第29話 ヨナクの戦術

 それは、イグナス連邦の北に鎮座する北方ワクリオン山脈の麓にあった。


 かつてどこかの金持ちが使っていた別荘だと言う廃墟寸前と言った風な建物は、数ヶ月前から立ち入り禁止の柵が立てられていた。もっとも周囲に人家は無く、金持ちがお忍びで来ていたというその建物は存在を知る者すらあまり多くない。


 建物の中には沢山の人と共に、饐えた匂いが広がっていた。

 広い建物ではあったが部屋という部屋では足りず、廊下にまで人間達が力なく座っている。数はおよそ100名。環境は劣悪で食事は極めて最小限、死なない程度に。風呂は1週間に1回、5分間お湯を被るのみ。


 時々「何故こんな事に」と呟く声も聞こえるが、誰も答える者はいない。それは誰にもわからないからだ。


 ここにいたのはイグナスの沿岸を治めていた諸氏族の領主やその家族、そして領民だった。領主達はモロスが緊急招集として皇都に呼び寄せ、そのままこの地へ。人選など無くほぼ無作為と言っていい。


 リハルトと本当に戦うことになれば、当然領地に海岸線を有する領主は様々なところで戦争と関わることになる。自国軍の移動の際に便宜を図ったり、戦局次第では砲撃されたりすることもあるかもしれない。


 だが結局のところリハルトとの戦争とは見せかけに過ぎないのだがらそれを悟られない為と、特にシナーク、カグル、ルーデンバースを治めていた氏族は分割領の領主に至るまで1人残らず集められていた。平民と兵士は黙らせる事が出来るが、なりきに発言力のある領主の口を黙らせるのは骨が折れるというモロスの考えと、今後の計画の為だった。


 そして、メルがあらゆる伝手を頼りに探しているが未だに見つかっていない、メルの両親もここにいた。


「メルーナは生きているだろうか……」


 メルの父、クロムスが毎日同じようにその言葉を口にしている。だがそれはクロムスだけではなく、家族と離れ離れになってしまった者らの皆が口にする事であった。そうして誰かを想って口にでもしない限り、発狂してしまいそうだったからだ。


 クロムスはぼんやりと庭を眺めていた。既にこの建物に押し込まれて、何人があの庭に埋められただろうか。ある者は監視している兵士に食ってかかって私達の目の前で撃ち殺され、ある者は脱走を図って轡を噛まされ後ろ手に縛られた状態で戻ってきた。そして同じように撃ち殺された。私達の目の前で。


 ある者は発狂しある者は飢え、またある者は自らの手で死んでいった。

 最初は横にもなれなかったのに、そうして人が減っていくうちに横にはなれるほどの場所が出来たというのは皮肉以外の何物でもない。


 クロムスの妻のアイナも靭い女性ではあったが、最近はクロムスの言葉にも生返事しか返さない事が多い。しかしアイナに限らず、皆がもう限界だったのだ。

 歯向かう力も無い、不平不満をあげるのは腹が減るだけだ。ならば与えられた食事を食べ、あとは何も考えないのが一番だ。何より頭も使わず体も動かさない方が腹持ちがいい。


 立て付けが悪いのか悪くなったのか、玄関の戸を軋ませて兵士が入ってきた。


「う、相変わらず臭いなお前達は」


 何の用だろうか。食事、いや、もはや餌付けか、その時間には早いが。それともまた見せしめの処刑か。


「出ろお前たち! 移動だ!」


 *


 少しのち、建物に押し込まれていたクロムス達は檻付きの馬車に乗せられて山を降りていた。

 久しぶりに吸う外の空気はどこまでも甘美であるような気がしたが、そんな事を気にしている余裕は無かった。


 しばらく走ると、だんだんと汽笛の音が近づいてきた。駅に近づいていることはわかったが、檻には目隠しの布が被さっていたのでどこの街の駅かは全くわからない。


「降りろ、乗り換えだ」


 突然布を取り払われ、外の強烈な光に目が眩んだ。明るさに慣れて辺りを見回すと、そこはあまり広くない貨物の駅だった。


 ――ランディル貨物駅……? ランディルと言うと確か国の北の……刑務所のあるところだ! 私達を収監しようと言うのか!?


