部屋に戻らないで、又フロントロビーに来た。消灯されていても自動ドアは生きていた。扉の前に立つという行為が、夜風に触れるところまで一体となっている事に、うっとりする。

 無音ではないが、静かだ。かわずが鳴いている。知らない虫も鳴いている。虫の鳴き声、田舎を表す陳腐な現象が、体験を通じて清新な実感に変わる。

 アスファルトを踏むタイヤの音がしない。レールを擦る車輪の音も。だから静かに思うのだ。東京で暮らしている内は、その音の存在と生活は不可分だった。今まで五月蠅うるさい環境の中で暮らしていた事に気付いて来なかった。

 少ない街灯の中で、街そのものが影となってコントラストを作る。坂を下る足は軽快に回る。浴衣にスニーカーも悪くない。はだけて走ると、体の中に迄風が抜けて悪いものを吹き取ばしてくれている様だ。声を出さぬ様に、こらえているのも面白い。

 ぽっかりと明るい建物を見付けた。コンビニだ。身嗜みだしなみを整えてから入った。缶チューハイを二本、スナック菓子を手に取り、店員に百二番とマルボロを注文した。煙草は裾に入れ、他は服と一緒にエコバックに入れた。

 帰りは上り坂、自然と空を見た。星がある、と言ってしまえばそれまでだが、星は過去数千年をさかのぼってもその配置を変えない。三つの点の並びを人の顔だと認識できる人間にとって、整然と並ぶ星に思いを馳せることは必至だった。

 天を星の配置からいくつかの領域に分け、それを星座と呼んだ。星座に神話を当て、星座から神話を紡いだ。科学や数学は、宇宙を読む為に築かれた面を持つ。星の為の言葉は多い。文学者はこぞって夜空を己の言葉で言い表し、所有しようと願った。

 夏の夜更けを覆うのは秋の星座。数刻で季節は移ろったのだ。主役の月を欠いた晩、坂の頂きを占めるは秋の四辺形、ペガスス *だった。二等星と三等星だけで構成される、弱く儚くても秋の図形の筆頭である。

 ペルセウス座流星群の極大 *を一週間過ぎている。今年は観ることが叶わなかった。

 僕は天文研究部に所属している。今年は感染症の流行で年度内の活動は期待できそうにないから、所属していた、とする方が適しているかもしれない。流星観測をメインに活動し、主要な流星群の観測にこの三年間全て参加し、僕も多くを主催した。それだけの情熱を持っていた天文に、もう半年以上触れていない。ペルセウス座流星群の極大日を忘れることが出来ていた事実は、自身のアイデンティティの一斑いっぱん没却ぼっきゃくとして、僕を動揺させた。坂半ばで足が止まり、それでも引き返して落ちることなく、輝点配列に繋がれた思い出のページに後ろ髪引かれる。

 部屋で一冊のキャンパスノートを見付けた。ここへ泊った人たちが残した雑記の様だ。訪れた観光地への感想、仲居さんらへのお礼や、ご飯が美味しかったですと感動の弁も残されている。

 僕も何か書こうかしら。夜風に当てられ目が覚めたおかげで、再び手持無沙汰になっている。しかし、今日は小説を少し読んだだけで、何もしていない。例にならってご飯の感想を寄せてもいいが、気の利いたことを書こうと息巻いた為に、それでは気が済まなくなってしまった。

 僕も小説を書いてみようか。人間だれしも、一生に一篇は面白い小説を書ける、と聞いたことがある。その時はコントのトリックとして持ち出されていた言葉だったが、僕はその言葉に不思議と納得していた。

 書き出しが重要となる。井伏鱒二の『山椒魚』しかり、川端康成の『雪国』しかり、夏目漱石『吾輩は猫である』しかり。大きな岩に打つ切込み次第で、岩がどの様に割れるかはほとんどが定まる。そんな具合で、書き出しが肝心になることは予想できた。

