第28話 第四バビレーヨ〔研究者〕

「やはりここの湯孔はアレイファンのものより臭いが薄いな。計器はどうだ?」

「針の振れ方が鈍いです、確かにここの方が濃度は薄いようですね」


 場所によっては温泉が湧き出す湯孔と呼ばれる穴はイグナス連邦のあちこちにあるが、湯の出るもの以外は時々物凄く臭くなるからと埋められたりしている。温泉が湧きだすところも、湯孔の近くは臭いが酷いのと落ちたら危険だと言うことで、近くまでは行けない所が多い。


 そして結局のところその湯孔とは何なのかを研究する2人の研究者が、皇都サルタンのある湯孔にいた。


「でも振れるという事はやはりそのガスのような物はここからも噴出しているんだな? やはり地下で繋がってると考える他無いか」

「そうなのでしょうね。最初に先生の仮説を聞いた時にはそんな馬鹿なと思いましたけど、こうなってくるとそれ以外に説明ができません。湯孔の一つ一つがそれぞれ独立した火山だと言うなら話は別ですが……」


 2人の研究者が特別な許可を得て、その湯孔の間近で研究機器と睨めっこしていた。その機器には針が付いており、盛んに振れている。

 湯孔に関する研究はこれまでもされてきたがしっかりとした研究機器の無い時代のものが多く、その全容は謎のままであった。

 しかし湯孔から出るガスを検出して濃度を示す計測装置が開発されたので、今回新たに研究が始まったのだ。


 先生と呼ばれた男はある一つの仮説を提唱していた。この湯孔は地下で全て繋がっているのではないかと言うものだ。


 発生源から遠くなるほどガスの濃度は薄くなる、この場合は山から海に近づくにつれて濃度が薄くなり臭いもあまりしなくなっていた。つまり山に臭いの発生源があり、それは地下にある穴を通って街にまで来ていると言うわけだ。しかし計測装置が無い頃はガスの濃度は感覚的なもので実証することが出来ず、他の研究者が唱えていた各々の湯孔に各々の噴出口がある説を否定できなかった。


 しかし今回こうして観測して、実際に山から遠くなるほど濃度が薄くなるのを機会の目で観測できたというわけだ。


「あとは北方ワクリオンで採取したガスとサルタンのガス、これが同じものなら間違い無いわけですね」

「そうだ。この後はカグルやルーデンバースにもあると言う湯孔でも採取するが、2箇所だけでも一致すればこの説の裏付けになる。採取用の袋は持ってきているな?」

「勿論です」


 そう言って同行していた男は、持っていた鞄から頑丈そうな袋を取り出した。袋には"リメルァール科学高等学舎"の文字が書いてある。

 臭気を含むガスは見た目はただの煙と見分けが付かないので、湯孔から出る煙の辺りで適当に袋を振って素早く封をする。


 濃度は低いとはいえ、あまり長く湯孔の近くにいてこのガスを吸ってはならない。過去に山のもっと濃度の高い孔では、臭いのしない湯孔を見つけたと行って調べた研究者がものの数分で亡くなった事もあると聞く。

 また長時間ガスを吸っていた研究者が亡くなった際には、その死体に濃い紫色や緑っぽい斑点ができて「呪いだ」と騒がれたこともある。


 いやしくも科学を用いて研究する者らが呪いだのと言うのは如何なものかと先生と呼ばれた男は当時は思ったものだが、そのガスが恐ろしい存在であることだけは身に染みてわかっていた。なのでガスを採取した後は、急いで湯孔から安全な距離を置いていた。


「さて、ここでの調査は終わりだ。次はカグルだが、いい列車はあるかな」

「一応戦時中とかで普通の列車は減ってますからね、リハルトも何にもして来ないなら汽車も少し本数増やしてくれれば良いんですけど」


 そう愚痴を言いながら観測機器を片付けた2人は、北風の吹き始めたサルタンの街を駅へと向かった。


 駅に着くとちょうど数少ない旅客列車が到着したようで、ちょっとした賑わいを見せていた。

 人混みを掻き分け駅に入ると、運良く次のカグルに行く列車は30分後にあるらしい。


「ちょうど良かった、あれに乗りましょう」

「そうだな、サルタンの宿は高くてかなわん。カグルの方が少しは安いだろうし」


 結局のところ2人は研究者だ、商人ではない。研究の為とはいえ旅費の支給は切り詰めることを要求されるので、そういうところにも敏感にならざるを得ないのが辛いところだ。


 *


「ご利用ありがとうございます、カグル行きの普通列車です。車内大変混み合っております、席は譲り合って荷物を置かないよう……」


 車掌のやや早口の放送を聞き流しながら、2人は満員の汽車に揺られていた。

 数少ない列車に乗ろうとする人でぎゅうぎゅう詰めの車内で、観測機器を人混みから守りつつ座席の取っ手に掴まって揺られている。


「しかし先生、地下でそれらが繋がってるとして、その地下の横穴はいつ出来たんですかね?」

「それがわからないんだよ。ただ地下にできる穴に関しては、興味深い話があったな」


 窓の外はもう夕暮れ時で、橙色の光線が家や田を柔く照らしている。その光に眼を細めながら、窓の外をぼんやりと眺めて立っていた。


「なんですか? それは」

「何年か前の論文だが、大規模な火山の噴火があった時に岩漿に飲まれた樹木が中で燃え尽きて、岩漿も冷えて溶岩になるとその溶岩の中に樹木の形をした穴が出来ることがあるんだそうだ」 


 汽車が左右に揺れた。


「まもなくセイルフに到着です。降りるお客様はお手元に切符の準備を……」


 車掌の放送と共に、目の前に座っていた労働者風の男が席を立ちあがる。


「あ、先生空きましたのでどうぞ」

「おう、ありがとう。

 それでその穴のことを"溶岩樹型"と言って、かつて大きな噴火があったらしいこのイグナスの地では時折見られるものらしいんだ」

「そんな物があるんですね、確かに北方ワクリオンには火山も多いですし……

 その溶岩樹型とやらが地下で繋がっているとお考えなのですか?」

「そうだ。勿論疑問点はいくつかあるが、現状合理的に説明できるとしたらこんなものだろう」

「孔に降りて調べてみたい気もしますね」

「自殺行為は1人で頼むよ。私は呪いだなんだと言って死んでまで恐れられたくないからな」

「分かってますよ、あんなガスだらけのところに降りたら1時間も持たないかもしれないでしょうし」


 そう言って2人は黙る。外からは行き違いを待って止まっているこの列車の乗客を目当てに、売り子の威勢の声が聞こえていた。

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