第14話 ユラフタスの秘密
駅逓を出発したのはまだ日も昇らない頃だった。とは言え日が昇る東側にはこれから向かう白露山脈があり、日はそこから昇るのであたりは既に明るくはなっている。
国の中でも温暖な南に位置する街道ではあったが、春も浅い平原はかなり冷え込む。馬車の中には火鉢も置いてあったがそれでも起き抜けの身体には応える寒さで、シナークの馬車屋で一緒に借りた毛布にくるまりながらユラフタスの村があるという白露山脈を目指していた。
「昼までには着くからね。朝餉はちょっと物足りなかったし、村に着いたら何か出してもらうに言ってみるよ」
そう言いながらラグナは軽快に馬車を走らせていく。もともと知らない土地を旅するのが好きでハーグ鉄道公団に入ったウィルだが、鉄道の通っていない土地を旅するのは新鮮だったので窓からぼんやりと外を眺めていた。
対してメルは起きた時から眠そうにしていたが、馬車の揺れで眠気に負けたのかこっくりこっくりと舟を漕いでいる。
白露山脈に向かう道はやがて森の中に入り、杣人たちが暮らしているという最後の集落を抜けると一気に深い森の中に入った。ろくに整備されていない道ではあったが、不思議と馬車はさほど苦労もせずに進んでいく。
"マレス山麓の森の奥には神のおわす宮があり、そこに近づきすぎるとその強い神気に打たれて心を狂わせてしまう。だから山に木を切りに行く時も山の恵みを戴く時も、あまり奥深くまで入りすぎてはならない。"
……誰からそんな話を聞いただろうか。
小さい頃に聞いたそんな話を思い出しながら、ウィルは今自分がその森にいるのだと考え、17歳にして人生の流転を感じざるを得なかった。
草を掻き分ける音と鳥の声を聞きながらしばらく進むと、道が不意に途切れた。
「ここが終点?」
いつの間に目を覚ましていたメルが辺りを見回しながらそう聞いた。
「いや、ここはまぁ…関所みたいなものね」
「関所?」
「そう、ユラフタスしか通れない関所」
そう言うとメルは馬車から降り、おもむろに隠れ家に入る時にも使った木の板を取り出した。そして慣れた手つきでその板に何やら魔法をかけた後、近くの木に穿ってある穴の中に放り込んだ。
「さて、これで大丈夫。私たちの村へようこそ!」
そう言うとラグナは馬車を連れて、一見するとそこにだけたまたま木が無いだけの森の一部とでも言うような場所へと進んだ。
周りに垂れていた木の枝などは、まるでその馬車だけを避けるように不思議と当たらない。
これは……? と思ったのも束の間、急に目の前がひらけた。
「うわぁ……」
「こんな場所に……」
ウィルとメルは同時に声をあげた。そこには確かに村があったのだ。
馬車の窓から身を乗り出して見てみれば、そこには木で作られた家々。樹木の間を縫って田畑も広がっている。そして木の棒のようなものを持って走るちびっ子と、それを追いかけ回す少し背の大きい他の子供。平和そのものといった光景だった。
仕事で使う懐中時計を取り出すとちょうど正午の昼餉時だった。だからなのか、どの家からも料理か何かしているのか煙が上がっている。
「すごいな……」
「こんな集落が森の中に……」
ウィルもメルも呆気にとられていた。
それもそのはずで、村の規模もさることながら、ユラフタス自体がイグナス連邦や周辺諸国の人からすれば異質な存在である上に、その住んでいるところを誰も知らなかったからだ。
ユラフタスは常人が立ち入れないところに自生する薬草や木の実を売り、その知識は時に高名な医者や研究者をも凌駕する。そんな人が暮らしも住まいも分からぬまま霊峰マレス山の麓、白露山脈に出入りしている。
この異質さ、奇妙さから誰もがあまり関わり合いを持たなかったのだ。
「2人ともお疲れ様、とりあえず連れてくるように頼んだ人のところに行かなきゃなんだけども……その前に見てみる?」
「見てみるって何を?」
「もちろん、あなた方で言うところの……」
「ピュイィィィ!!」
ラグナの言葉が言い終わらないうちに遠くの方から鋭く高い笛のような音が聞こえた。ウィルもメルも咄嗟のことで体を強張らせたが、ラグナは困ったように微笑んでいた。
「フレイヤが先に私だって言ってる」
ウィルはあの夜を思い出していた。確かに急に空から降ってきた音は、あんなように甲高い笛のような音だったと思う。
しかし伝説や神話の中でのみ語られ、本当にいるわけないと信じて疑わなかった"竜"という存在にこれから会うというのがとても信じられなかった。
よく村を見ると家は数十軒程で、あとはほとんど畑だった。中央にどこから引いてきたのか、水路とため池がある。
村の関所の近くにあった厩舎に馬と馬車を預けてラグナに連れられる形で3人が歩いていると、畑作業をしていた男たちや昼餉の支度をしていた女たち。走り回っていた子供たちが一様にウィルとメルを見てきた。
「目線が怖い…」
そうメルが呟くほどに。気のせいか年老いた人ほど厳しい目を向けてくるような気がした。
「気にしないで、って方が難しいよね……
ユラフタスの村に賓(まれびと)が来るなんていつぶりなのかな、とにかく滅多に来るわけじゃないから珍しいのよ。
過去に杣人も探検者も租税徴収人も軍隊でさえも、ユラフタスの村を見つけられた人なんていないし」
歩きながらラグナは淡々と話している。
(ウィル、"まれびと"ってなに?)
