昨日同様、見事な夕御飯だった。難有ありがたい事におかずは小鉢を除いてみな変えて呉れた。海の幸に山の幸、肉も果物もあって、見映えからして美味い。しかし、同様であるだけ、やや感動は抑えられた。重ねて考えなくてはならない問題あって、感動は減衰した。

 問題というのは東浪見さんのことだ。東浪見さんのことを判断するにあたって、第一に僕が彼女を如何いかに思うか、彼女の中の僕の立ち位置は何処どこであるのか、を同時に考えなくてはならない。コインランドリーで出会った第一の彼女が眼前に現れる。ベンチに並び、二人して自動ドアに濾された快適な夏を前に置く。自然を装い相槌打ちつつ彼女を見下ろすと、小説を真剣に仄仄ほのぼのと語る目が彼方あちらを向かれてある。工夫しなければ第二の東浪見さんは思い出せない。第二の東浪見さんを勘定に入れなくては、解を誤る。レストランでパスタを食べる様子をつぶさに観察することは無かった。ただ、瞭然りょうぜんと活動する豊麗線と鮮烈たる歯茎が視線を集約させた。第二の彼女が笑う際、目尻に皺が在ったかは、皆目思い出せん。

 第一印象こそ重要とするげんがある。これに異論無く、多くの場面では情理となるだろう。しかし、理外の理というものも必ず存在し、僕に当たった。欠けた月も又満ちると知るから、半月の夜を惜しむことは無い。ばかりか、却って風情を与える。しかし、欠ける事も満ちる事も無く、決まって夜半に現れ朝焼けに滅される半月を、かつて天頂に仰いだハリボテ満月を知る者は、どれほどの喪失の念をいだくか。半月を真の姿と知ってハリボテ満月を見付けたのなら、別の感じがあっただろう。満月も良いが、半月の方が良いとさえ思ったか知らん。

 連絡先の交換も昼食の同伴も東浪見さんの発案だった。再三「次、どうします?」と聞いたのも彼女である。僕が見初められた訳では無い。恋愛が面倒で、しかしまた、恋愛をしなくてはならないと、何にとは言わないが、確かに決められた僕と同類だろう。僕らは全く基盤をいつにしない。サークルも学校も、暮らす地も遠い。共通の基盤を持たない男女には、恋愛の他は何物も与えられない。愛も恋も持たない僕らは、それでも恋愛のレールを離れることを躊躇う。

 数日前、卒論を書く為の論文を、居間のソファに転がり漫然と読んでいた折、先輩の三鷹さんから、今晩ご飯でもどうかと電話が入った。尋常ならざる事と跳ね起き、嬉々として家を出た。土曜だったから三鷹さんも私服で居た。メールの遣り取りこそあったが、会うのは三月以来だった。飲みに行きたいと誘うのはいつも僕の役目だった。先輩からは誘い辛いと言い、加えて誘う手間を避ける節のある人だ。感染症対策として会食は自粛してくれろ、とお上が言えば自己の抑制を図り従うことを美とする僕らが会うなど、尋常ではない。

 近況報告で間を繋ぎ酔いが回るのを待つ。いよいよ話されたテーゼは「童貞は卒業までに捨てろ」だった。分かりきった陳腐な命題を、今更力んで言うかと驚き、何故それを切り出したのか探った。何でも昨夜旧友の女性と話している際、自分が意中の女性にアピール出来ないのは童貞が原因しているのではないか、と打ち明けたらしい。三鷹さんに意中の女性が居る事さえ聞いていなかったが、そこには触れてやらなかった。旧友の女性から具体的にどう言われたのかは知らんが、どうも二十三で童貞は何かある、と警戒されるらしい。

「あの、三鷹さんがたとえ童貞じゃなくても、その意中の女性と今までの女性は別なんで、自分から行くのが怖いのは、変わらないと思うんですけど。それを童貞のせいにするのは、逃げにも思えます」

「うーん。痛いとこ突くなあ」と苦笑はにかむ。

「でも、やっぱりそれとは別なんだよね。童貞ってどうしても、種の雄としては劣っているわけだし」

 僕の手荒い反論は的外れの様だが、三鷹さんの言い分も珍しく要領を得ない。何がそこまで三鷹さんにショックを与えたのか推理しなければならなかった。パートナーを切らさない人を獣的だと見物し、あれは違うとして来た。かかる人とかかる時ぞ、果たそう。それが美であり善であり理であり人だとして来た。そう導いた三鷹さんが何故?

