第27話 第二皇子の憂鬱

 今上の皇帝陛下、ルメイ=アルフィール=ライナスは昨年から病を患い、床に臥せっていた。


 リハルト公国との開戦から8ヶ月、散発的な攻撃こそ仕掛けてくるものの殆ど動き無しといった状態では、やはり戦争の推移よりも国の長である皇帝の容態に関心が集まる。

 それに有事の際にあって最高指揮系統が機能していないというのは、指揮系統の混乱という形で国政にも影響を与えていたのだ。


 しかし病とて1年も経てば回復の見込みはたち、やがてその方法の一つや二つぐらいは見つかるもの。この日も皇帝のいる宮殿には国の中でも高名な医者が出入りし、懸命な治療が続けられていた。


 それを祈るような気持ちで見ているのは、第二皇子であるルメイ=アルフィール=ローランドだ。


 ローランドは次期皇帝ではあるが、それに驕ること無く帝王学を良く学び、またこれからは外交の時代だと諸国を訪れ知見を広め、自らが皇帝になった際に困らないようにと勉学に励んでいた。その上人当たりも良く、皇位継承権が決まる前から宮殿や軍や枢密院には次期皇帝はローランド皇子で決まりだと言う者が多数を占めるほどだった。


「父様のご様子は?」


 ライナスの部屋から出てきた医者を捕まえてローランドは尋ねた。


「は、ローランド様でございますか。今は安定しております、やはり夏が山場だったのでしょう。今は少しずつですが回復に向かっております」


 それを聞いてローランドは胸を撫で下ろした。兄のモロスの方は最近よくない噂を聞く。それを押さえるには自分では力不足。よって律する事ができるのは父である皇帝ライナスだけなので、一刻も早い快復を望んでいたのだ。


 ローランドは二の館の自らの執務室に戻ると、届けさせていた戦況報告書に目をやった。


「相変わらずリハルトは動き無しか。こちらの損耗も無くて結構なことだが、いつまでも戦時体制だと軍の維持費がかかりすぎる。それにユラントスとの貿易にも支障が出ているし……」


 そう呟きながら頭の中では戦費の計算をしていた。ローランドは馬や武芸はからっきしだったが、外交や数字には秀でていたのだ。


 一通り計算してみて、やはりこれ以上の戦争状態は無駄であり、いい加減にリハルトとの話し合いをしてもいいのではないかという結論に至った頃、この前シナークで行われた観閲式の事をふと思い出した。


 ――そう言えばあの計画、竜騎兵と言ったか。あれは兄の肝煎りの計画と聞いたな。


 ふと気になったので、ローランドは観閲式に参加した枢密院の重臣から、作戦書と観閲式の成果報告を取り寄せた。その重臣には渋られたが、竜という伝説とされていた生き物を使っているとはいえただの作戦書と報告書だ。何の疚しいことがあろうか。


 だがその日いっぱいをかけて読み込んだその2つの書類は、ローランドの顔色を変えるには十分であった。

 読み終わって考えをまとめた後、急いでロヴェル機甲師団とオルトゥス魔法師団の作戦参謀長を呼び出した。もちろん竜騎兵についての認知と、今後の動きの指示だ。

 2人の作戦参謀長が来るまでの間、ローランドはひたすら兄への疑惑が頭をもたげていた。


 ――過剰戦力が過ぎる……! こんな化け物が10頭もいたらもはや軍事大国であるリハルトどころではない、我が国が周辺国では最強になってしまう……!

 それは避けねばならない道なのだ、何故わからないか――兄よ!


 *


 ローランドとは違った方向で、モロスもある疑惑が頭をもたげていた。


「ミラムがカグルに戻りたいと?」


 今後の計画を確認していたモロスは、その部下の言葉に顔を上げた。

 オゥトム10月にしては夏を思い出したかのように暑い日だったが、相変わらずモロスは館の窓を開けようともしない。


「はい。観閲式の時に体調を崩したので、その療養をしたいとのことです」

「思ったより我儘なのだな、まぁ良いだろう。私の後ろに立つ者がそれじゃ格好がつかぬしな」


 あなたの方がミラム様より遥かに我儘ですよ、という言葉をすんでのところで飲み込んだその部下は、一礼してモロスの執務室を後にした。


「最近あいつは、俺に隠れて何かコソコソやってるようだしな」


 そう言ってモロスはラミスを呼んだ。


「お呼びでしょうか?」

「ミラムがカグルに行ったそうだ、女中のルフィアも一緒にな。お前の手下で探ってこい、何か不自然な動きがあったら報告するように」

「は、畏まりました」


 ――情けで皇太子妃にしてやって、黙って従えばそのうち皇妃になれると言うのに。何故あいつは私のことを探ろうとするのだ。


 モロスは自分用の椅子——庶民が1年働いても買えないようなそれにふんぞり返ると、同じぐらい値段の張る机に脚を乗せて溜息を吐いた。


 *


 その翌々日には、ラミスからモロスの元に報告が上がっていた。


「何者かと密会している可能性がある? 誰とだ」

「わかりません。ただ昨日カグルの街の食堂に入り、その後に正午の鐘と同時に若い3人組がその食堂に入って行ったようです。その後は数刻してその3人組が出て、少し後にミラム様とルフィアも出てきたそうです。察するに、その3人組と会っていたものと思われます」


