第9話

 スイレンの街から帝都までは馬車で約10日。

 正確な距離は不明で、その間にある5つの村や町の周囲は農場や畑が広がっているのだが、それ以外は平原か、森かのどちらか。

 さすがは異世界と言うと語弊があるのだが、土がむき出しで石も当たり前に埋まったり転がったりしている街道を見ても判る通り、多くの人が通るから草が生えず道の様相を呈しているだけで、インフラはほとんど手付かずだ。

 最初こそ大自然に興奮した正一郎も、さすがに感想の語彙が尽きて来た。

 かといって話題に困る事もなく、その一因になったのが魔獣の襲来だった。

 今も――。


「ショウさん、左から魔獣が近付いています。素体はたぶん蝶々。鱗粉が毒を含んでいますから、戦うときは吸い込まないように注意してください」

「覚えとく」


 隣に座っていたアズライトからの指示に、正一郎は落ち着いて街道の端に馬を止めた。


「一人で大丈夫か?」

「はい。燃やしますから」

「お、おう。蝶の羽って素材で売れたような気がするんだが」

「女性向けの装備品に使われることが多いですが、毒を除去するのが大変なので高値では売れません、……今日は俺がします」


 にこっと笑うアズライトの表情に凄みを感じた正一郎は素直に引く。

 アズライトは馬車を降りると、開けた草原に向かって杖を構えた。

 正一郎の目には何も見えないが、魔術師であるアズライトは些細な魔力の揺れだけでも周囲の異変が感知出来るという。

 敵の接近に伴って高まっていく彼の魔力が、複数の火の玉になってその周囲に浮かび上がる。

 そうしているうちに、5メートルくらい先で空間が波打つように見えた。

 問題の魔獣だろう。

 薄っぺらい。

 だが幅が――。


「でかくないか?」

「魔獣ですから、――『火球ファイヤーボール』」


 アズライトは単調に答えて、周囲に浮かんでいた火の玉を放った。

 目標に直撃し、複数個所から炎上してあっという間に焼け焦げていく魔獣。アズライトは正一郎をその場に残し、一人でゆっくりと歩み寄っていく。

 膝を折り、黙祷する魔術師。

 最後に唱える『還元リダクション』。


「……きれいだな」


 ぽつりと零れた小さな呟きは正一郎の本音だ。

 禍々しい錆色に染まった魔獣が黒焦げになった後に『還元』で魔力を消失し、素体に戻る瞬間。

 ほんの微かな金色が大気中に舞うのだ。

 近くで見ていては気付かない、少し離れた場所から見守ればこそ気付いた現象。

 それを知ってしまうと、魔獣と化した獣は確かに救われているのだろうと思う。

 しかし正一郎は、この事を敢えてアズライトに知らせなかった。少なくとも自身の生活に関する「普通」の程度が、この世界の「普通」に達するまでは知るべきでないと思ったからだ。


「お待たせしました」

「お疲れ」


 戻って来たアズライトが隣に座るのを待って、水筒を手渡す。出発前にアズライトの水魔法でいっぱいにしてもらったそれは、移動中の飲料水だ。


「ロロ、もう少し進んだら休憩するからな。もうちょっと頑張ってくれ」


 声を掛けて手綱を引くと、ロロは仕方ないと言いたそうにのっそりと足を進め始める。

 最後に休憩を取ったのは約30分前。

 もう少し距離を稼いでおきたい。




 旅程は5日目に入っているが、驚くほど順調だ。

 大陸最北端のレガーテ平原、そして最北の街スイレンから一番大きな街道を南下しているため、すれ違う馬車や、徒歩の冒険者、旅人は多く、休憩時に一緒になって会話が弾むこともあったが、目隠しのカーテンを閉めていたおかげで異世界な内装を知られることはなく、アズライトが個人でハラハラしていた以外は平穏無事。

 魔法で馬の水を用意する代わりに果物をくれた商隊があったり、大きな猪の魔獣を相手に行きずりの冒険者達と共闘したりと、旅の一期一会を楽しみながら、着実に帝都へと近付いている。