(客人ってこと、少しは言い回しとか勉強しろ)
(うるさいなぁ!)
あいも変わらずウィルとメルはひそひそ話だ。
「さ、この辺りでいいかな」
そう言うとラグナは、村から少し外れた周りに木のない開けた平原で立ち止まった。すぐに翼をはためかす音が聞こえてきた。
「さて、紹介するわ。私のパートナー、フレイヤよ!」
不意に太陽が遮られ辺りが暗くなる。驚いて空を見上げると、そこにはあの夜見た大きな影があった。
その巨大な翼を広げゆっくりと地上に降りてきたソレは、確かに物語に語られる「竜」そのものであった。
竜に関する物語で「ルノーセン詩篇」と呼ばれる本がある。信仰深き者たちが住む島、ルノーセン島とその島を攻め滅ばさんとする大国との戦争を、ルノーセン島の一兵卒の目線から描いたものだ。
その戦争はルノーセン島側が勝つのだが、その決め手が竜だった。竜のあまりの魔力の強さは大国をも圧倒し、信仰の島、ルノーセン島は守られた。それからルノーセンの人々は竜を神の使いと信じ、崇め奉った。
神への賛美の詩をまとめた本である事をあらわす「詩篇」が使われているのはこのためだ。
そしてそのルノーセン詩篇の冒頭、竜についてこう書かれている。
『尊きもの、その大いなる翼で我等を守り給え。
顕現せし使いよ、その御身は陽光に照らされ清く美しく輝く。
あの欲深き信仰無き哀れなる者らは、使いの手により浄められし。使いは哀れなる者の弓を折り、兵車を焚けり。
我等、苦難の時であるが、恐れはせぬ。いと高き主より使われし翼ある者よ、我等と共に往かん』
この文の口語訳と共に、勇壮な竜の挿絵が載っていた。
宗教色の強い本ではあったが冒険や奇想に夢見る少年少女にとってはまさに聖書のようなもので、強く美しい竜は憧れとも言えるものであった。
そして、今まさに目の前に降りてきたものは"ルノーセン詩篇の挿絵そのもの"だった。
さすがに挿絵とは体の色などは違うが、濃い青色をし瞳は水色。大きく広げた翼は軽く人間の大きさを超えており、陽の光に透けている青い羽は複雑な色に輝いている。
身長はウィルの2倍から3倍はあるだろうか、平均的な身長のウィルだったが自分が小さくなったような錯覚すら覚えた。
「これが、竜……」
「綺麗…………」
竜に限らず上から見下ろされるというのは自ずと萎縮しそうなものだ。しかしそうであるにも関わらず2人は平然としていた、呆然としていたと言った方が正しいかもしれない。ただ見惚れていたことだけは確かだった。
「よく見ると……小さい頃によく読んだルノーセン詩篇にそっくりなような……」
「そう、イグナス連邦に生まれた人なら一度は読むであろう。あのルノーセン詩篇そのものさね」
不意に後ろから声をかけられ振り向くと、老婆が1人立っていた。
ラグナも驚いて声の主の方を向くと、顔を見るなり急に姿勢を正して礼をした。
「ノーファン-フォスチア様! 先程戻りました! こちらが件の2人、エルストス=イルカラさんとトバル=メルーナさんにございます」
「ご苦労だったのうラグナ、しばらくは村にて休むが良い。これから忙しくなりそうじゃからな」
「はい、ありがとうございます」
そう言うとラグナは再び礼をした。
「フォスチア? ユラフタスじゃないの?」
聞き慣れない単語にメルがラグナに尋ねた。
「この人もユラフタスよ。フォスチアって言うのは私たちの首長で、"竜の長"と対話できる人のことを言うのよ」
「その辺でよかろうラグナよ。どのみち"竜の長"様の命で連れて来たのじゃ、明日にでも会わせなければ無かろうて」
そう言うとその老婆はウィルとメルの方に向き合った。
「さてこの村に客人なぞいつぶりなのかな。私はノーファン-フォスチア、この村の長老と言ったところかの。遠路はるばるよくおいでなすった」
ノーファンと名乗る老婆は先程の村の人とは違って、まるで好奇心の塊とでも言えるような目でウィルとメルを見ていた。
2人も簡単に自己紹介を済ませると、ノーファンの家へと案内された。そもそもラグナにここまで連れて来いと命じたのはこの老婆らしいので、その詳しい理由を聞かせてくれるのだろう。
「さて、お前さん達にとっては信じられないことの連続じゃろうて。ただ我々もあまり悠長に構えてる暇も無いのでな」
