第12話 逃避行な三人旅

 夢を見たような気がして目が覚めた。

 内容は忘れてしまったが、変な汗を掻いているのであまり気持ちのいい夢ではなかったはずだ。

 決して広くない部屋の中、明かり取りの窓から入る光は随分と明るく、塞がれた窓のせいで薄暗かった室内を照らしていた。

 疲れていたのか随分と朝寝坊をしてしまったようだ。


 横を見ると静かに寝息をたててメルが寝ていた。一瞬なぜ? と言う気もしたが、昨夜の記憶を思い出すより前に、ふとなんとも言えない感情が胸を突き上げた。

 その感情の赴くまま、ウィルは手を伸ばしてメルの髪に触れようとして……


 玄関の戸が開く音がして慌てて手を引っ込めた。

 その音でメルも起きたらしく、目をしばたかせて音のした方を見た。


「あ、おはようございます。今起きたところですか? 朝餉の用意ができてるので良ければ食べてください。と言っても、あれから一日経ちましたけどね」


 朝の陽の光を背に受けて、青い目をした女性はなにやら封書を携えて帰ってきた。

 ウィルは半分寝ぼけている頭でそれを見ながら、昨夜の事を徐々に思い返していった。


 ――特別貨物列車に乗務して襲撃されて、やっとシナークに着いたら軍の人がいっぱいいて、メルの家の前で捕まりそうになって、助けてもらったと思ったら実は俺たちを探してたとか言われて……

 ――ダメだ頭が回らない。とりあえず昨夜この……ラグナさんが言ってた通り、一度ユラフタスの村まで行かなければってとこか。


 そうと決まれば朝飯とばかりに、メルと二人で寝具から出て、ラグナの用意してくれた朝ご飯を食べはじめた。

 なんでもあれから丸一日眠っていたらしい。自分では気づかないが、余程心労が堪っていたのだろう。


 ラグナはと言うと、持っていた封書を開けて中の紙束を見ていた。それもものすごく難しい顔をして。

 あまりの形相にメルが食事の手を止めて思わず話しかけようとしていたが、邪魔しては悪いような気がしたのか結局何も言わなかった。


 食事が終わるとすぐにラグナは出かける準備を始める。


「さて、それじゃイルカラさんとメルーナさんも行きましょう。とりあえず私の村へ、そこで一昨日の夜の詳しい話をします」


 ほとんど着の身着のままで逃げてきたウィルとメルはそのまま出かけるだけだが、メルにはひとつだけ気がかりがあった。


「あの、ラグナさん?」

「なんですか?」

「その、湯浴みできるところってありますか?」


 ラグナはああ、と合点したように頷いた。

 隠れ家にも簡単な湯浴み場はあるのだが、結局色々な事がありすぎて寝具を用意したら2人ともすぐに寝てしまったのだ。


「ありますよ、近くにいい湯が湧くところがあって。近隣の村の者も含めた共同浴場になりますけども」


 ラグナがそう言うとメルは小さく喜んだ。ウィルは仕事柄、湯浴みができないことは日常茶飯事なのでなにも思うところは無かったのだが。


「ところで」


 次に口を開いたのはウィルだった。


「失礼ですがラグナさん。自分やメルと同い年ぐらいに見えるので別に敬語じゃなくてもと思ったんですが……」


 そう言うとラグナは拍子抜けした声で「えっ?」と声をあげた。


「そう、ですかね? 私は冬生まれで今がちょうど17回目の春なのですが……」

「えーと、それならメルと同い年ですね。自分はメルより1年早く生まれたようなのでほとんど変わらないです。メルもいいだろ?」


 メルも文句無しと言った感じで返事をした。と言うより、むしろ同い年の同性の知り合いが増えたのが嬉しいのだろう。小躍りしそうなぐらい嬉しそうな顔をしていた。


 と言うのも、メルの通う魔法学園はあまり通う人が少ない。一時期より魔法の必要性が薄れている現代では、魔法より工業技術の方が重要視されていた。そのため全国各地にあった魔法学園は通う学生が年々減少していき、規模縮小や廃校、他の学校への転換が続いていた。