「その3人組の素性は?」


 モロスの声に苛立ちが混じってきた。


「1人はわかっています、宿の名簿からエルストス=イルカラという者のようです」


 モロスはしばし考えたが、どうにも思い当たる人物はいない。


「知らないな、誰だそいつは」

「全く不明です。あともう1人は、名前はわかりませんがユラフタスだったと聞いております」


 ラミスのその言葉を聞いて、俄かにモロスの表情が変わった。


「ユラフタス? 何故ユラフタスが」

「残念ながら……」

「ミラムがユラフタスと接触……? 何故だかさっぱりだな。まぁ良い、お前は引き続き監視を続けろ。別の者に、そのエルストスとかいう者を探らせてみる」

「は、畏まりました」

「それとだ」


 モロスは一度言葉を切った。


「ヨナクにはオゥトムにやるように言ってあったが、1ヶ月延ばしておけ。この不確定要素を少し調べてからだ」

「畏まりました」


 そう言ってラミスは退室した。本当はその報告があった時点で3人を生け捕りにするように指示していたが、ミラムが関わってくるとなると護衛を付けている可能性もある。

 まだ報告は聞いていないが、これ以上失敗の報告ばかりすると、いい加減に機嫌を損ねそうなのでやめておいたのだ。


 ラミスが退室した後に、モロスは執務机の鍵のかかる引き出しからある写本を取り出した。その表紙にはサルタン皇立図書館所蔵の印と共に「ルメイ・イグナス叙事詩」の文字があった。


 その3人が何者かはわからないが、ユラフタスがいたというのが引っかかったのだ。

 そもそも観閲式だってミラムは本来参加しない予定だったが、夫の公務に付き合うのも妻の役目と言って観閲式に付いてきた。だがもしあれが竜に関わる何かで付いてきたとすれば、そして今回も竜の事で密会したとすれば、ユラフタスが何の関係があるのか調べてみようと思ったのだ。

 そして過去の事を知るならば、竜について知った理由であるこの叙事詩を見るのが最適だ。


「地の果てより来たりしまれびと——畜生どもの森にて――この賓と言うのは、もしかしてユラフタスの事か?」


 叙事詩の内容を呟き咀嚼するうちに、モロスはこの文章の中には知られていない様々な出来事が隠されていると感じた。

 この叙事詩を書いた人、つまり建国の祖であるルメイ=オルトゥス=ロヴェルは、この書に何を残したと言うのか。


 そもそもこの叙事詩自体、本来は非公開の物なのだ。モロスはただ図書館から皇権を使って取り寄せ、読んだだけに過ぎない。下々の民が知っていることと言えば建国の祖であるロヴェルの名前ぐらいで、この叙事詩は噛み砕かれた内容でしか知らないはずである。


「賓がユラフタスだとするならばこの土地には元々我々が住んでいて、そこにユラフタスが竜を連れて暴れたと言うわけか。しかしユラフタスは死に絶えておらず、むしろ商いと称して街に降りてきていると言うしな。

 ならば……ならばユラフタスは危険な存在であろう。そのユラフタスとミラムは何をしていたと言うのだ」


 イグナス連邦の建国は新暦314年と言われており、以降の歴史は学舎に通う者なら必ず教えられている。もちろんモロスもだ。

 皇子に対する教育なので平民の教えられる歴史の裏の裏の意味まで教え込まれるが、それでも歴史の本質は変わらない。


 建国の祖であるルメイ=オルトゥス=ロヴェルはこの地に散らばっていた各氏族を、"翼持つ獣"と"賓"からの攻撃から守り迎え撃つ為にまとめ上げ、それらを打ち負かした後に古語で「英雄」の意味を持つルメイの名を冠し、このイグナス連邦を作り上げた。


 ロヴェルは国を統べる者として皇帝を名乗りつつ、敢えて各氏族をそのままとして分割統治を任せた。これは賓との戦いの際に、ロヴェルからの指示ではなく各々の判断で敵を撃破せしめたという経験からと言われている。

 皇帝の国としての皇国ではなく、緩く各氏族がそれぞれの場所を治める連邦としたのもこの為だ。


 そしてその後は農耕や牧畜の生活と魔法を原動力とした世界から動力革命を経て、現在の機械文明に至っている。


 ただユラフタスについては歴史では一切触れられない。ユラフタスが本当に叙事詩に出てくる「賓」であるならば、もう一度街に出てきた時点で殺すなり逃げたという森を含めた山狩りなりするはずなのだ。


 だが実際は平民にとっても皇族にとっても、ユラフタスは人畜無害な連中でしかない。

 この矛盾はなんだ? 何を見落としているというのだ?