家に入って億劫そうに椅子に腰掛けるとノーファンはそう言った。
「いずれにしても私の家は無くなったようです。今更どこへ連れてかれようと…」
そう言うとウィルは拳を強く握った。あの夜、さもそれが当たり前であると言うように「もう取り壊されている」と言い放ったあの兵士の顔を思い出したら無性にムカムカしてきたからだ。
「まぁ落ち着きなされ、しばらくはこの村に居れば良かろう」
そうノーファンから諭されると、今度は別の光景が頭をよぎった。
「あの、お心遣いは有り難いのですが、その……ここに居させてもらって大丈夫なのでしょうか?」
ノーファンの片眉が上がった。
「ほう、なんでそう思うね」
「まず今は冬も明けたばかり。仕事柄山あいの小村に行くこともありますが、この時期は冬を越えて備蓄の食糧も減っているはずです。私たちがどの程度この村に滞在するかはわかりませんが、2人ともなればその負担は軽くはないはずです。
こんな山奥を拓いた場所です、見た感じですが住んでいる人はあまり多くないように見受けられました。それで本当に大丈夫なのでしょうか?」
ノーファンは驚いてウィルを見た。
「あんた……今いくつだね?」
「え? 今は、17歳ですね」
「――長様も賢しい者をお選びになった……心配せんでいい、2人増えたぐらいでどうにかなるようなことは無いさ。売れるものもあるしな」
心配しなくていいと言われても気になる事がもう一つある。
「それと……心なしか村の方々の見る目が厳しかったように思えるのですが…」
それを聞くと今度はノーファンは少し笑った。
「やはり気にするかの? 外界から客人が来るが気にするなとは触れを出したが……
お前さん達との世界と関わりを持つユラフタスは村の中でも少数じゃ。山菜や果実を街に売りに行く者か、ラグナのように親がしょっちゅう街に降りてる人ならお前さん達には何も思わんだろう。しかし外界から閉ざされてる以上は……」
そこまで言うとノーファンは言葉を切った。
「いや、何か尤もな理由を繕っても仕方あるまい。付いて来なさいウィル、メル。ユラフタスと共に在りたいならば、これを知らなければなかろうて」
「え、ノーファン様! いいのですか!? あれは父様からは、ユラフタスの者以外には秘中の秘だと聞いておりましたが」
今まで黙って聞いていたラグナが声を上げた。
「いいのじゃ、かの土地に住まう者が過去の出来事を知らなくて良い道理は無かろう」
そう言うとノーファンはさっさと歩いて行く。
ウィルとメルも後を追って付いて行くと、村人の家よりも立派な建物に着いた。ノーファンはシナークの隠れ家でラグナが使ったような木の板を取り出すと、同じように戸の横に開いている穴に差し込み戸を開けた。そして中に入ると自らの指先に魔法で小さな火を灯し、それを灯りに移した。
薄明るくなったその小屋の中には、眼を見張るほどの沢山の書物と巻物が溢れていた。
「これは一体……」
「色々なものがある。竜に関する記述のされた本から様々な都市や国の経済書、軍の報告書なんかもあるな」
なるほど確かに、本や巻物も新しいものや古いものが混在している。薄暗くてよく見えないが、ハーグ鉄道公団の文字が見えるものもあった。
「どうしてこんなものが……」
「率直に聞くが、これまでユラフタスはどんな印象じゃった?」
思わず呟いたウィルをよそに、ノーファンは尋ねる。
「どうって……"霧間の民族"の名の通りだなと思っていました。霧深いマレス山から来て帰る、不思議な人たちだなと」
「メルーナはどうじゃ?」
「うーん……ユラフタスの人って、いつも山菜だったり木の実だったり売りに来る人だと思ってました」
「それじゃ、そうして外界に降りる者らはただ降りているわけではないというわけじゃ」
「でも何故そんなことを?」
ウィルがそう言うと、ノーファンはおもむろに書架から1冊の本を取り出した。表紙には「2」とだけ書かれており、丈夫そうな紙だったがかなり古い本なのか所々で毛羽立ったり破けたりしている。
「これは?」
「イグナス連邦と呼ばれる土地の歴史を記した書じゃ。お主らの国の皇帝に都合よく書き換えられる前のな」
「え……?」
