第50話 -3
「大変申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
変に裏声を使わず、かといってふてくされたような声は出さず、ただ淡々と反省してるような空気を出しながら、頭を下げる。
決して怒ってはいけない。体を巡る感情のまま口を動かせば、火に油。鎮火するのを待つのが賢明だ。
「…………………………………」
もう何言ってるかわからない。日本語を喋ってるのかすら疑わしいクレームを、頭を下げ続けて耐える。
謝罪は頭を下げる時間が長いほど、誠意があるものとされている。便利な勘違いだ。
客が視界から消えるまで頭を下げて、やっと表をあげる。
「お疲れ様っス」
吐き気が残ったまま、気持ちの切り替えが出来ないまま、自動ドアをくぐり、中指の第二関節を叩きつけ、ノックをしたスタッフルームの扉を開けると、そこには予想に反して、あるいは覚悟を裏切るように、女子高生ではなく女子大学生がタイムカードを切っていた。
「あれ、神宮寺は?」
僕からしたら前期の大学一年生なんて、高校生と変わらないと思うが。
「なんか急用できちゃったみたいで、変わってくれって渋々頼まれたんス。こんな顔文字と一緒に」
「はぁ………」
高校生に頼まれた大学生は、自分のこめかみを指で押し上げ、眉を顰め、ギリシャ記号のω《オメガ》みたいな口をする。どうなってるんだその口。
顔芸という新たな特技を知りつつ、明日には忘れていそうだと思いつつ、ロッカーを開ける。いつまで家賃滞納しているのだ貴様はと、引き取り手が中々見つからないタバコに嫌味を思い浮かべつつ、その隣りに荷物を置いて、私服を脱ぎ制服を取り出す。
さすがに暑くなってきたから下に制服を着る事なんて自殺行為はせず、今年もスタッフルームで制服の袖を通す時期が来た訳だ。
「……………センパイって、昔からそーゆーとこあるっスよね。良いところでもあり、悪いところっス」
「何が?」
「いや自覚無いならいいんスよ?今回ばっかしは自分が得するだけなんで」
「…………………………」
神宮寺とチェンジで少し喜んだが、こいつもそこそこ面倒くさい事を忘れていた。仕事ができるから誤魔化されていた。
「おら。タイムカード切ったんなら、さっさと働いてこい。給料泥棒だぞ」
「ういーっス」
無駄口を叩く璃隠に注意をしつつ、サボり癖が着く前に芽を摘む。璃隠は別にサボったりシフトをすっぽかしたりした事は、長いバイト歴のうち2、3回で、(見た目の割には)真面目に働いてるので、強く言う必要は無いが、念のため。
甘やかしてると、どこぞの後輩のようになるからな。
「………………ふぅ…………」
制服を着ると身が引き締まる、なんて職業病めいたチートスキルは持ってないが、スイッチが入るのは事実。新人の頃のように頬を叩いたり、ご褒美を用意せずとも数時間ぶっ通しで頑張れるのは、経験による慣れだろう。
でも、順応力が必ずしも良い方向に進むとは限らない。それこそサボり癖とかの悪い癖もつくだろう。
交通事故を起こすタイミングは、運転に慣れ始めて油断した時が多いらしい。
「………よし…………………」
僕も気をつけなくては。
「お疲れ様でした。あとは僕がやります」
「ありがとぅ。お先失礼するね」
パートのおじさん(年齢的にはお爺さん)に挨拶して、レジを代わる。とは言えレジに来る客などおらず、スイーツを物色する女子中学生と、裏から飲料水を補充する女子大生ぐらいだ。
丁度出たタバコは前に寄せて、ホットスナックは、…補充しなくて良さそうだ。
「…………………………」
客がいる手前ちゃんとした掃除は出来ないし、品出しか陳列でもやるかと、レジを出て商品棚の前に立つ。
しかしながら暇な時間帯というのは仕事の奪い合い。暇を持て余し、暇を潰すのも中々の苦痛であるという、働いた事のある人なら誰しもが通る道に直面する。
陳列する必要がほぼ無い棚に手を伸ばし、下手したら小学生でもできる移動作業を行い、労働に見合った報酬を得る。
「補充終わったっス」
「んー」
仕事ができるのは、それはそれで大変だ。暇な時間を増やしてしまうだけだから。
本日のご褒美を決めた女子中学生がレジに向かったので、それに合わせて僕もレジに入り、会計をする。
「袋お付けしますか?」
「お願いします」