 その上メルは領主の娘、あまり気さくに話しかけてくれる人も多くなかったのだ。


「では失礼して、長くなりそうだけどもよろしくお願いします」


 そう言ってラグナは頭を下げた。


「あともう一つ」

「なんでしょうか?」

「俺……自分の事はウィル、メルーナの事はメルって呼んで欲しいんです。あんまり本名で呼ばれないからそっちの方が落ち着くので」

「わかりました」


 ウィルもラグナも、タメ口と敬語の中間みたいな会話だった。


「ええと、とりあえずそのラグナの村まではどのくらいかかるんだ?」

「そうですね、途中で協力者がやってる馬車を借りるつもりなので明日の昼頃には着くかなと思います」

「馬車? そんなにお金持ってないよ?」


 口を挟んだのはメルだ、馬車を借りて丸一日も走らせたら結構な金額を取られるのでそれを心配しているのだ。


「大丈夫です、本来は私たちユラフタスの街での移動手段としてのもの…」


 そこまで言ってラグナは一旦言葉を切って、

「移動手段としてのものだからタダだよ、大丈夫」

 とわざわざ崩して言い直した。

 そんなラグナにメルが「それじゃ安心だ」と言ってウィルと笑った。


 だがそうして笑うメルをウィルは複雑な面持ちで見ていた。

 家は召し上げられ突然の旅なのに頼れる親はいない。不安に決まっているはずなのに無理に笑っている気がして、どうにも落ち着かなかったのだ。


 *


 一旦ラグナが1人でシナークの中心街まで行って馬車を借りてきて、色々と準備をしてから関所街を出たのはもう昼近くなってきた頃だった。

 非常戒厳措置の下で夜間外出禁止令は出ていたものの、昼に外に出る分には問題無い。街には乗合馬車も走っているので、馬車が走っていることも不審ではない。いつもより街に元気が無かったのは確かだが。


 しかしウィルとメルは昨夜の騒ぎで手配書が出ている可能性を考慮して、街を出るまでは外から見えないように隠れていなければならなかった。

 万が一手配されていてここで捕まってしまっては、せっかく3人が危険を冒してまで逃げたのが水の泡となってしまう。なので細心の注意を払って行動する必要があった。


 ラグナが馬を操るので馬車の中はぱっと見は無人となる。町を出る際に兵士が検問を行なっておりヒヤッとしたが、シナークの町に物を売りに来たユラフタスだと言って切り抜けた。山で採れる山菜などをユラフタスが売りに来ること自体は珍しくないので、検問を抜けるのは容易だった。


 馬車の座席の下に隠れて少しすると、床下から伝わってくる振動が大きくなった。道が整備された関所街を出て、あまりしっかりと整備されていない道に出たのだ。


「関所街は抜けたからもう大丈夫で…だよ!」


 わざわざ言い直したラグナをよそに、ウィルとメルが窮屈だったとばかりに馬車の座席の下から這い出てきた。関所街を出るまでそこまで時間がかかったわけでは無いが、やはり無理な姿勢は身体に堪える。


 主要な街道は道の整備もしっかりしているが、今向かっている道、国の東に位置する白露山脈方面への道は途中に点々とある集落の為の道で整備はほとんどされていない。ここからしばらくは整備されてないガタガタ道での馬車行だ。


 *


「そう言えばラグナは昨日はどうやってシナークまで来たんだ?今みたいに馬車ごと来たのか?」


 ふと気になってウィルがラグナに尋ねた。

 馬車に揺られはじめてから4時間程度経って、年が近いというのもあってか3人はあっという間に打ち解けていた。

 ウィルもメルも見ず知らずの他人と話す事が多い為というのもあるが、聞くとユラフタスの村はあまり人がたくさん住んでいるわけではなく、ラグナにとっても同年代の人と話すことが嬉しいのだという。


