未完成の絵の完成

忍野木しか

未完成の絵の完成


 キャンバスはいらない。

 楠田慎は水道の蛇口を捻った。紙コップに流れ落ちる水を注ぐと、丸筆の先を浸す。机の上に無造作に並べられた白いチラシ。慎は艶やかな紙と紙の隙間を適当にセロテープで固定した。

 ツギハギの白。叩き付けるように丸筆を押しつけた慎はスッと腕を横に滑らす。白い紙に水が伝う。透明な線は紙の表面を湿らせ、セロファンを滑る。

 チラシの上の色のない絵。構図のない表現。筆を握る慎の頭の中に作品が作られていく。だが、その絵は何時迄も完成しなかった。いつの間にか乾いた毛筆。滑らし続ける指が震える。頭の中で無限に彩られていく絵。それでも完成しない絵。

 何かが違う。

 慎は乾いた筆を投げ捨てて頭を抱えた。いつの頃からか彼は、自分の絵を完成させる事が出来なくなっていた。

 美しく彩られたキャンバスの並ぶ壁際。未完成の作品の数々。慎はフラつく足で一つの絵の元に歩み寄ると、それを破った。いつか完成させることが出来ると信じた幻想。打ちひしがれた彼は怒りを指先に込めて絵を引き裂く。破れる紙の振動が生々しい。乾いた絵の具の割れる音が骨を伝って鼓膜を震わす。

 慎は紙を破いた自分の両手を見た。細長い指。その十本の指を未完成の風景画の乾いた表面に押し付ける。力を込めると紙の残骸が拳に残った。慌ててそれを投げ捨てた慎は中央の机に移動する。何かが掴めた気がしたのだ。

 絵の具を用意する間も惜しい慎。バケツに水道水を汲むと腕を浸す。ツギハギのチラシの前に立った彼は、中指の腹を白い表面に押し付けた。指に伝わる紙の質感。知っているはずの感覚を新鮮に感じる彼。そのまま指を滑らせて未完成のその先へと頭の中の絵を繋げてゆく。

 だが慎は、やはり完成の一歩手前で止まってしまう。何かが足りないのだ。構図のない絵の終着点が分からない。ツギハギの白に透明な絵。これ以上何処を彩ればいいのか慎には分からなかった。

 ふと、視界の端に映る風景画の残骸。慎はおもむろにその切れ端の一枚を拾い上げた。ひび割れた赤と緑。宙を舞う青い粉。既に彩られた紙クズに、無くしたパズルのピースを隙間から拾い上げたような感覚を覚える。慎は夢中になって絵の残骸を拾い集めると、チラシの上に無造作に繋げていった。

 ツギハギに重なる残骸。最後の仕上げに慎は、濡らした指で絵とは呼べない絵を滲ませていく。

 やっと、完成だ。

 達成の余韻に浸る慎。満足げに頷いた彼は完成した絵を破いた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

未完成の絵の完成 忍野木しか @yura526

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