 野営も4度経験したが、移動はもちろんのこと、食と住に関しては不便を感じないどころか野営中とは思えない大満足の日々。

 初日のカレー、二日目の鮭のホイル焼き、三日目のうどん、四日目の焼肉といった正一郎曰く「キャンプの定番食」は、いずれもアズライトを虜にするほどの美味だった。


「キャンプ朝食の定番はホットサンドらしいぞ」


 そう言って白くてふわふわの四角いパンがこんがり焼かれた時には悲鳴を上げていたが、卵サラダとサニーレタスを挟んで食べて、納得。

 感動のあまり泣いていた。

 正一郎に言わせれば、冷凍庫よりも高性能な保管庫になるアズライトの収納空間のおかげなのだが、二人ともが美味しいごはんで幸せなので問題ない。


 寝る時も、幌馬車の前後が網戸使用で風が抜ける仕様になっているおかげで涼しく、寝袋の肌触りも含め非常に心地いい。

 今日はカンパニュラという大きな街で宿を取る予定だが、荷台の方が良いという結果になりそうな気がしている。

 とはいえ、野営している間は長時間の睡眠が取れないのも事実。今後のためにも、この辺りで一度しっかり休んだ方が良いというのが二人の共通意見だ。

 夜間の見張りは3時間交代。

 後番は出発のためのロロの準備と、珈琲を入れるのが日課になった。

 正一郎が持ち込んだのは、やかんとマグカップ。そしてマグカップに紙の部分をひっかけてお湯を注ぐドリップバッグ式の珈琲だ。ホットミルクはアズライトの手の平を発熱させる火魔法に頼るが、目覚めの一杯に二人でこれを飲んで「はぁ……」と一息つくのが、すっかりお約束になっていた。



 そうこうして、この日の旅程も順調に進み、今日の目的地であるカンパニュラの街まであと一息という最後の休憩時。


「名残惜しいが荷台も入れ替えないとな」


 肩を落とす正一郎に、アズライトは苦笑する。


「明日になればまた入れ替えられるでしょう。それよりほら、ちゃんと手を動かしてください」

「おー」


 ロロが樹に繋がれて水を飲んでいる横で、アズライトが入れ替えた荷台に違和感が出ないよう、馬のための干し草やリンゴを積み込み、更にこちらの世界のテント、寝袋といった野営用品。次回からはこの状態で丸ごと収納しておくので積み込む作業は不要になるだろう。

 そして、途中で倒した魔獣の素材――皮や牙、爪の他、解体済みの肉なども積んでいく。

 収納空間に入れておいたものだが、今日は街に寄るので、そこの冒険者ギルドで売れるだろう。

 ちなみに肉は猪だ。


「昨日、今日と、魔獣に遭遇するようになって来たな」

「『勇者召喚』は王都で行われたはずですから、……こちらにいた精霊達は、たぶん、全滅……したんだと、思います」


 王都から300キロ離れた最北端のレガーテ平原でも多くの精霊達が消えてしまったが、あちらにはまだ力を回復しようと休眠する精霊の気配が感じられた。

 しかし此方には、休眠中の精霊の気配すら無い。

 王都を中心にどれだけ多くの精霊が失われたのかと、アズライトはその顔を歪めた。


「影響は中心地から、って事か」

「はい。魔獣が増えて、農作物が育たなくなり、家畜は病気になり、人間も……。50年前にはそうだったという記録を読んだことがあります。しかも回復は外周からゆっくりと中心へ及んでいくので、……これから先、王都はいろいろな意味で厳しくなっていくと思います」

「それで、なんで『勇者召喚』が危険だって考えないのかが謎だな」

「そうですね……」


 精霊が見えないから、声が聞こえないからなんて事情が、そういったマイナス面を無視していい理由にはならないと思うものの、その研究をすると言って城から辞した祖父母が、最も危険と言われるレガーテ平原の山に隠れ住んでいたのだから、何かしらの事情があるのだろう。