スマホをいじりながらの会話にイラつきを覚えるほど短期では無いが、性格の悪い僕はポイントカードとかスプーンの有無まで聞きそうになって、寸前のところでやめた。
「ありがとうございました〜」
こんなしょうもない事が積もり積もって、回り回って、巡り巡って自分に返って来そうだから。
情けは人の為ならず。人の為じゃなくて自分の為にやるというのなら、自己満足や身勝手で行った事も回ってくるだろう。知らんけど。
「暇っスね〜」
「暇だな」
「しりとりでもするっスか?」
「小学生か」
「だって暇なんスもん」
それは僕も同じだ。
特にやる事がなく、レジに立ち尽くす事が仕事になり、即ち雑談タイムという奴だ。
「大学は慣れたか?」
「んー、ぼちぼちっスかね〜」
「まぁそんなもんだろうな」
大学が始まって数ヶ月しか経っていない中、友達が出来れば十分、ゼミに馴染めれば上々、環境に順応したら上出来、そんな人は一握りだが。
とは言え大学生の夏休みは始まるのこそ遅いが、高校とは比べ物にならないほど長い長期休暇が手に入る。もちろん大学によって異なるだろうが、僕らの大学は2ヶ月弱もある。短期バイト入れないと暇で暇で仕方なくなる。
「困った事があれば聞け。単位とかゼミの課題とか…」
自分も頼りにした先輩がいるから、つい先輩ぶって、調子に乗ってそんな事を口にした。
「もちろんバイトの質問でもいいし、一人暮らしのアドバイスでも構わん」
傷口を塞ごうとして、傷口を増やしてしまう。
「じゃあ質問なんスけど………」
「おう、答えられる範囲なら答える」
「センパイ、彼女出来ました?」
「………………………はぁ…………?」
あまりに予想外な質問に、僕は思わず
「やっぱいるっスよね〜。こんなに毒されちゃって…………どこの女っスか?大学っスか?それともコンビニ《ここ》っスか?」
「待て待て待て待て……どうしてそうなる……。僕は付き合ってる人なんていない」
「……………そうなんスか?いや、でもそれでこんなんにはならないっスよ……」
「こんなんってお前……」
曲がりなりにも先輩に…。
「確かに女の匂いはしないっス。いやでも僅かに匂うし明らかに、何か強い影響があったとしか…………」
それで、恋人ってわけか。
「どこのどいつっスか?先輩を壊したのは」
「ちょっと落ち着け。……どこをどう飛躍したらそんな発想に行き着くんだよ。訳がわかんねぇよ」
確かに強い影響はあった。しかし事実がぶっ飛び過ぎて、これはこれで疑わしい。
「やっぱりユーセンパイっスか?あの雌豚が誘惑したんスよね?顔可愛いしスタイルいいし、平静を装ってベタベタとボディタッチでもしたんでしょーね〜」
「…んな訳ねぇだろ」
あながち間違いでもないが。
的外れとも鋭いとも言い難い女の勘に、一瞬でも反応したらさらに面倒だと、思考をフル回転させた僕は、
「残念ながら興味ねぇよ。男子大学生にあるまじき関心の無さですよ」
「…………ふーん。そぉっスか」
事実を伝えると、それはそれでご不満な表情を浮かべる璃穏。じゃあどう答えろってんだよ。
「そーゆーお前は、彼氏でもいるんか?」
「げ、でた。バイト中の暇つぶしで強烈な右ストレートとスリップダメージ与えてくる系質問」
「僕は既にボコボコにされたんだ。不意打ちとダメ押し食らってんだお前も吐け」
「そうだ吐き方教えて下さいっス。こう、喉の奥に手ぇ突っ込むんスよね?ちょっとやってみてくださいっス」
「話題をすり替えるな。まぁ、……物のついでに今度教えてやるよ」
「いましてくらはいっふ《今して下さいっス》」
「……………………………」
僕が手を突っ込むのか?璃穏の口に?馬鹿じゃないの?
目の前には口を大きく開き、心なしが舌を少し伸ばして、餌を待つ犬のような後輩の姿があった。変な誤解が生まれるからやめてくれマジで。
「バカしてねぇで仕事しろ仕事」
「あいたッ」
以前のバイトのように、前髪を少しめくりおでこを露出させ叩き、デコピンならぬデコペチをし、「もう話す事はない」と言わんばかりに、僕はレジを後にする。掃除でもしよ。
「ちな、いないっスよ自分も」
「あっそ」
社交辞令というか、質問から逃れるために投げた質問を、叩かれた額をさすりながら律儀に返す後輩は、
「自分、諦め悪いんで」
「ん?答えになってるかそれ?」
「なってるっスよ〜」
含みのある笑みを浮かべるのだった。
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