第11話
カンパニュラの街でアズライトの腕を掴んだばかりか、彼の事を本人曰くたぶん母親の名前だと思われるシェイラと呼んだ男は、警戒心を剥き出しにして正一郎を見据えていた。
少しでも隙を見せればアズライトを奪われる。
確信ではなくとも、そう予想が出来る程度には正一郎の感知能力もこの世界で磨かれていた。
たらりと背中を伝う嫌な汗。
それでも一歩も引かずに目の前の相手に対峙出来たのは、アズライトが正一郎の腕を掴んで離さなかったからだ。
緊張しているのは彼も同じ。
警戒しているのも、同様だ。
「なんだあいつら」
「ぁあ? 黒髪同士か。推しの勇者でも違って揉めてんじゃねぇか? ガハハッ」
大通りの真ん中で立ち止まり、睨み合っていれば、周囲の視線を集めるのは当然だった。
行き交う人々の囁きを耳にして、正一郎の腕を掴むアズライトの手に力が籠る。
「ショウさん、あの人が誰であれ……戦闘にならないのは、あの人も街の中で騒ぎを起こすつもりはないからだと思うんです。だから、どこか、落ち着いて話が出来る場所に移動しませんか……?」
「……話を聞くのか?」
聞き返してくる正一郎に、アズライトはわずかに躊躇うも、はっきりと頷いて見せた。
「あの人が本当に50年前の勇者なら、話を聞いて損はありませんよね?」
「……そうだな」
アズライトの判断を尊重すべく続けた正一郎は、しかしアズライトと勇者と思われる男の間から外れる事はない。
アズライトも、そんな相手の意を汲んだうえで位置を変わることなく声を上げる。
「ここでは目立つので、場所を変えてお話をさせてもらえたらと思うのですが、ご都合はいかがですか?」
「話をするのは構わんが、その目付きの悪い男はどうにかしろ」
「こちらは二人でお話を聞きたいです」
「……そいつがいるなら断ると言ったら?」
「諦めます」
探る視線を向けてくる男に、アズライトは即答した。
「恐らくですが、先ほどのあなたの反応を見る限り俺達の方が情報を持っているようです。俺達の目的は帝都ですから、あなたからお話を伺えないなら帝都で他の方を探す事にします」
「帝都に行くだと……?」
アズライトは正一郎の目線を合わせる。
男の声が震えたのは予想外だったからだ。
「……帝都に行くのが、何か?」
そう聞き返せば、男の瞳が僅かに揺れた。
どんな感情がそうさせたのかは判らないが、結果として男は二人と話す事を受け入れた。
「場所くらいは指定させろ。すぐそこに「金のガチョウ」って宿屋がある。そこの1階の食堂だ」
「……ショウさん」
「構わない」
自分達の宿泊先が知られる事を懸念したアズライトだったが、ここで断っても不審を招く。
結局は知られる事になるのなら、最初から受け入れた方がいいと言う事だろう。正一郎が内心で舌打ちした事には誰も気付かないまま、3人は目的地へと移動した。
食堂に入って早々、給仕を手伝っていた宿屋の息子から「今日の夕飯は山菜のリゾットと豚肉のステーキですよ、焼き具合はどうします?」と声を掛けられて、アズライトは正一郎と顔を見合わせた。
やっぱりこうなるよな、と少しだけ笑ってしまう。
男は僅かに眉を寄せただけだった。
宿屋の息子に応じたのは正一郎。
「いや。夕飯は改めて声を掛けるから、先に席だけ借りて良いかい?」
「んー、泊りのお客さんだからまぁいいか。けど、手短に頼むよ。一番混む時間帯だからさ」
「ああ。ありがとう」
そんなやり取りをして席に着けば、今度は身元不明な男が不満を露わにする。
「飯の時間だぞ、飯を食わんなら此処にした意味がねぇだろ!」
「名乗らないばかりかガン飛ばしてくるおっさんと仲良く食事出来ると思ってんのか?」
「はぁ? テメェこそ名乗ってねぇだろうがっ」
「ぁ、あの!」
一応は周囲に気を遣っているらしく、声は抑えている二人だが、ぶつかり合う怒気は傍にいるアズライトの不安を煽る要因でしかない。
「お互いに大人なんですから、自己紹介から始めましょう。そちらはもうご存知のようですが、俺はアズライト。魔術師です」
「……冒険者ギルドには剣士で登録している、名前はショウだ」
アズライトの顔を立て、一応は素直に名乗った正一郎に、しかし男は。
「本名は」
偉そうな態度で短く言い放つ。
正一郎の蟀谷が引き攣った。
「織部正一郎だが?」
それでも隣のアズライトを気遣って名乗ったのだが、途端にハッと鼻で笑われた。
「なるほどな? つまりこの国は俺らに黙って新しい勇者サマを召喚した挙句にアズライトを——」
ガンッ!