 招集されたクロムスを始めとした諸氏族の人達は宮殿で睡眠薬入りの食事を振舞われ、そのまま森の中の建物へと運ばれた。なので今まで自分がどこにいるのか全く知らなかったのだ。


 ――いや、刑務所の方がマシかもしれないな。あの建物に比べたら……


 クロムスの考えとは裏腹に、檻ごと貨車の方へと向かって行く。そしてガタガタと音を立てて、止まっていた貨車に乗せられた。

 汽笛を鳴らして出発した列車は途中で時々止まりながらも、ゴトゴトと走って行く。しかし外は見えないのでどこを走っているのかは皆目見当もつかない。


 そうして何時間走ったのか、何度目かの停車で貨車の扉が開けられた。時間感覚などとうに消え去っていたが、列車に揺られるうちに夜になったらしい。開けられた扉の向こうには、薄ぼんやりと建物がいくつか見える。あるいは長い極限生活で視力が落ちてしまったのか。


「到着だ」


 兵士の声に檻の中の人達はゆるゆると顔を上げる。クロムスも含めて、その目には生気の欠片も無い。

 檻から出されて歩かされた先にはまた別の建物があった。しかし森の中の建物と違って、いかにも倉庫と言ったような簡素なものだ。


「あの、私たちはどうなるんですか?」


 他の男が銃を構えた兵士に尋ねた。しかしその兵士はめんどくさそうに「そんな事お前達が知る必要は無い」と答えるだけだ。

 銃口で小突かれながらその倉庫のような建物に入るとこれまた中は木張りの床で、ここで寝るのかと思うとうんざりした。あの森の中の建物の方が、一応床は絨毯が敷いてあったので寝やすかったのだ。


 だが今更抵抗など出来ないし、する気力も湧かない。ただただ死なないようにしながら、メルーナの無事と再会を願いながらその日を生きるだけだ。


「メルーナは無事だろうか……」


 そうぽつりと呟くと共に建物の戸が閉じられ、暗闇と静寂が訪れた。


 *


 季節はフィソウム11月に入り、平地でも木々は紅く美しく色付いてきていた。相変わらず交戦中とは思えない、奇妙な静けさのまま1年が暮れようとしている。忍ばせた者に聞くところによると、彼の国の列車はとうとう民からの懇願に折れて軍用列車を一部旅客列車に回したと言う。


 しかしその紅葉も隣国の生活事情もどうでも良いとばかりに、ある1人の男が文書に見入っていた。


「来たぞ……ついに来た!」

「ヨナク師、それは?」


 ノータス王国のある屋敷にその2人はいた、ヨナク宗派の長であるヨナク=ナールファルトとその側近だ。


「この封蝋でわからんか! イグナスのモロス皇子より"準備が整った、シナークへ軍を進めよ"とのことだ。あの青二才め、賊の討伐に我々を使うとはいい度胸だ。そのままシナークを我が土地としてくれよう」


 元はと言えばモロス皇子がここ、ノータス王国の宗教であるシャルドール教ヨナク宗派の長であるヨナク=ナールファルトにある依頼をしたのが始まりであった。

「貴国の資源の窮状を救える物がこちらにある。しかしその採掘場所は、我が軍の軍服を着た賊が占拠している。討伐したいが戦時中で手が回らないので、ヨナクの手を貸して欲しい。協力してくれたら見返りに採掘の権益を一部分け与える」というものだ。

 手付金としてノータス金貨を200枚もくれた時は驚いたが、一国の皇子ともなればそれも端金なのだろう。


「最初はオゥトム10月と言っていたのに遅れましたね」


 その側近が言った。


「そうだな、向こうで何か不手際があったのだろう。だがお陰でこちらの訓練も準備も万全だ。ミツオル枢機卿を呼んでくれ」

「は、わかりました」


 側近が退室してからややあって、枢機卿のミツオル=リッスラントが入室してきた。枢機卿という立場にありながら黒衣からこぼれそうになる恰幅のいい腹は、どうにも威厳が無い。


「お呼びでしょうか」

「ああ、ついにあの青二才から手紙が来たぞ」

「ついに来ましたか」


 その言葉を聞いたミツオルは見るからに楽しそうな顔になった。

 ミツオルは枢機卿という地位ではあるが、実際は長年に渡ってヨナク宗派の私兵の総指揮を執っていた。リメルァール攻撃の際の指揮も執っている。


「攻撃隊500名の準備は整っておりますが、最初に話のあった人質はどこで?」

「シナークの近くにあるという駐屯地で引き渡すそうだ、日時は今月10日の夜。とりあえずそこまでの潜入からだな」

「わかりました。その頃ですと……3日後には出た方が良さそうですね」


 そう言いながらも、ミツオルは壁に掛けてある周辺の地図を見ながら侵攻の算段を立てている。


「その辺りは任せたぞ。忙しくなるな」


 返事をしたヨナクも、獲物を前にして獰猛な笑みを浮かべていた。


 *


 3日後の夜、ノータスのある地に武装した兵士が500名ほど集まっていた。

 これをヨナク宗派躍進の機会と見たのか装備はかなり気合が入っており、開発されて間もない機関銃が5挺も用意されていた。


「皆の者聞け! ここで成功を収めることが出来れば、我が国が心より欲している資源を手に入れることができる。つまりそれは、我らの正当性を証明することでもあるのだ!」


 ヨナクの檄に兵士達から歓声が上がった。


「敵はイグナス正規軍である可能性もあるが案ずるでないぞ。ご丁寧に隣国の皇子は人質まで用意したそうだ、我々の為にな。つまりそれらを盾に人間の壁を作り、攻め入れば良いだけの話だ。簡単な話であろう」