 モロスは改めて考えると不思議でしか無い叙事詩と国の成り立ちについて考え込んでいた。まさかミラムが何故ユラフタスと会っていたのかが、こんなややこしい話になるとは思わず。そして閉じられた窓の外から、密かに目線が向けられている事にも気付かず。


 *


 その翌日にはルメイ=イグナス叙事詩の写本がローランドの手元にもあった。

 強大な竜騎兵という戦力を兄はどうしようと言うのか、それを探らせているうちにこの叙事詩を見ていたとの報せが入ったからだ。


 叙事詩が禁書とされているわけではないが、歴史書は他にも数多ある為にこの本に目を向けられることは少ない。そもそも非公開なので平民の目には触れず、地位のある人の中でもその存在を知る者すら多くないのだ。


「翼ある獣……これが竜だと言うのか? しかしこれだけで架空の存在とされた竜を実際に見つけ出し、利用としたのだからなんとも……」


 この日もオゥトム10月にしては麗らかな陽気で、モロスの執務室とは違って開け放たれた窓から入ってくる清涼な風に吹かれながら、ローランドの頭の中には様々な疑問が浮かんでは消えていた。


「しかし、私も初めてまともにルメイ=イグナス叙事詩を読んだが、こんな内容だと知っていたか?」


 ローランドは側近に問いかけた。その側近も同じく叙事詩の写本を読んでいる。


「いえ私はまったく……しかしこの翼ある獣というのが竜だとするなら、ますますモロス皇子がどうやってこの存在と利用法を思い立ったかがわかりませんな。ただ――」

「ただ?」


 側近がその先の言葉を言い淀んだので、ローランドは言うように促した。


「不敬ですが、竜が本当にこの叙事詩と同じぐらいの力を持っているとするならば、あらゆる地位を力で奪うこともできるのかと思いまして」


 その側近の言葉にローランドはハッとした。次期皇位継承権はローランドにあり、兄のモロスではない。その事に対してモロスが鬱憤を溜めていたことはローランドも知っていた。


 だがモロスに皇帝の位が相応しくないのは、ローランド自身もそう思うし周りの重臣達も内心では思っているようだ。

 それがもし、もしも兄が竜を使って皇位簒奪を狙っているとしたら……?


「兄がどうやってこの叙事詩と竜を使うに至ったかはわからぬが、とにかく今は戦時中だ。その中でこちらが混乱していると敵に足をすくわれるからな、この事は内密にだ。

 ただ今後も兄が不審な行動を取るようであれば、遅滞なく報告してくれ。いいな?」

「は、畏まりました」

「しかし偏った見方かもしれんが、この戦時中なら戦力増強と称してどうにでも言い訳できるからな。何というか……」


 そう言ってローランドは天井を仰いだ。


 俄かには信じがたいが昨日読んだ観閲式の報告書を信じるならば、竜とは必要に応じて自律行動が出来て、矢を弾き銃弾を弾き効力射すら与えられない。それでいて30ほどの騎馬兵なら単騎、100の騎馬兵なら3騎ほどで制圧出来てしまうという。


 体内の保有魔力は膨大で、オルトゥス魔法師団の高名な魔術師に匹敵するか或いはそれ以上の魔力量を有している。しかも背に乗った人間の意に応じて、様々な魔法を使えるという。


 難点として糧食が人に比べて多い事と糞尿の処理、竜舎の建設。そして魔法が使える兵でないと竜を自在に操れないとされていたが、そんな事は些細な事だ。

 糧食と糞尿など人間の兵士だって同じことだ、一つの駐屯地で養う人間が増えただけと思えば良い。竜舎の建設も作る建物が増えるだけだ、建築資材集めの問題もあるがさしたる問題ではない。魔法を使える人間はロヴェルにもいるしオルトゥスはむしろそれが本業だ。それらを教育すればいいだけで、負担というほどでもない。


 つまり竜とは、少ない労力で大きな戦力となるわけだ。空を飛べて、近接戦闘では最強と言ってもいい。観閲式に参加した第四聯隊航空隊の高官が声高に反対するわけである。


 ――今は叙事詩よりもこの竜騎兵の扱いとモロスだ。さて、兄はどうでるか…


 そう思い直してローランドは叙事詩の写本を机に閉まった。それよりも考えねばならぬこと、やらねばならぬことが山積みだったからだ。

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