「昨日の夜はね、竜で来たのよ」

「竜で!?」

「乗れるの!?」


 ウィルとメルが同時に声を上げた。

 ちなみに乗れるの?と聞いたのがメルだ。


「空の高いところからメルさんの家に近づいてね、縄を切って兵士たちを眠らせて。その縄を切ったり眠らせたのは全部フレイヤなんだけどね」

「そういえば……」


 ウィルが顔を曇らせながらためらいがちに口を開いた。あの夜、縄を持っていた兵士が火だるまになったのを思い出したからだ。


「あの兵士たち、全員無事なのか?」


 そう聞くとラグナが意外そうな顔をして答えた。


「え? ああ、そういえば兵士で1人だけ違う魔法をかけたかな。あれはね、幻覚魔法よ。あの1人にだけ火を纏わせたように幻覚をかけて、同時に催眠魔法を打ち込めばさも火だるまになって倒れたように見えるってわけ」


 ラグナが得意げにそう言った瞬間、メルが目を輝かせながらラグナの方を見た。


「幻覚!幻覚魔法なんて使えるの!? しかもあれだけの規模の!?」


 メルが興奮するのも無理はない、魔法の中でも高位とされる幻覚魔法など使える者はほとんどいないからだ。


「私じゃないよ、フレイヤがね」


 そう言いながらラグナは違う違うと手を振っている。


「フレイヤ?」

「そう、私の盟友の竜の名前よ。濃い青色で陽が射す森の中にいる時なんかそれはそれは美しくて!」

「すごい、見てみたいなぁ。そういえばあの縄が切れた時、確かに焼き切れた感じだったから……あれもその、フレイヤって竜?」

「そうよ! あんなに狙って焼くなんてフレイヤじゃないと出来ないんだから!」


 ラグナがパートナーの竜の話を目を輝かせながらメルと話しているのを聞いて、本当に心の底からそのパートナーのフレイヤという竜が好きなんだなとウィルは思った。


 聞くとラグナの村に着いたらそのフレイヤと会わせてくれるそうなので、その時は一言ありがとうと言わなければなと密かに心に決めた。フレイヤは命の恩人、いや恩竜? だから礼儀としてだ。

 あとは好奇心もあった、神話や物語でしか出てこない竜という存在をこの目で一目見てみたかったのだ。


 でもその前にウィルには聞きたいことがあった。


「ユラフタスの人って魔法は常に使うのか?」


 ウィルがそう聞くとラグナが意外そうな顔をした。


「え、あなた達は使わないの?」


 使わないのだ。

 どちらかといえば衰退している魔法を好きで勉強している酔狂な人などそう多くはない。魔法学園に通う人もだいたいは魔法を使う学者や研究者、もしくはオルトゥス魔法師団に入りたいというのが理由だ。


 100年前ぐらいまでは確かに、生活の何もかもが魔法で成り立っていた。

 火を付けるのも熾すのも魔法、水も魔法。荷物の運搬や木材の加工、武器、戦争に至るまで。

 だが魔法は先天的な魔力量が多いほど大魔法が使えたので、いつしか魔法が使える者と使えない者とで格差が生まれてしまった。


 そしておよそ50年前に、俗に"動力革命"と呼ばれる出来事が起きた。ある国のある学者が、蒸気機関の発明に成功したのだ。

 先天的な魔力量に依存しなくてもいいという事実は、特に魔法の使えない者達を熱狂させた。

 当然魔法使い達は反対したが時勢に逆らうことはできず、遂に世界は魔法への依存から脱却したのだ。


「生活でほとんど魔法は使わないな。無くても困らないし」

「私も好きで学んでるだけで、これで領主の娘って立場じゃなかったら普通の学校行くわよ」


 ウィルとメルが揃って口にした。


 *


 太陽が山の向こう側に落ちて辺りも暗くなってきた頃、簡易的に宿泊ができる「駅逓」と呼ばれる場所に着いた。

 遠くの街に行くには鉄道利用が普通だったウィルには、馬で移動する時代に用いられた駅逓は新鮮だ。


 "こうした駅逓は移動手段として馬や馬車が用いられた頃に主要街道から支道にいたるまで、街と街とを繋ぐほぼ全ての道に作られた。

 今でこそ長距離移動や郵便荷物は鉄道に取って代わられたが、新暦760年に鉄道文化が花開くまでは馬や馬車での移動が主流であった。そのため各街道には駅逓が作られ、簡易的な宿泊ができるようになった。大きい街道に作られた駅逓の中には、やがて食事や馬の世話をする厩舎などが作られた場所もある。"