 そこまで言って、兵士の前で演説していたヨナクは言葉を切った。そして演台の上に跪き、右手を自らの胸に当てた。それと同時に、周りの兵士達も一斉に同じ姿勢を取る。


「シャルドールの唯一神であるシャルレ神よ、我らに普遍の勝利を与え給え。仇なす者らに死を与え給え」


 ヨナクの神への言葉に追随して、並んだ兵士達も繰り返す。


 自ら「神の代理人」を標榜するヨナクがそんな事をするのは矛盾極まりないのだが、そんな事を気にする者はいない。むしろ"奉仕"という名目で蓄財された金で機関銃を調達し、それを国の為、そして「神の為」の戦いに使うのだから、ある意味では教義通りだ。


 一群は出発すると、まずは馬と徒歩にて国境のフィヨル川を目指した。当然橋には国境の検問所があり、そこには兵士が常駐している。イグナスとノータスが戦っているわけではないので当然通行には問題は無いが、数百の武装した軍隊が通るとなれば話は別だ。


「止まれ! このような時間に何の用で、この国境を渡ろうと言うのだ!」


 当然、不寝番の兵士に誰何された。深夜に軍隊が国境を越えるのは、事前に通達が無い限りどう考えても不自然だ。


「ノータス王国軍の者だ。貴国の第一皇子、アルフィール=モロス殿から依頼を受けて対リハルト戦線の加勢に来たのだ」


 ヨナクはモロスからの手紙に書いてあった通りの筋書きで誰何に答えた。実際に兵士達が着ているのは、確かにノータス王国正規軍の軍服だった。本来は彼らはヨナクの私兵なので軍服など無いが、そんなものは被服廠に金を掴ませればいくらでも作れる。


「そのような報せは来ていない。確認するから暫し待て」

「それは不要だ」


 確認の為に詰所へ引き返そうとする兵士をヨナクは呼び止め、懐よりある紙を取り出し見せつけた。


「これが何だかわかるな? これは貴国の第一皇子、モロス皇子から直々に頂いた許可証だ。即ちモロス皇子の意思なるぞ。貴様はその意思に疑いを持つのか?」


 不寝番に当たるのは入隊数年の一兵卒が多い。あまりお偉方との繋がりの無い兵士には、この言葉はてきめんに効いた。


「――その印章は確かに我がイグナス連邦、アルフィール=モロス皇子の物。わかりました、お通りください」


 そう言ってその兵士は、いつでも銃を抜けるように待機していたもう1人の兵士と共に国境の門を開いた。これで正々堂々と、異国の地を踏んだわけだ。


「まずは無事国境を越えられましたね」


 先頭のヨナクと並んで歩くミツオルが言った。


「ああ、だがここからは派手な動きは禁物だ。いくら異教徒の住む街とはいえ、略奪行為や暴力、狼藉は絶対にしないように徹底させろ」

「当然です。ここで目を付けられるような事をしてもらっては困りますからな」


 イグナスでもノータスでも、普通は軍隊の長距離移動には鉄道を用いる。だがあくまで私兵であり軍でない上に、理由が理由だ。当然移動は徒歩である。

 途中まではリメルァール攻撃の際の経路で来たが、後はヨナク宗派にとって未知の領域だ。慎重に行かねばならない。


 そうして人質を受け渡す日の朝、ヨナクたちはシナークまであと僅かのところにある平原まで来ていた。


「止まれ、そろそろシナークが近い。ここで夕方を待ち、ミツオルの作戦通りにシナークのイグナス軍駐屯地へと向かう。ここからが作戦の肝だ、今のうちに休んでおけ」


 その号令と共に兵士達は簡易的な野営の準備に入った。素人目から見れば軍の野営でしかないが理由などを考え出せば不審な点だらけなので、周囲に人気の無いところで休んでいる。


 *


 そうしてやがて夕方となった。兵士達のうち100名は動き出す前に一斉に着替え、今はどう見ても肉体労働に就いている貧しい平民といった身なりとなっている。

 もちろんこれもミツオルの考えた作戦の一つだ。着替えた兵士は、同じく着替えたヨナクと共にイグナス軍の駐屯地へ。その他はミツオルと共に、先にシナーク現地司令部の近くまで進軍して行った。