 その為には何について書くか決めねばならない。座卓を隅から戻してやった。決まらない為に、一文字も書けない儘、罫線を睨む。

 題は後から決めることにした。


   未題


 ふと目を開けると異様な光景があった。己は明るく照らされているのに、眼前は、暗い青が上から下へグラデーションを付けるように、次第に深まり黒くなっている。そこへ小さな光の粒が幾筋も過ぎ去っていった。意識が明瞭になるにつれ、タタンタタンと私を揺らす音が聴こえだした。眠っていたのか。急いで腕時計を確認する。目的の駅まではあと三十分ほどで着くようだ。

 しかし、記憶のある限りではこのような電車に乗った覚えはない。内装は東京駅で乗ったものとそっくり同じであるが、人の気配がまるでない。同じ車両には、すっかり寝入っている私の連れたちと年増のご婦人が一人いるだけである。隣の車両の様子はうかがえないが、隣だけ満員ということもないだろう。

 外も明るかったうえに、これほどわびしくはなかった。車窓から、暗く広がる面に点々と民家が見える。夜凪よなぎに浮かぶ漁船のようだが、揺蕩たゆたう不安定さはない。竹取のごとく、ぽっかりと明るく生えているとした方が適した詩になろう。

 昼にもなればそこらの田畑に人影も出よう。楽し気に走る子供もいよう。むしろ列車内の人気のなさの方が、明るいだけに不穏である。不穏を恐ろしい速さで運ぶ様は、なお不穏に見えよう。中におるうちは知らずに済むだけ幸せである。そうした長閑のどかな闇を眺めていると、じき飽きた。

 人は一貫的であることを是とする。一貫性ある者は芯を持っているかのように見える。芯あるものから真心が生まれる。一貫した人物は信頼を得、親しまれよう。表向きはそうして一貫性が好まれる。事実は、断続的なものは先が読みやすい。ひいてはその者が何を言うか、何をするかとおびえる必要はなくなる。

 また、効率的である。貫徹すれば無駄がない、寄り道がない。通ったものすべてが結果に繋がっている。文明は効率的であることを是とするばかりか、非効率であることを愚と定め、排斥の念で圧迫した。物を右から左に運ぶに、田畑を潰し、山に穴を開け、生活を移させ、一直線にレールをくことを効率と呼んだ。都会と繋がるレールは、こんな山の中にも及んでいる。

 電車の減速に合わせ、連れの肩がのしかかる。それをぐいと押し返すと駅が見えてきた。山間やまあいの駅には当然誰もおらず、白い電灯がぽつぽつとかろうじてホームを照らすだけであった。婦人が下りていくのと入れ違いに、師走の熱が足元を冷やす。車両に残ったのは我らだけになった。


 次に停車した駅で降り、宿舎へ向かった。

 この三年間何度も訪れすっかりなじみとなった宿舎は、もとは中学校であったらしい。まっすぐ伸びる廊下の幅には既視感を覚えるも、一様に白く明るく塗られた様は、やはり学校とは異質である。部屋は三つのベッドと向かいの壁に打ち付けられた机があるだけの、質素な作りで、それが四階までずらりと並ぶ。我らはそれぞれ別室を与えられている。部屋に荷物を置き食堂へ向かおうと外に出たところで、連れの一人とまた会った。連れは同じ天文研究部に所属する部員である。

 今晩我らは、ふたご座流星群のピー *に合わせ、星を観にこの山奥の宿舎までやってきている。諸君は都心で見ることができないにしても、そこまで僻地へおもむく必要はないと考えるやもしれぬが、それは違う。そう考える者は本当の満天を見たことのない者である。

 息を吐けば白く漂い、空気は冷たく乾燥している。地平線に街明かりは一つも見えず、あるのは黒と呼ぶには鮮やかで、青と呼ぶには暗すぎる、藍とも紺とも呼べないが、濃紺を何度も煮詰めしてようやくできるほどの、濃く深い青が全天に広がる。夜空が真黒く見えるのは、街明かりが星を隠すためである。月はとうに沈んでいる。見上げれば星だけがある。星明りだけでうっすらと影さえできる。それが満天だ。



 これだけを書き切ってしまうのに時間をかけすぎてしまった。丑三うしみつに入り、もう寝なければという使命から電気を消して、布団へ潜った。空調のモーター音だけが聞こえてくる。話の続きを考える脳は簡単には収束してくれない。ああしよう、こうしよう。これはいい話になりそうだ。

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