 女友達に手を衝いてでもさせて貰えと言う。僕ら自身、童貞は愚であり劣であり、百害あって一利なしと認めていながら、それでも真当にだけは立っている積もりだった。半ば個性とさえ思ってきた。好きでもないのに付き合う輩を見て、そう成れないくせに、ああは成らないと誰にでも無く己の怠慢から誓い、思い違いには気付いてはいると言い聞かせながら、卑しむ心持を作った。これが己であると認めてやり、嘘無く生きる積もりでいた。だから今更なのだ。今更童貞と笑われても、揺らぐ筈も無いにもかかわらず、沈みかかっている。

 訳は直ぐに勘付いた。相談した旧友の女性というのが、自分の事を理解してくれていると信の置いた人だった。しかし、童貞の一点において拒絶のニュアンスを僅かに含まれた非共感の文言が三鷹さんを傷付けた。実際は何と言われたのかは聞かん。意中の女性についても、聞いてお呉れと素振りを見せない内は決して詮議立てすることは無い。僕は今後も記者クラブへ入ること無く、後輩であり友でありたい。

 その一件が無くとも、僕はこの童貞を是非にも捨ててしまいたいと思っていた。それにもう卒業も真近だ。だが、時節柄関係無く出会いなどありはしないのに、この状況であるから猶更なおさらだ。諦め半分の境地には無理無く辿り着き、それを無念とも思わずに居た。そこに遠慮ない付き合いのある先輩から「直ぐに捨てろ。でなければ痛い目に合う。手を衝いてでも貰ってもらえ」と言われれば、水を打たれた心情にもなる。

 この旅で人に会うとは思っていなかった。「次、どうします?」と再三聞かねば済まない女だ。好きでは無い。コインランドリーで隣を見下ろして居た彼女、パスタを頬張る彼女、並んで電車に揺られる彼女、理想郷で海風に目を細める彼女、駅で手を振り別れた彼女、どれを取っても悪印象は無く良が立つ。しかし、いつでも真先に浮かぶがマスクに覆われた彼女では、共に居ても自分が罪悪を犯している積もりに成りかねん。

 僕と東浪見さんは協同して電車に乗った。恋愛のレールは敷かれてあるが終点は分からない。もし車掌が居るのなら、愛も恋も持ち合わせない僕らは隠れなければならないだろう。電車は勝手に進む。いや、進めないのであれば、降りる他は無い。折角乗れたのだから降りるのは惜しい。手を伸ばす気にさえなれば、きっと掴める半月だと、互いが互いを定め甘く見るも、ままよと差し出す覚悟も無い。

 旅は明日が最後。明日を超えれば又会うことは無い。終点はもう地平線に見えてある。何事も無く、男女から赤の他人に戻る。乗るだけ時間コストも心理エネルギーも損をした。久方振りに電車へ乗ったが、やはり恋愛は面倒だ。愛も恋も、振りをしている内は面倒しか実らない。一足飛びで恋を発見出来ていた高校時分は何だったのだろう?

 今夜は酒が進まない。一合飲んでも酔っている気配が無いからめた。フロントへ電話を入れて下げて貰う。風呂へっても昨日と変わって人の目が気にならない。親子連れも居て幾らか賑やかだったが、なみする同然気にもかけずに湯に浸かる。しまった、また旧館の風呂に入っている。どうせ同じ湯なのだから気に掛ける必要もないが、新館の風呂も一目見たかったと勿体無く思うも、もう一遍入り直す程では無い。部屋では布団が一組敷かれてあった。座卓も隅に寄せられている。リュックからヘッドホンを取り出し、めくらず布団の上からどっかと寝転ぶ。慣れない部屋で手を遠く遣るのを気味悪く感じ、大字でなく腕組姿勢を選択した。

 ミュージックプレーヤーのマイリストをランダム再生させてゆく。歌手に続いて歌うも、寝ながらでは囁きになる為聞こえて来ない。ラブソングを歌っている間の方が、真性の恋心を宿している気がする。長渕剛の『交差点』に、対象無く切に「行かないで」いだく。

 歌が変わる。サカナクションの『INORI』。詞は無くただラララと詠う。祈りとあるが、雅楽の如き幽玄も、教会に鳴るオルガンの如き尊大も持たない。テクノミュージックで支えられている。依然、僕もラララと歌う。歌って初めて祈りと成る。どこにも属さない。どちらの神にも捧げない。己の丈をただ一意専心に、当て無く放出する祈りだ。

 また変わる。二度変わるのなら三度目もやはり変わる。幾ら変わっても元の歌へは行き着かない。巡ることなく変遷し続け、終いには大字になっていた。こちらの方が歌い易いのだ。聴き疲れてヘッドホンを外す。首が軽い。頭に何を歌っていたか忘れた。たった今何を歌っていたのかさえ、プレーヤーの表示を見なければならない。あ、また変わった。

 夜更けが始まる。旅は明日が最後だ。せめての成果をと、座卓を隅から引っ張り出し、キャンパスノート、『草枕』、灰盆を置いた。

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