ウィルとメルは言ってることの意味がわからず同時に声を上げた。
「都合よく書き換えられる……? 皇帝が……?」
「そうじゃ。お主らが知っているかはわからぬが、イグナスに伝わる歴史は本当の歴史では無い。この国の成り立ちは知っておるかの?」
それを2人が知らないはずが無い。
ウィルの通っていた職能学校にしてもメルの通っている魔法学園にしても、それぞれ専門性を持った勉強を行うと言うだけで歴史を含む最低限の一般教養は教えている。そして2人とも成績で言えばトップクラスだ。
『かつてこの地には蛮人が住んでいて、血と暴力の絶えない地だった。』
メルが教科書の冒頭を思い出しながら暗唱し始めた。
『ある時、降り立った天祖がその荒廃したこの地を憐れんで、その類稀なる才覚を用いてこの地を豊穣な地に変えた。』
思い出しながら息を継ぐ。
『蛮人は森に逃げ込み、その蛮人が従えてたという……大きな翼を持つ……獣…………』
メルはそこで不意に言葉を切った。
「まさか……その大きな翼を持つ獣って……」
「そうさ、それが竜さ。そして蛮人とは……」
「あなた方、ユラフタスというわけですか」
ウィルが神妙な面持ちで言った。
「そういう事さ」
そしてノーファンは憮然とした表情でそう言い捨てる。
竜という存在を空想上の生き物と思っているうちは、歴史に出てくる"大きな翼を持つ獣"はそれだけ大きい鳥か何かが昔はいたという程度の認識かもしれない。しかし竜とユラフタスの生活を少しでも垣間見た以上、あの歴史に語られる蛮族と翼を持つ獣は意味合いが変わってくる。
「ただし、早合点するんじゃないよ。先ほども言った通り、あの歴史は書き換えられたものじゃ」
そう言ってノーファンは先程書架から出してきた「2」とだけ書かれた本に目を落とした。
「これは歴代のフォスチアが書き続けて来た歴史書じゃ、正しい歴史のな。1枚の裏表でおよそ1年、今年はもう7冊目になる」
そう言ってフォスチアはおもむろに書物の紙をめくると、上に「312 143」と書かれたページで手を止めた。
「ここからおよそ8ページ、だいたい2年分じゃ。ここだけ記載されてることが多いのは、それだけ色々あったということじゃ。断片的な事しか書かれていなくてな、もっと詳しいことが書いてある書物もあるのじゃが不思議な文字で書かれていて読めんのじゃ。だがこれだけでも、この国の成り立ちはわかるじゃろうて」
そう言ってノーファンはウィルとメルにその書物を読むよう促した。
*
竜の鳴き声にまた驚いて書物から目を離した。
――これが、これが本当なのであれば……
シナーク連邦とは、神の子孫と呼ばれる皇族とは何なのだ?
メルを見ると、同じように「信じられない」とでも言いたげな顔をしている。
「見てはいけないものを見ちゃった気分……」
言い得て妙だとウィルも思った。例えば皇都サルタンでこの内容を大声で叫ぼうものなら、あっという間に公務官、近衛兵と飛んできて不敬だと言って捕まるだろう。教科書のような断片的な書き方ではあったが、この地で何があったかを理解するには十分すぎる。
ウィルは先程見たフレイヤを思い出した。あれは美しかった。だが、美しいからこそ体内に秘める力は凄まじいのだろう。
「わかってくれたかの?」
「私たちはとんでもない勘違いをしていたようですね……」
「仕方のない事じゃ。だが最終的に勝った"彼ら"からすれば、我々ユラフタスは悪者でなければならない存在だったというわけじゃ。そしてこの話を皆が知っているからこそ、年配の者ほど彼の地に住まう者に対して良くない感情を抱くものも多い」
それでか、とウィルもメルも合点した。あの厳しい目線を向けて来た老人も、この物語でしかシナークの人々を知らず、この山の中から出る事なく生きていればわからない話ではない。
「しかしこれを私たちに教えた上で、何をさせようと言うのですか」
「ふむ、そうだったね。だけどそれを話す前にまず昼食にしないかい? 年寄りじゃが腹は減るんでな」
そう言われてウィルとメルは、軽めだった朝餉と空きっ腹であることを思い出した。
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