 夜も暮れた頃、ヨナクが率いる軍はシナークの駐屯地まで来ていた。


「何だお前らは……? ここは軍の施設だ、無用の者は立ち去れ」


 駐屯地の門番は、突如現れた沢山の平民に驚きつつ追い払おうとする。


「ここだ……おい、みんな! ついに到着したぞ!!」


 ヨナクの叫び声と共に、男達は一斉に歓声を上げた。その迫力に思わず門番は後ずさりする。


「私、ノータスから逃げてきた。優しい兵士さん、ノラスさんって人。ここに食べ物ある、教えてくれた。私たち、皆飢えている」


 ヨナクがたどたどしいイグナス語で門番の兵士に話し始めた。


「待て、そのような報告は受けていない。確認してくるから少しの間そこで待っていろ」


 そう言って門番の兵士は踵を返して、門番の詰所へと戻って行った。


 実際にノラスという者はこの駐屯地にいる、ただし倉庫担当としてだ。ノラス=マイルはメルの家を現地司令部として接収した張本人であるが、その後ラグナとフレイヤによって眠らされてウィルとメルを取り逃がした責任でこの駐屯地の倉庫番に左遷された。

 そこにモロスが「人質を預かってほしい」との話を持ちかけ、ノラスは幾ばくかの金と共にそれを了承したのだった。


 兵士が門番の詰所に戻ると同時に、行動に出た。まずはヨナクの私兵が2人、門番の兵士の後を音を立てずに尾けて行く。

 兵士が詰所に入った瞬間、2人が一緒に雪崩れ込み、兵士の喉元に匕首を突き付けた。


「貴様ら……! 何者か! このような事をして許されると思っているのか!」


 門番は震える声で気丈に振る舞っているが、ヨナクの私兵は眉一つ動かさない。


「お前はただこの門を開ければ良い。もし断れば、明日の朝は迎えられぬ。それだけだ」

「――ッ! わかった……ただこれでは動けない。まずその小刀を離してくれ」


 その言葉に従いヨナクの私兵が匕首を降ろすと、兵士は震える手で門の鍵——の横にある釦を押そうとした。


 瞬間、門番の兵士の釦を押そうとした右手の人差し指の先端が、第一関節を残して消えていた。ヨナクの私兵が短刀で斬り飛ばしたのだ。


「鍵、あれだな?」


 ヨナクの私兵のたどたどしいイグナス語にただ頷くことしか出来ずその兵士は呆然としていたが、すぐに耳の後ろを強く打たれて意識を失い、その場に倒れた。


 鍵を手に入れた私兵はすぐに駐屯地の門を開き、100人ものヨナクの私兵が駐屯地に入って行く。

 深夜なので警戒の歩哨が歩いているだけとは言え、寝ている兵を含めたらかなりの数がいる。そもそも制圧しに来たわけではないので、見つけた歩哨を気絶させながら人質のいると言う倉庫を目指した。


「ノータス王国のヨナク=ナールファルトか?」


 目当ての倉庫の前に立っていた男が聞いた。


「そうだ。お前は?」


 ヨナクは流暢なイグナス語で聞き返した。隣国であるイグナス語は話せるので、最初の門番と相対した時は演技だったというわけだ。


「失礼した、私はノラス=マイルだ。ところでもう1人、ミツオル=リッスラントという男がいるはずだ。どこにいる?」


 ヨナクは立て続けに質問した。


「答える義理は無いが……まぁここにはいないとだけ言っておこう。ところで"物資"はどこだ?」


 ノラスは僅かに眉をひそめたが、すぐに「この中だ」と言って倉庫の戸を開けた。


「成る程な……確かに受け取った」


 そうヨナクが言うと、私兵達は中から次々と人質を連れ出し始めた。少し饐えた匂いが漂ってくるあたり、扱いが知れる。


「これだけで銀貨1枚(200万ロンド)さ、美味しい仕事だまったく」


 ノラスは連れ出される人質を見ながらそう呟いた。


 駐屯地から出るとヨナク達は、真っ直ぐにシナーク現地司令部の方を目指して歩いて行った。私兵達100名と人質が約100名なのでさながらちょっとした行軍だが、夜遅くに人目につきにくい道を歩いているので誰にも見つかる事はない。


 そして先発していたミツオルが率いていた隊と合流した。


「ヨナク師ですか! お待ちしておりました! こちらは全員無事でございます、また準備も整っております」


 宵闇の向こうに人影が見えたと思ったら、その中からミツオルの声が聞こえてきた。


「受け取った人質の数はおよそ100名だ。お前の立てた作戦に支障は無いか?」

「勿論です、そのぐらいなら想定内でございます」

「わかった。では皆の者、ここからが本番だ。ミツオルの作戦計画を元に速やかに事を進めよ、良いな?」


 暗闇の平原に、兵士達の敬礼の音が聞こえた。

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