を解いてみせます」
カイルのまっすぐな目を見て、コルセアも覚悟を決めた。
「わかった。ならば、宜しく頼む。俺らが丹精込めて育てた竜を、他の誰にも渡してたまるものか」
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