急に激しい物音がしたと思えば、男は脛を押さえて驚愕の顔をしている。
アズライトも目を瞬かせた。
正一郎が剣呑な顔付きで告げる。
「俺をこっちに呼んだのは彼だ」
「は?」
「あんたがこの子の何を知っているのかは知らんが、祖父母の研究を引き継いだこの子が必要に駆られて呼んだのが俺だ」
「――」
「この子は自分の両親を知らない。育ててくれた祖父母も10年前に亡くなり、たった一人で山小屋で暮らしていた。あんた達の事を何も知らないこの子に、あんたは何を答えられる?」
男が勇者だと言うなら、何の特殊能力も持たない男の威圧など何の効果もなかっただろう。
だが、正一郎の説明に男は確かに言葉を失った。
瞬きすら許されないほどの衝撃を受けていた。
数分が経ったようで、実際には10秒程度の沈黙だった。
男は唾を飲み込み、言葉を選びながら話し出す。
「アズ……その子の、祖父母の研究をおまえは見たか?」
「読んだ」
正一郎は短く応じる。
「だから帝都に行くと決めた」
「……そう、か」
男と正一郎の遣り取りに、アズライトは口を挟まない。
否、挟めないと言った方が正しいか。ただ静かに見守る彼に、男は深呼吸を一つした後でゆっくりと名乗った。
「俺の名はケンシン……
「いえ……」
アズライトが応じる。
「その、似ていると言う人が、シェイラ……さん、ですか?」
「……そうだ」
「……俺の母親、ですか?」
その質問にはまず沈黙が応じ、次に視線が交錯した。
謙信と名乗った勇者は探るように正一郎を見返し、次いでアズライトを見つめる。
「……その前に一つ確認したい。なぜ、母親の名前がたぶんなんだ?」
「それは、……祖父母が決して教えてくれなかったからです。せ……いえ、ちょっと、嬉しい事があった日に、祖母が「シェイラにも見せてあげられたら」って涙ぐんでいた事があったので、もしかしてと」
「……その嬉しい事が何かは聞いても?」
謙信の続く質問に、アズライトが正一郎を見返す。
正一郎は左右に首を振り、アズライトは頷いた。
「お答え出来ません」
「……そう、か」
拒否された謙信はしばらく悩んでいたが、軽く息を吐いた後で頭を振る。
「シェイラは、俺達がこの国に召喚された時に城で働いていた魔術師達の娘の名前で、勇者の世話係だった……言っとくが俺の担当じゃないぞ」
正一郎の意味深な視線に気付いて付け足した謙信だが、アズライトが意識を持っていかれたのは、そこではなかった。
「その魔術師達の名前って」
「リグリスとマリア。おまえのじいさんとばあさんだろ」
「っ……!」
こくこくと何度も頷くアズライトの表情からは、祖父母が確かに其処にいたという事が知れた喜びが強く感じられた。
「ショウさん、祖父母は本当に50年前の勇者召喚に立ち会ったんですよ。あのたくさんの本、資料、研究……っ、本当に……!」
山小屋に籠り、自分を育てながら余人には理解し難い研究をひたすらに続けていた祖父母の足跡を知る事が、こんなにも心躍るものだとは知らなかった。
しかし、そんなアズライトの姿が謙信の目にはどう映ったのか。
「親の事は気にならないのか?」
思わずと言った風に声を発していた謙信に、アズライトは僅かに首を傾げた。
「知らない人は気にしようがないです」
「――」
あまりにもあっさりと。
簡単に告げられた言葉に、謙信は今度こそ言葉を失った。
しかしそんな態度を取られたとて、アズライトにしてみればどうしようもない。今年で21になった彼の記憶に、思い出に、親は一度も出て来ない。
祖父母を失くして独りぼっちになった時期に「親がいれば」と考えた事がなかったとは言わないが、結果、アズライトは一人で生きて来た。
助けてくれた人がいたとすれば、それは山の精霊達であり、声を掛けてくれたスイレンの街の門兵や、ギルドの受付嬢達。
そしていま、こうして手を引き、一歩を踏み出させてくれたのは正一郎だ。
「……シェイラの名前が気になったから俺の話を聞こうとしたんじゃないのか」
「それは別に。あそこで騒ぎを起こしてはいけないと思ったのと、どちらかと言うと貴方が本当に50年前に召喚された勇者ならお願いしたい事があったからです」
「お願い?」
「俺達は大賢者アオイトーカが魔王を封印した石碑の魔法陣を実際に見に行きたいんです」
「な……っ」
「でも、国の警備や、監視があるので簡単には行けません。勇者の方々なら、何か特例で近づけかもしれないと考えたのですが、どうですか?」
淡々と応じるアズライトに対し、彼を見つめる謙信の眼差しが揺れる。困惑、動揺、驚愕、不審……本気かとアズライトの本音を探る視線。
しかしそれらがアズライトの感情を揺らす事は、なかった。
ぼっち魔術師の異世界召喚~魔術師は科捜研の男と世界平和を模索する~ いちご @ichigo_kobe
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