 その事情が何なのかはさっぱりだが。


「さ、積み替えも終わったし行くか」

「はい」


 ロロを樹から荷台へ誘導しようと動きかけたアズライトは、ふとその手を止めた。


「ショウさん、来ます」

「は?」

「後ろ、俺達が来た方向から魔獣の群れです。馬車が追われてる」

「!」


 荷台は街道脇に寄せてあるし、ロロの綱もしっかりと結ばれているのを確認した二人は街道の中央に立って武器を構える。


「もうすぐ見えて……来ました。群れの数は7、素体は狼……野犬かもしれません」

「おうっ」

「『身体強化ブースト』」


 呼吸と共に吐き出された魔力を乗せた言葉が、アズライトの、そして正一郎の足元からぶわりと頭のてっぺんまで駆け上がり、一気に体が軽くなる。


「無理はしないでくださいね」

「おまえもな」


 言い合い、地面を蹴る。

 通常では考えられない速度で来た道を戻ると、全力で馬を走らせている真っ青な顔の御者と目が合った。


「そのまま行け!」

「『火壁ファイアウォール』」


 正一郎が御者に向けて声を放つのと、アズライトが魔獣と馬車の間に炎の壁を発現させたのが同時。

 錆色の2メートル以上ありそうな巨体は、野犬が正解かもしれない。狼ならこの倍以上大きくなっている気がする。


『ギャウンッ!!』

『グルルルルル!!』

『ギリリリリリ!!』


 炎に突っ込んで叫んだ魔獣。

 急停止し、標的を馬車からアズライトに変更して唸る魔獣。

 アズライトの周囲に鋭利な風の刃が複数浮かび上がるのを見れば、更に歯茎をむき出しにして威嚇してくる。


「……引く気はなさそうだな。魔獣を野放しにする気もないけど」


 敬語の取れたアズライトの呟きは、戦闘モードに入った証だ。

 敬語で遠慮がちに喋るアズライトと何かが変わるわけではないが、素の姿を晒せるのは関係が近付いた証とも言える。

 最も、アズライトの戦闘モードは戦う事に意欲を燃やすという意味ではない。彼の本質が余剰魔力に侵されて変異してしまった生き物への憐れみと、こうなるまで行動出来なかった自身への後悔だと言う事を正一郎は知っている。

 だからこそ強く在って欲しいと願う。


「やるか」


 正一郎は構えた。

 剣道、中段の構え。

 しかしその剣は獣の頭を叩き割る刃を持つ。

 すり足。

 その、傍目には躊躇しているような足さばきが魔獣に誤認させた。

 こっちの獲物は弱い、と。


「!」


 魔獣の群れが炎の壁を左右から抜けようと二手に分かれた。アズライトは左に、正一郎は右に。

 3と4。

 正一郎の方が多い。


「見縊られたもんだな」


 言い捨て、突く。


『ギャウッ』


 飛び掛かって来た一匹目の、がら空きの胸部に剣を突き刺した。直後、ぶら下がった獣の巨体を身体強化された腕力で力任せにぶん回す。


「おらっ!」

『ガウッ!』

『ギャンッ!!』

『グルルゥァア!!』


 仲間の胴体に突進されたも同然の魔獣たちは地面に吹き飛ばされ、串刺しにされた魔獣は地面に落ちて痙攣している。起き上がった3匹は、今度こそ正一郎に対しても警戒心を剥き出しにして来た。

 正一郎は剣の素人だ。

 武道の基礎と、生きものの死に多少慣れているだけで、華麗な剣捌きなんて出来っこない。

 それでも、は出来る。


「『炎の矢ファイヤーアロー』!!」

『ギャウ!!』

『ガアアアアアア!!』


 アズライトから放たれた炎の矢が、正一郎を囲む魔獣達を刺し貫いた。

 燃えて、あっという間に命尽きる魔獣達。

 振り返って見ればアズライトに向かっていった3匹は首を斬られて絶命している。


「お疲れ」

「お疲れ様でした、……怪我はありませんか?」

「全然。それより、こういう魔獣は毛皮が売れるから水魔法で溺死させるか風魔法で首を斬れって言ったろうが。なんで一度出来てるのが二度目は出来ないんだよ」

「これから夏になるのに毛皮なんか売れません」

「獣の皮装備は新人に重宝されるって聞いたぞ、世界情勢が悪くなったら冒険者も増えるんだろう?」

「うっ……」


 痛い所を突かれて言葉を詰まらせるアズライトだったが、彼はもちろん、正一郎も判っている。

 今までずっと魔獣を燃してきたアズライトは、火魔法が最も得意で、最も早い。正一郎を怪我させないために急いだ結果が火魔法だっただけだ。


「ま、ありがとな」

「いえ……皮、剥いできます」


 燃えた3頭は爪と牙が素材になるため、それぞれ切断し、頭を絶たれた3頭と、胸部を貫かれた1頭は毛皮も剥ぐ。

 解体作業なら法医研究員――つまり生物科学が専門の正一郎も充分な戦力。

 むしろアズライトより手慣れている。

 その内、事態が落ち着いたのを察したのだろう、先ほどの馬車が戻って来た。何度も頭を下げて礼を言う御者台にいた彼の馬車には、彼の妻と娘が乗っているそうで、カンパニュラの街まで護衛を頼まれた。


「もちろん護衛料はお支払いします。ここ数年、魔獣に襲われるなんて聞いたことがなかったので油断していました。お二人に会えて本当に良かった」


『勇者召喚』の影響が確実に出てきている事を実感し、説明のし難い嫌な感じを覚えながらも、二人は護衛を引き受けた。

 カンパニュラの街は自分達の目的地でもある。

 その道中で旅費を稼げるなら願ったりだ。

 荷台を交換した後で本当によかった。


 素材になりうる箇所を全て失った魔獣達を一ヵ所に集めた後、正一郎が護衛対象になった一家の気を引いているうちにアズライトは『還元リダクション』する。

 陽が西に傾いた草原に舞った金の光りが、今は茜色だった。

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