 面白かったので丸暗記していた学校の歴史の教科書の一文が、ウィルの頭の中で読み上げられていた。

 物珍しそうに見ていたらメルとラグナに「逆に使ったことないの?」とからかわれたりしたが。


 簡易的に宿泊できるとはいえ、この駅逓はこの先のいくつかの集落に向かう人たちのもの。公共の建物であるため整備はされているが、人が常駐しているわけでも無いので鍵も無い。当然食事も無くただ寝るだけだ。

 ラグナは馬車から布袋を持ってくると、関所街を出る前に買ったと言う弁当を取り出した。聞けばウィルとメルが身を隠してた時に立ち売りの弁当屋から買ったらしい。


「これ温めた方がいい?」


 春とはいえ国の中では北方に位置するこの辺りは日が落ちればそこそこ寒くなる。メルがラグナに声をかけたのも、せっかく買ってもらった弁当が冷えてしまっていたからだった。


「買った時は温かかったからその方がいいのかな」

「わかった!」


 そう言うと3人分の弁当の入った袋に手をかざして目を閉じた、やがてメルの手のひらに赤く魔法陣が構成されていく。

 少しすると弁当から僅かに湯気が出てきて、美味しそうな匂いが漂ってきた。


 正直なところご飯という気分では無かったが、いい匂いを嗅ぐと腹が減るのは人間の摂理。

 盛大に腹を鳴らして笑われ役を引き受けたのは、温めるために一番近いところにいたメルだった。ウィルとラグナとで2人で笑ってたものだから少しふくれていたが。


「いやごめんって、でもこういう時便利だな魔法ってのは」

「そうよ敬いなさい?一応シナーク魔法学園主席よ?」


 そう言ってメルは鼻高々、先ほどのふくれてるのはどこへやらだ。ウィルもメルが通常運転なので安心して夕餉にありつける。


 さて弁当はと言うと普通の鮭弁当だ。シナークの駅でも売っている。

 弁当箱にご飯に焼いた鮭が乗っていて、端には野菜が少しだ。だが「昔より米がいい」「弁当に野菜があるなんて」と街のお年寄りが口を揃えて言っているのをウィルは聞いたことがあった。


 昔から弁当自体は各地で売っていたという。旅の途中での食事は昔からの課題であり、どれだけ便利になってもさらに便利さを追い求めてしまうもの。そのため各街道の関所街には必ず弁当屋があり、旅人や行商などの腹を素早く満たしてきた。


 さてこの弁当、鮭自体はシナークの街の港でも水揚げされるものなのだが、米や野菜は遠くの穀倉地帯から持ってきている。

 かつてはそれこそ荷馬車が何日かかけて運んできていたが、40年ほど前にシナークに鉄道が敷かれてからは穀倉地帯から1日で運ばれてくる。


 日持ちする米はともかく野菜は物によっては口にすることすら難しく、鉄道が出来て食生活が大きく変わり大歓喜だったと言う話をウィルはシナーク貨物駅の上役から聞いたことがあった。


 夕餉を食べ終えた3人は翌日のことを軽く話してから駅逓で寝床についた。

 ラグナとウィルは慣れているのかすぐに寝息が聞こえてきたが、メルはなかなか眠れなかった。


 ――お父さんもお母さんも皇都に行ったっきり、家に書き置きもできなかったな。帰ってきたら心配するかな……

 ――ユラフタスの人たちって街に出る時は行商人として行ってるみたいだし、もしかしたら皇都に行ってる人がいたら何か聞けるかもしれないな……

 ――いや、1人じゃないんだ。ウィルもいるし、ラグナさんもいる。これからどうなるのかわからないけどきっと、きっと大丈夫……


 そんなことを考えながら2人の寝息を聞いているうちに、旅の疲れもあってかいつのまにかメルも夢の中へと向かっていく。


 外は月夜、夜啼き鳥の鳴き声が遠くの方から僅かに聞こえている。静かな夜だった。

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